2025/06/27号 5面

〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。

〈書評キャンパス〉
書評キャンパス レンタルなんもしない人『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。』 創価大学教職大学院 桃原 清矢  あるブックカフェで、なんとなく手に取った本だった。「レンタルなんもしない人」のことはすでに知っていたので、なんとなく読み始めただけだった。そんな偶然出会った本に、これほど考えさせられるとは思いもしなかった。  本書のタイトルにもある「レンタルなんもしない人」とは、その名の通りなんもしない人をレンタルするというサービスを始めた人のことである。2020年10月、X(旧Twitter)で「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の存在だけが必要なシーンでご利用ください。国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんでもできかねます。」と呟いたところから活動がスタートした。本書では収入なし、地位なし、仕事なし、の〝逆〟ハイスペ男子がただ1人分の存在を貸し出すフィールドワークから見えてきたことが綴られている。ちなみに筆者はなんもしない(ごく簡単な受け答えしかしない)ため、ライターのSさんが本書を執筆している(笑)。  そもそもこの活動をする前、著者(著者と呼んでいいのか曖昧だが)は元々会社員をやっていた。その時は「会社にいてもいなくても変わらない」「生きてるのか死んでるのかわからない」と上司に不満を言われるほど、取り立てて特徴のない影の薄い存在で、会社で必要とされていなかったのだという。そんな「やりたくない」仕事から逃げ続けた結果、「なんもしないで生きていく」という道に辿り着いた。そして、「なんもしなくても」「なんもできなくても」価値があることを証明した。  実際に著者は、「離婚届を提出するところを見届けてほしい」「散歩中に愛犬と遭遇して構ってほしい」「明日か明後日、自分のことを一瞬だけ思い出してほしい」といった依頼に応じて、依頼者を満足させてきた。なんもしない人を必要とする人がいる、感謝をする人がいる。言い換えれば、なんもしない人にも存在価値があるのだ。  会社や社会では、「〇〇できる力」が求められる。しかし著者はそれに全力で抗う。世間的な価値に引きずられて「〇〇できる」とアピールしてしまうと、「なにかができるから価値がある」と既存の価値に当てはめられてしまうからだ。「なんもしない」を貫く著者の姿は読んでいて爽快だ。  コンピテンシー重視となった学校教育では、子どもたちが「〇〇できる」ようになることが重視されるようになった。複雑化する社会に対応するため、保護者の間では我が子の非認知能力(社会で生きていく上で重要な数値化できない力)を伸ばす動きが高まった。大学生の就活の現場でも、「〇〇できる」と自分自身をPRすることが常識となっている。今若者たちは、「〇〇できる」ようになることを迫られている。「なんもしなくても」「なんもできなくても」、存在しているだけで価値があるはずなのに。この本を読んで、そんなことを考えていた。

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