2025/07/18号 8面

鎌田哲哉氏長篇書評への反論(大杉重男)

<「永遠の鬼軍曹」に「思想」はあるのか> ――鎌田哲哉の自称「革命精神」に対する根源的疑問(大杉重男)  大杉重男著『日本人の条件』(書肆子午線)に寄せられた、鎌田哲哉氏の長篇書評(「遠望」の不在――「批評ロボット」の荒廃について」、本紙2025年6月6日号掲載)に対して、著者の大杉氏から反論が寄せられた。全文を掲載する。(編集部)  鎌田哲哉が私の『日本人の条件』(以下『条件』と略記)について長大な批判文を書いた。字数がごく限られているので(鎌田の文章のほぼ半分の7000字)、余計な挨拶や感傷的感慨は抜きに、鎌田の批判に端的に応答する。  鎌田は最初に、私の本を可能にしたものは「問題の回避」であって「問題」ではなかったと断じ、その上で縷々私の本に対して批判を並べる。しかし私には、その鎌田の批判自体が、私の本が提示する問題を本質的な部分で回避しているように見える。  まず第一に鎌田が回避しているのは、本書が提示する日本人の「主体性」「主権」をめぐる問いである。鎌田は、本書の主題を「東アジア的専制主義」=「自身の外部の命令に機械的に盲従することを肯定する精神」に対する批判とまとめた上で、私が憲法第一条と第九条の間に「不可視の運命共同体的つながり」(『条件』76頁)を見て、そこに「東アジア的専制主義」の多重的な構造を考えるのに対して、そのような「つながり」を否定し、「東アジア的専制主義」批判は専ら「一条の廃棄=共和制の創設という視点」からのみ追求されるべきで、「九条=戦争放棄条項の廃棄如何」とは関係がないとする。  しかしこのように一条と九条とを分離する時、鎌田は、九条が日本人の「主体性」のなさ・「主権者」性の欠如(私は「日本人工学三原則」という新概念によってそれを考察しようと試みた)の換喩的表現になっているのではないかという本書の根本的な問いを応答なしに回避している。私は「主権者」であることと「獣」性を持つことを不可分のものとしてとらえたが、鎌田はどう考えるのか。戦争の放棄は「獣」性の放棄において、「ロボット」化することではないのか。  私が「八月革命」説に盲従していると鎌田は批判するが、私は宮沢俊義=丸山眞男とは異なる意味で「八月革命」的なものを考え、その革命への批判から新たな革命を考えている。他方「八月革命」自体を否認する鎌田は、かえってそのことにおいて「八月革命」の枠組に囚われている。鎌田が、憲法から一条(と二~八条を加えた第一章)だけを削除し、九条をブラッシュアップして新憲法の中軸に据えたいなら、なぜ日本は世界に先駆けて戦争を放棄するべきなのか、それは日本人がどのような具体的現実を引き受けることなのか、そこにおいて主体性や主権はどうなるのか、「日本人工学三原則」とは異なる鎌田自身の理念的で主体的な功利主義的ではない「思想」を明確に提示するべきである。  中野重治は戦後間もなく、正義と悪の戦争では、中立はありえず正義を支持すべきと書き(「文学者の国民としての立場」)、「プラハの春」の時は、ソ連の軍事介入を明確に支持した(『条件』第七章)。実際第二次世界大戦で連合国が日本を打ち負かさなければ、日本の民主化はなかったのだから、中野の観点からすれば連合国の戦争は正しい戦争だった。中野は正義のための戦争を肯定していた。鎌田はこれをどう考えるのか。現在の世界情勢で考えても、戦争放棄の観点からウクライナがロシアに無条件降伏し、パレスティナ人がイスラエルの言うがままになれば「戦争」は形式的に終わるかもしれないが、それで良いのか。鎌田は、坂口安吾「野坂中尉と中西伍長」に対する私の批判(『条件』序章)に触れて、「坂口の決断が軍事力以外の全手段をもってする人民的な不服従を意味することを大杉の臆病は見ていない」と批判するが、核兵器をはじめとする極度に発達した軍事テクノロジーを国家や軍部が独占する現代世界において「軍事力以外の全手段をもってする人民的な不服従」が可能なら、中国や北朝鮮はとっくに崩壊していなければならない。私は、『条件』で安吾が自身の無抵抗主義のモデルとして神話化した「中国の自然的な無抵抗主義」の虚偽性を批判しているが(16頁)、鎌田はそれについて触れることなく素通りしている。どう考えるのか。  この部分に限らず、私が鎌田の批判に最も違和感を持つのは、鎌田が本書の主要主題の一つである現在の東アジアの現実を考えることから逃げていることに対してである。