2025/02/21号 8面

琉球史関係史料1・2『球陽』上・下

琉球文学大系 28・29『琉球史関係史料1・2『球陽』上・下』(ゆまに書房)刊行記念
『琉球文学大系』 『琉球史関係史料1・2 『球陽』上・下』  二〇二二年より刊行開始された『琉球文学大系』(全35巻、ゆまに書房)の、第28巻『琉球史関係史料1 『球陽』上』(二〇二三年一〇月刊)に続き、第29巻『琉球史関係史料2 『球陽』下』が、まもなく刊行される。この刊行をもって、ついに『球陽』上・下巻が揃うことになる。本書の刊行を機に、日本文学研究者の石井正己氏に書評をお願いした。   (編集部)  今から百年前の一九二五年に、柳田国男の『海南小記』が刊行されている。これを丁寧に読もうとすると、伊波普猷・東恩納寛惇・横山重編『琉球史料叢書』全五巻(名取書店、一九四〇~二年)を座右に置く必要がある。これには『琉球国由来記』『琉球国旧記』『中山世鑑』『中山世譜(附巻)』などが収められている。推薦者は柳田国男と柳宗悦だった。内容見本に、柳田は「文化史料としての価値」を書いて、『琉球国由来記』に大きな感化を受けていることを告白した。  一方、柳は「琉球学の第一歩」を書いて、琉球学を建設するためには、歴史・言語・芸能等の諸部門にわたる文献の整備が必要だとした。そして、同じ編纂者によって、さらに『おもろ艸紙』『歴代宝案』『球陽』のような大著が続刊されることを熱望した。だが、すでに太平洋戦争に入ってゆき、それが実現することはなかった。そうした苦難の歴史を振り返るとき、文学二七巻・歴史四巻・民俗・地誌四巻からなる『琉球文学大系』は、かつての志を受け継ぐ悲願の刊行だったと思われてならない。  実は、柳宗悦の指摘を受けるように、横山重は続いて『球陽』を刊行しようと計画していた。柳を介して首里の尚家から七冊本を借用し、原稿まで用意していた。しかし、それが受け継がれるまでに長い時間がかかった。横山本を底本に使って諸本を校合した原文編をまとめ、読み下し編と合わせて球陽研究会編で角川書店から出版されたのは、一九七四年のことだった。以来、これが『球陽』のテキストとして最も信頼され、広く活用されてきた。それから半世紀を経て、やっと今回の刊行に至ったのである。 今、この大系は第九回配本まで刊行されている。『球陽』上は第五回配本であり、近刊の第一〇回配本で『球陽』下が出れば、薩摩との関係を収めた附巻を含めて、全体が整うことになる。田名真之は上に「『球陽』について」、下に「解説―『球陽』の諸本―」を書き、『球陽』研究の歴史を踏まえて刊行の意義を説いた。田名真之・麻生伸一・山田浩世・比嘉吉志・漢那敬子・波照間永吉の頭注、校異注・語注、附録によって、細部の叙述まで理解が行き届くようになった。下に八〇〇〇項目余りの詳細な索引がつくのは、何よりもありがたい。  田名は「『球陽』について」で、『球陽』の成立を解説した。『球陽』は鄭秉哲ら四人によって一七四五年にいったん完成した後、著作漢字公文職に就いた鄭宣猷・鄭天錫・梁廷権・王三徳らによって一八七六年まで書き継がれた。その際、『中山世譜』や『琉球国由来記』『琉球国旧記』を参照しつつも正確で詳細な情報を追加し、「奇妙証文」や「順治康熙王命書文」「録文」を資料に使って漢訳したことを指摘する。こうした最新の成果によって、『球陽』の歴史叙述の具体相が明らかになってきた。  思えば、柳田国男は沖縄を旅して、目前の出来事を丹念に記述しただけでなく、文献も博捜していた。例えば、『海南小記』に収録された「南の島の清水」では、『球陽』を引いて、白鳥処女伝説が察度王・尚真王・尚貞王の三カ所に見えることを指摘する。だが、『球陽』は編年体の正史であるにもかかわらず、架空の説話を史実として繰り返し記録したので、「のんきな書物」と呼んでいる。これは、柳田が外巻の『遺老説伝』(この大系では第23巻に収録予定)の延長で『球陽』を読んでいたことを示す。こうした読み方は、歴史学から見れば異端かもしれないが、『球陽』の一面をよく言いあてている。  しかし、その後、柳田のような複眼的な見方は失われ、沖縄は日本文化の起源を探る場所と見なされるようになる。その成果として、折口信夫はマレビトを発見し、戦後になると谷川健一が発生論を展開した。だが、二一世紀を迎える頃から、そうしたヤマトからの視線を拒否しはじめる。同時に、この時期に琉球学という言葉が定着する。沖縄復帰五〇年を記念する時期にこの大系の刊行が企画されたのも、そうした雰囲気と無縁ではあるまい。このシリーズによって、琉球学を構築するための基礎資料が着々と整備され、沖縄のアイデンティティがたぐり寄せられつつある。  だが、改めて言うならば、琉球学は日本各地にあるような割拠的な地域学にならないほうがいい。『球陽』上の語注でも、例えば、中国皇帝が冊書(勅書)を用いて封じた「冊封」とそのための使節の「冊封使」の解説が詳しい。両属体制をとった歴史は、「王国の毎年の出来事をコンパクトに整理した」とされる『球陽』でも、鮮明である。琉球史を日本史の中に位置づけようとすると、どうも居心地が悪いのは、既成の国民国家観が通用しないからだろう。沖縄から東アジアの未来を展望するためにも、この丁寧な校注による『球陽』の刊行はとりわけ意義深い。沖縄はもちろん、ヤマトでも広く深く読まれる必要があると思う所以である。(いしい・まさみ=東京学芸大学名誉教授・日本文学・民俗学)

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