2025/09/05号 5面

光と音楽

光と音楽 大江 健三郎著 富岡 幸一郎  本書を読みながら、障害をもって生まれた長男が、音楽を通して作家である父親とその家族と深い心の交流をなしてきた、その日常の現実に感動する。光と名づけられた息子とノーベル文学賞を受賞する大江健三郎。『恢復する家族』や『ゆるやかな絆』などに収められた文章とともに、『大江光ピアノ作品集』(私家版、一九八八年)に寄せた単行本未収録のエッセイもあり、作曲家・大江光と大江健三郎の全対話篇といってもよい。  所収の「ザルツブルグ・ウィーンの旅」は、光の作曲のCD発行に合わせての両親とのヨーロッパへの旅の記録であり、大きな期待と不安を抱きながらの旅路は、読者の心を打つ。身体的には三〇歳の誕生日を迎えようとしている息子であるが、その子の無意識に近い深みでは外界への恐怖と逡巡がつねに渦巻いていることを、両親は察知せざるを得ない。ジェット機による長時間の飛行や三週間もの外国のホテルでの生活。その冒険に近い旅の果てに、作家は息子がその変化する時空に耐えるかのように、音楽を聴き、音楽を考え、音楽を創るという行為によって、一切の安心を得ていることを知る。五線紙に作曲をしている大江光という存在。その繊細で剛直な姿。真剣な創造という行為の習慣化。  《そこから僕の引き出す結論は、光にとって、この世界にもっともしっくりと住みついている感覚があるのは、音楽を作っているときであり、逆にいえば、その思いの表現こそが、彼の音楽ではないか、ということである。僕自身にしても、いま自分は世界にこのように住みついている、という根本的な感情を表情するためにこそ、小説を書いてきたのではないか? しかも、この世界を超えたものへの道ということを、その表現にとり込むことを夢みている。そして、しばしばむしろ光の音楽のなかに、自分の希っているものの実現を予感しているのである》  「この世界を超えたものへの道」。大江健三郎はしばしば信仰のない者の「祈り」という言葉で、それを自らの作品世界において表現しようとしてきた。光の頭蓋骨の異常を治療するための手術を決断した作家は、二九歳でその試練を『個人的な体験』の素材とする。それは作家が生まれたばかりの息子の未知の困難を引き受けるための創造行為であったが、その瞬間から、ある意味では恐るべき共生が始まったといってもよい。本書の最後に収められた文章「記憶して下さい。かれはこんな風にして生きて来たのです。」のなかにも、「共生」という単語が記されている。  《(前略)頭部に畸型を持って子供が生まれた、そして目は見えず、耳も聞こえないだろうと、当直で救急車に同乗してくださった若い医師の方はいわれた。その前に、生まれた病院の院長先生が、若い父親の私に、—ゲンブツを見ますか? といわれたことを『個人的な体験』という小説に書いています。その赤んぼうに、まず視力があることがわかった、そして音を聞き取ることもできるとわかった。明るい見通しのまったくない日々に、時をおいて起こる新しい発見に励まされて、私らは赤んぼうとの共生を始めたのです》  本書は、この「赤んぼう」がやがて音の豊饒な世界と出会い、それがひとつの音楽の創造となって五線紙に記述されることで、まさに「新しい発見」へと飛躍していく、その「私ら」つまり家族と長男の「共生」の物語として、くりかえすが読者に疑いもなく感動を与える。『個人的な体験』のラストで主人公が《希望》という言葉に出会う場面をあらためて想起させるだろう。  しかし、その「共生」は作家大江健三郎にとっては、もうひとつの意味となる。筆者の前に今、『大江健三郎全小説』全一五巻があるが、その第五巻(『個人的な体験』などを収録した)以降の一〇巻は、作家として光という「ゲンブツ」に寄り添いながらそれを小説に描くという、エクリチュールによる「共生」という業苦を引き受けてきた現実そのものである。作家の没後二年余りを経て刊行された本書は、その書くことの地獄が生んだ美しい水中花のようである。(とみおか・こういちろう=文芸評論家)  ★おおえ・けんざぶろう(一九三五―二〇二三)=作家。九四年ノーベル文学賞を受賞。著書に『個人的な体験』(新潮社文学賞)『「雨の木」を聴く女たち』(読売文学賞)など。

書籍

書籍名 光と音楽
ISBN13 9784065397138
ISBN10 4065397138