戦前生まれの旅する速記者
佐々木 光子著/聞き手=竹田 信弥
碇 雪恵
オンラインでのインタビューが当たり前となり、AIを使えば音声の文字起こしのみならず記事構成案までもが打ち出される。そんな現在を生きる私たちにとって、速記者が第一線で活躍していた時代は徐々に遠くなりつつある。本書は、刊行当時九八歳の速記者・佐々木光子氏の人生を、赤坂の選書専門店双子のライオン堂店主・竹田信弥氏が聞き取ってまとめた一冊。
佐々木氏の語りは淡々としてはいるが、そこには戦争の影が逃れがたく反映されている。戦前に北海道で生まれてすぐに東京へ住まいを移し、女学校では速記を学んだ。父に「戦争中だから、一人娘のお前は結婚してもすぐ未亡人になる」と言われ、「手に職を」と選択したのが速記だった。女学校卒業後、日銀に就職。業務内容は速記ではなく、朝から晩まで札束を勘定する単純作業だ。当時日銀に就職した女性は、有無を言わさずその仕事しか与えられなかったという。そんな処遇にもめげず、終業後に速記塾に通って鍛錬を続けた。疎開のため日銀を退職するが、戦後まもない時期に速記能力を買われ、フリーの速記者としてNHKでの契約勤務を開始。この時の業務内容が戦後の日本の姿を如実に表している。当時ジャズなどアメリカの音楽を主に流していたNHKのラジオ局が、日本人向けに落語を流すことに。ただし事前に内容をGHQに確認してもらわねばならず、そこで速記が必要となった。いわゆる検閲だ。記者とともに演芸場に足を運び、落語を速記して原稿を作成した。
当時NHKがあった田村町(現在の港区西新橋)周辺にはアメリカ兵がいて、ベレー帽をかぶって歩かないと娼婦だと認識されたという話もあり、敗戦直後の東京に漂っていたであろう緊迫感に思いを巡らせる。
その後「噓みたいにたくさん仕事がある」昭和三〇年代を駆け抜け、昭和四〇年くらいまでは「すごく大事にされ」るが、カメラマンと同じように速記者の数自体が増えたことで特別扱いされる機会は徐々に減っていった。一九八五(昭和六〇)年にはワープロを導入し、弟子を持つなどして仕事の環境を変化させながら、八〇歳になる二〇〇七年まで速記者として現役を続けたというのだから、その勤勉さに頭が下がる。
彼女のバイタリティは仕事にのみ発揮されるわけではない。四八歳にしてフランス語を習い始め、そこから一〇回もフランスへ渡航し、現地に友達まで作ったという、
その好奇心や探究心には読み手としても刺激を受ける。本書の語りには女性として生きる上での苦労が直接的に出てくることは少ないが、「ヨーロッパで、仕事をする上で私は女性差別を感じなかった」という言葉には、多くが語られないからこその重みを感じる。
「やっぱり資料っていうのは大事だからね、歴史になって」と彼女が語る通り、速記者として歩んだ彼女の人生を、偶然出会った六〇歳ほど年下の青年が聞き取り、こうして一冊の本になったことの意味を思う。
一人の女性の人生から戦後日本の歴史の一片を見た。(いかり・ゆきえ=ライター・編集者・出版レーベル温度主宰)
★ささき・みつこ=速記者。日本銀行勤務のかたわら、速記を学ぶ。一九四五年に佐々木速記社を設立。二〇〇七年に速記者としての仕事を終える。一九二六年生。
書籍
書籍名 | 戦前生まれの旅する速記者 |
ISBN13 | 9784910144122 |
ISBN10 | 4910144129 |