私は日本人だけではなく「東アジア的専制主義」に取り憑かれた東アジア人全体が「ロボット」であるとしたが、鎌田はそれを日本人だけの問題に限定する。私が日本を東アジアの一部として考えようとしているのに対して、鎌田は日本をあくまで東アジアのその他の地域と切り離し、かたくなに日本の内部でしか考えようとしない。この意味で鎌田は『条件』で論じた三島由紀夫に似ている。たとえば鎌田は魯迅をローザ・ルクセンブルクと並んで特権的に引用してきたが(今回はなかった)、魯迅が革命後の中国でどのように利用され、そして現在の中国人がどこまで「阿Q」であることから脱却しているのかについては関心がない。鎌田は私を臆病だと言うが(確かに天安門広場で東アジア同時革命を叫ぶ勇気はないが、そんな勇気など必要としない世界を求めることの方が重要である)、自分の格下と思える日本人にしか言葉を発することができず、日本人の外部に決して視線や言葉を向けることがない鎌田も十分臆病だと思う。「フェアプレイ」はもはや時期尚早ではなく、今こそ時宜にかなっている。  そしてこの鎌田の現在の東アジアからの逃避は、鎌田が古典的な東アジア的専制主義者であり、「マルクスのロボットたち」(『条件』第六章)の一体なのではないかという疑いを持たせるに十分である。鎌田は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という福沢諭吉の言葉を引いて「天」の概念を擁護するが、この言葉は、「人」同士が対等であるためには「人」の上に「天」がある必要があるということを含意してもいる。この「天」は現実の宇宙につながる無限に空虚な物理的な空ではなく、有限の穹窿的天井である。鎌田は以前の絓秀実批判の文章(『週刊読書人』2023年8月13日)の中で「お天道様が我々を見ている」という感覚を共産主義の最も重要な条件に挙げていたが、この「お天道様」は現実の太陽ではなく、鎌田の精神の地下室に煌々と輝く裸電球であり、「天」とはこの地下室の天井でしかない。鎌田はこの批判文の末尾に「五月二五日、邑久光明園構内の音楽を聴きながら」という断り書きを入れるが、これが自分は「外」にいるというアピールなのだとしたらナルシシズムにも程があると呆れるしかない。  鎌田に限らず、現代日本の知識人は、東アジアをオリエンタリズム的に讃美する一方、批評的に考えることを常に「拒説」(『条件』184頁)してきた。最近丸川哲史は早尾貴紀との対談(『週刊読書人』2025年6月13日号)で、「日本が東アジアで行ってきた具体的な植民地主義と、現在、パレスチナ/イスラエルで展開されていることを、どのように接合して語ることができるのか」と早尾に問われ、中国が清帝国の版図を受け継ぐことの正統性を前提に、台湾と大陸中国の「分割」を日本や欧米の「植民地主義」の結果として批判し、中国による統一を正当化して見せたが、中国における漢民族による少数民族の支配や、香港の非民主化が「植民地主義」でないとしたら何なのかについては何も語らない。丸川は「天が民衆の声を聞き、君主(王朝)を取り替えるのが、易姓革命であって、中華世界の革命の源流となる発想です」と「易姓革命」を称揚するが、「天」と「民衆」の間に上下関係がある限り、どんな「易姓革命」(たとえば習近平が失脚して、穏健派が共産党のトップになる)が起ころうと東アジア的専制主義は持続するだろう。  しかし少なくとも、鎌田が評価する中上健次、中野重治や大西巨人の文学には、東アジアの問題はネガティヴな形ではあっても視野に入っていた。そしてそれを見ないことで鎌田の文学テクストの読みは致命的に空転する。鎌田は『条件』における私の中上『千年の愉楽』論を批判し、「カンナカムイの翼」における「路地」出身の達男と「アイヌ」の「若い衆」との間に私が見た「交換不可能性」に対して、「達男と若い衆の暴動」は「ボンヤウンペのように何度も「だまされる」試行錯誤を通過してはじめて、革命運動の透明と成熟を勝ちとるだろう」と主張する。それは「朝鮮人を含む敵対者達に遠望の必要を説き、彼らと自分達の「交換」=連合戦線を求めるインターナショナリズムの出現」と規定される。  だがこのような「インターナショナリズムの出現」を想像的に「遠望」する以前に必要なのは、今現在の他者との「交換不可能性」にとどまって、まだ不明であるその具体的構造を解明することである。