2025/05/09号 5面

ドーキングの戦い

ドーキングの戦い ジョージ・チェスニー著 林 浩平  架空の戦記だという。本書で描かれた英国を舞台とする戦闘をこの日本に置き換えてみる。すると、海を越えて侵攻した敵軍が、千葉の海岸から上陸して、たとえば内陸部の佐倉市あたりで日本軍と交戦する、といった場面が想定される。戦闘が始まった。「砲兵たちが見えない敵に向けて一生懸命弾を発射する。鈍い音とともに誰かが倒れる、すると三、四人が負傷者を後方に運ぶ、その間だけは一部の砲台が静かになる。私はこの一連の出来事を地面に腹這いになって眺めていた。時間の経過が永遠と思えるほどに長く感じた」。本書での舞台となるのは、タイトルにあるように、ロンドンの南西三十四キロにあるドーキングという小さな町である。だが読みながら私は、いま住むこの東京に近い千葉県あたりの町で白兵戦が行われているかのような、生々しい戦慄と死の恐怖を感じざるを得なかった。  そう感じた理由としては、二〇二二年二月にロシア軍がウクライナ領土に侵攻して惹起された両国間の戦争状態が、現在もなお継続するために、市民生活のなかにいきなり軍隊による銃弾が撃ち込まれ、爆弾が破裂する事態が発生してもありえることだと身構えるからだろう。そしてなによりこの、一八七一年に発表された「侵攻小説」が、戦争というものを生活圏から遠く離れた場所での出来事ではなく、家族も隣人も巻き込んだ現実として迫真的に描き出すことに成功したためであろう。  物語は、語り手である主人公が、祖国を捨てて新天地に向かう孫たちに、五十年前に犯した過ちを語るところから始まる。自分たちの世代が英国の破滅を招いてしまった、と苦々し気に振り返り、侵攻した敵兵によって打ち負かされた経験を回想するのである。主人公は、公務員でありながら、英国篤志隊員でもあった。篤志隊員とは、中産階級以上の人たちで構成された志願兵の隊員のことだ。正規軍の軍人ではなく、余暇に短期的な訓練を受けただけの、いわばアマチュアの兵士なのだ、ここが大事な点である。プロの兵士であれば、自分が戦闘に参加して敵兵を殺すことも、あるいは敵の攻撃を受けて自らが負傷したり、戦死することも覚悟のうえのはずだ。ところが篤志隊員にそんな覚悟はない。それも攻め込んだ敵と戦うのは、ドーキング界隈、自分の普段の生活圏である。自宅の近く、親友のトラバース家を覗くと、そこは敵兵に占拠されている。「「シロウトドモガ」と、肩幅の広いケダモノが銀のフォークで大きな牛肉の塊を頬張りながら言った。(略)「シャゲキノウデニモワラッタヨ」と別の男が会話に加わった。(略)「ソウダソウダ! クンレンアッテノヘイシダゼ」と二番目の男が賛同した」。そこで味わった屈辱もありのままに語られる。  敵とされるのはドイツだが、本書でそれと明示されることはない。英国はナチス・ドイツによって「ザ・ブリッツ」と呼ばれるロンドンなどへの大空襲を受け、四万人以上の犠牲者を出すのだが、それは一九四〇年のこと、本書が書かれて七〇年後であり、実際の攻撃は空襲だけだった。ドイツ軍が英国に上陸して砲火を交えたことは一度もない。だから本書はあくまで「侵攻小説」である。では、作者のチェスニーは、どうしてこの小説を書いたのか。訳者による「あとがき」解説でそれは明快に説かれる。最後は陸軍大将にまで出世したチェスニーは、軍事学校で学んだ後にインドで活躍、実際の戦闘も経験して、当時の英国のグラッドストン内閣の防衛軽視の姿勢に飽き足らぬものを覚えていた。それに警鐘を鳴らそうとして選んだのが、もしいまドイツが攻めてきたらどうなるかを描いたこの侵攻小説だそうだ。出版後の世評は高いものがあり、英国史上初の大規模軍事演習が行われて、メディアは「ドーキング演習」と名付けたという。  深町悟の訳文はきわめて明快、特に戦場シーンの描写は秀逸である。さらに深町が、本書のプロパガンダ的手法の優秀さを認めながらも、現今のウクライナ戦争などを踏まえつつ他民族への敵意を喚起するプロパガンダには警戒したいと述べる点には共感する。だが、あのH・G・ウェルズの『宇宙戦争』にも影響を与えたとされる本書がこれまで翻訳されることがなく、いま日本語で読めるようになったのは、まさにウクライナ侵攻の結果なのである。そんな皮肉な事情が関わるとはいえ、千葉県の町で戦闘に巻きこまれたかのような錯覚を体験させてくれた、戦争そのものの本質を描きとった本書の文学性、というものも評価しておきたい。(深町悟 訳)(はやし・こうへい=詩人・文芸評論家)  ★ジョージ・チェスニー(一八三〇―一八九五)=イングランドデヴォン州生まれ。軍人家系に育ち、東インド会社軍事神学校を卒業後、ベンガル工兵隊に入隊。一八七一年に小説『ドーキングの戦い』を発表。晩年は政治家としても活動。最終階級は陸軍大将。

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