たとえばそれは日本や欧米の「植民地主義」への批判だけでは不十分である。「カンナカムイの翼」の朝鮮人は戦中の「強制徴用組」ではなく「他所から戦後になってドサクサに惹かれて集まって来た者ら」の一部であり、そして私の「東アジア同時革命」の概念は、そうしたポスト「植民地主義」的他者たちとの「交通」を視野に置いている。他方鎌田が主張する他者との交換可能性は、「時間が解決する」という一般論でしかない。何世代にもわたって盲目的に他者に「だまされる」ことの反復の果てに個人の寿命を超えた「超長期的な時間の侵入」によって革命が成就するという鎌田の黙示録的「遠望」(皮肉にも主観的には自由意志に基づきながら実際は不死のロボットに精神操作されつつ千年後に第二銀河帝国を人類が建設するというアシモフのSFの「セルダン・プラン」を連想させる)は、今現在の「革命責任」をうやむやにすることにおいて無責任である。  実際「だまされる」ことを他人に勧める鎌田自身は、本当に誰かあるいは何物かに「だまされ」たと思ったことが一度でもあったのだろうか。鎌田は何時でも「だます」側だったのではないか。大西の『神聖喜劇』の解釈について鎌田が私を批判している文を読むと、私はそう思わざるを得ない。私は『神聖喜劇』の主人公東堂を冬木を初めとする「日本の「人民」」に奉仕しつつ操作するアシモフ的ロボットと形容した(『条件』第九章)。鎌田はそれに激しく反発し、東堂は冬木ら「食卓末席組」との「対等で率直な相互批評」の中で、「変わりえないはずの「我流虚無主義」」を脱却しているとする。しかし私には東堂が冬木らと本当の意味でコミュニケーションを取れているようには見えない。『条件』には書いていないが(今思えば書くべきだった)、私が『神聖喜劇』で最も疑問に思うのは、東堂が冬木の秘密(出自、殺人事件の真相)を冬木自身から直接聞き出すのではなく、友人の新聞記者に調べさせて把握し、生源寺らと共有していることである。後に東堂はこのことを冬木に打ち明けるが、この場面はシナリオ形式になっていることで小説的描写が回避される。これは前衛的文学テクニックの誇示ではなく、大西がこの場面の倫理的弱さを隠蔽するために張った語りの煙幕ではないのか。無断で身上調査されるというスパイじみたことをされたことについて、冬木は作中のように追認するのではなく、ホームズ気取りの東堂を殴っても良かったはずである。この点では『神聖喜劇』は、木谷が曽田を殴った『真空地帯』を乗り越えていない。  かつて鎌田は谷崎潤一郎の『吉野葛』を奇妙に不自然に持ち上げたことがある(「転向ファシストの文章」、『デルクイ02』)。鎌田は作中の少女お和佐の「赤く傷々しいその指」に、「一方では吉野の女性達の苦しく、耐え難い生活の悪しき反復」を見つつ、他方で「主人公=「津村」との「歴史」を生みだす創造的契機」を見て讃美する。しかしその「歴史」は本当に新しいのか。鎌田は『吉野葛』には「「不自由」それ自体を拠点とすることで、我々がある新しい、名付けようもない「歴史」の能動性を創設できるという洞察」があると主張するが、私は『条件』第四章で、『吉野葛』を「近代日本における「王殺し」の未遂を改めて上演し、天皇制への忠誠を物語的に語り直したテクスト」(218頁)と、鎌田とは正反対の方向に読んだ。私の読みでは、お和佐の「赤く傷々しいその指」は雪の中に埋められ血を噴き出して居場所を知らせた自天皇の首の反復的再現前であり、津村とお和佐の結婚は、自天皇(結局天皇のヤマトタケル的分身である)を崇拝する吉野の共同体(それはまた大逆事件で天皇の側につき、昭和のマルクス主義の弾圧を支持した日本のマジョリティの「人民」たちでもある)を再生し、陰惨な「歴史」を受動的に反復するものでしかない。津村とお和佐はその後恵まれたブルジョワ生活を送るのだろうが、それは天皇制に帰順する限りにおいてであり、そこでは壬申の乱以来、天皇制を守るために流されてきた血の歴史が美的に正当化される。この長い批判文の中で鎌田が、私の『吉野葛』論に触れていないことは不思議だが(反論できないから?)、鎌田は『吉野葛』という「狐」に「だまされた」のだろうか。鎌田は私を本居宣長、自分を上田秋成に喩えているが、私が少なくとも天皇制廃止を主張する宣長(宣長はネガティヴな形であれ、東アジアを他者として対象化していた)であるのに対し、天皇制廃止後の先の先について空想的「遠望」を語りながら「狐」に化かされて天皇制の片棒を知らずにかつがされる秋成は滑稽である。  先日、私は実践女子大学で開かれていた坂口安吾展の最終日に行き、安吾が佐々木基一に宛てて書いた書簡を見た。それは全集未掲載で、なぜか展示目録にも記載がなかったが、その中で安吾は次のように書いていた。「僕は先日、中野重治と話をしました。彼はともかく、人間から政治へ、といふ方向を忘れてはゐません。しかし窪川などとなるともうダメです。人間はロボットでしかないのですから」(その後大原祐治氏から『坂口安吾研究』第一号に浅子逸男氏による翻刻と解説があると教示を受けた。推定一九四六年十一月二十二日付)。  この手紙における安吾は、「近代文学」が商業化したことを寿ぎ、中野が『むらぎも』で批判的に描いた芥川龍之介に似た誘惑的態度で佐々木を持ち上げ、「人間の文学と政治の文学はハツキリ袂別する必要がある」と、「近代文学」からマルクス主義系を排除すべきと書いている。「ロボット」という言葉はその文脈で使われている。安吾は中野を窪川鶴次郎と比べて「人間」を忘れていないと救ってはいるが、私は中野もまたマルクス主義への転向の段階で去勢された、「人間」のふりをした「マルクスのロボット」だったと考える。そして鎌田もまたその系譜の最末端にいる。  『条件』で私は『神聖喜劇』を「強制収容所」型映画の反転した形として読んだが、鎌田はむしろ古典的な意味での頑迷な「鬼軍曹」であり、その点は「重力」の時代から二十年経っても変わらない。しかしこの「永遠の鬼軍曹」に「思想」はあるのか。軍曹が自分も分かっていない「軍人精神」への絶対服従を新兵に機械的に叩き込むように、肝心なところでローザなど他人の言葉の引用で「革命精神」を説く鎌田は、私とは別の意味で(私は「批評ロボット」と呼ばれても何とも思わない。そもそも「人間」とは何かは東アジア同時革命の後にならないと分からない)「人間」を「ロボット」化しようとする教育フェチロボット(『条件』第十二章で論じた『巨人の星』の星一徹のような)なのではないか。  鎌田は、私の本が誤植や錯簡に満ちていると批判する。私自身多くの誤植を見つけているが、私は完璧な本を作ることより、できるだけ早く本を作ることを優先した。早くと言っても、最初の構想から八年経ってしまった。その間新たな論考を書くたびに本の分量が増えて行き、校正がやり直された。編集者は最初はカフカの「掟の門番」のようだったが、最後はバートルビーのようだった。しかし私はどんなに誤植や不備があっても、この本を2024年に出せてよかったと思っている。『条件』第一章付論「校正者の使命」に書いたように、漢字仮名併用という日本語の書記形態そのものが校正を東アジア的専制主義の抑圧装置にしている。  鎌田の「校正」へのこだわりには、悪しきフェティシズムが宿っている。かつて柄谷行人は、『資本論』においてマルクスが解明した資本主義の本質は貨幣の「呪物崇拝」にあると述べた(『探究Ⅰ』)。この洞察は正しいが、マルクスも柄谷も呪物崇拝をどう解消できるのかについて有効な提案はできず、自ら呪物と化した。20世紀の社会主義国は、貨幣から呪物崇拝を除去しようと努めた結果、技術革新が停滞する一方、行き場を失った呪物崇拝の情動は国家の指導者に集中的に付着し独裁体制が恒久化した。  鎌田の正確な記録・記憶への呪物的執着は、確かにその徹底によって思い込みを破り、物語を破壊する効用がある。しかしその執着は散文的ではなく、本質的に詩的である(デリダは「詩とはなにか」において詩の本質を「心を通じて学ぶこと」=暗記することに見た)。中野は「五勺の酒」において「非転向」の共産主義者を「プロザイックな音」ではなく「音楽のようにほめること」で、天皇のカリスマに対抗することを訴えたが、鎌田はまさに「革命」を「音楽」のように歌い、叫ぶ。しかし私の考える「革命」はプロザイックであることを極めた先の荒野にしかない。        (おわり)  ★おおすぎ・しげお= 文芸批評家。一九九三年、「『あらくれ』論」で第三六回群像新人賞評論部門受賞。二〇〇一年、「重力」編集会議に参加し、翌年、鎌田哲哉、市川真人、井土紀州、可能涼介、西部忠、松本圭二と雑誌『重力』を創刊。著書に『小説家の起源──徳田秋声論』など。一九六五年生。  ★かまだ・てつや=批評家。一九六三年生。