それでも人生にYesと言うために
柳田 邦男著
西本 優樹
「一人の生身の人間としての、心からなるお声を発してくださいますよう切に切にお願い申し上げます」(193頁)。本書で紹介される、JR西日本社長に向けられた被害者家族の言葉である。この言葉は、生身の人間として言葉を交わすことが、組織社会でいかに困難なものであるかを物語る。
事故から20年が経過するJR福知山線脱線事故(以下、福知山線事故)をめぐっては、JR西日本の組織防衛的な体質、安全軽視の経営が多くの批判を呼んできた。しかし、組織の姿勢に人間らしく憤りを覚える我々自身も、一つの事故がどのように人々の人生を変えるのか、多くを知るわけではない。
本書は、福知山線事故がもたらした被害と変化を、一貫した筆致で広範かつ詳細に描き出す。前半部は、事故発生の瞬間を語る被害者の生々しい証言から始まり、終章に至るまで被害者や遺族の軌跡が丁寧に語られる。後半部からは、JR西日本の経営体質に切り込んだ遺族らの検証作業、さらに組織罰の法制化運動まで、事故原因と責任をめぐる実践と分析が詳述される。総じて、長く組織事故を見つめ、被害者遺族と関わってきた著者だからこそ可能になった圧巻の書である。
本書の最後で、著者はこのような記述を行った理由を、「事故の真実の姿を浮かび上がらせて、再発防止に役立つと考えたから」(573頁)と述べる。実際、本書で語られる様々なエピソードは、人命を預かる企業や組織が知り備えるべき事柄を多く伝えている。
例えば、JR西日本が被害者に手配した世話係のエピソードでは、被害者を疑い、診断内容すら強引に確定させようとする社員が登場する。さらに、被害者や遺族を「わがまま」と思い、遺族に労組交渉のように対処したという旧社長の回想も紹介される。被害者、遺族の身体的・心理的状態を考慮したケアは、一朝一夕で身につくものではない。グリーフケアやトラウマの理解、示談後に可能になる先端医療への対応など、継続的な被害者支援に欠かせない要素は多い。人命を預かる企業や組織であれば、そうした場面を想定した研修や、専門家の養成が必要となるはずだ。
さらに、本書が明らかにするのは、これらケアの領域に属する事柄だけが、被害者が求める対応とは限らないことである。ある遺族らは、責任追及の保留という苦渋の決断と引き換えに、JR西日本をテーブルに着かせ、事故原因の共同検証という前例のない試みに取り組んだ。検証に同席もした著者は、遺族らの粘り強い「なぜ」が、同社の安全軽視の姿勢を明らかにする過程を描き出す。然るべき「本の一冊でも読めば、自社の安全対策の欠陥に気づいたはず」(446頁)と、著者の旧経営陣に対する評価は厳しい。しかしまた、著者も言う通りこの取り組みは、「企業と被害者の関係のあり方を考える」(478頁)上で重要な示唆を与えてもいる。
この点で評者が重要と考えるのは、本書が、別の遺族らが取り組んだ組織罰の法制化運動も取りあげる点である。共同検証と対照的に、組織罰は組織事故を刑事罰の対象と考える。本書公刊の前月となる2025年3月には、東京電力原発事故をめぐる旧経営陣の刑事裁判で、判決が確定した。結果は、福知山線事故と同様、旧経営陣を無罪とするものだった。甚大な危害を引き起こしながら刑事責任を問われない企業という存在について、組織レベルの刑事責任を要請すべきかどうか。対話と処罰という遺族らの実践も踏まえた、企業と我々の関係全体の再考が必要とされている。
このように本書は、企業や組織が担うべき応答をめぐる教訓の書という側面を持つ。ケアから事故原因をめぐる討議まで、求められる応答は多岐に渡る。これを総括するのは、著者が強調する「二・五人称」の視点である。企業の客観的な三人称の視点でも、被害者の一人称でも、家族による二人称でもなく、被害者だったら、家族だったらどうして欲しいだろうという二・五人称の視点。この視点から各種の応答へ備えること。それは、翻って事故がもたらす甚大な被害を認識することであり、事故防止の促進にも役立つはずである。
しかし最後に、本書は教訓と事故防止の書としては語り尽くせない、事故をめぐって生きた人間を伝える「人間の書」とでも言うべき側面も持つ。ある被害者は、アクシデントや困難を通じて「人生が濃くなる」(557頁)と表現する。困難な状況での人間の力強さ、奇跡にも思える回復、数奇な巡り合わせ、事故の枠組みを超えた連帯など、本書には生身の人間の生(そして死)の存在の厚みを感じさせる記述が随所にある。
もちろん、全てが希望に満ちたエピソードとして語られるわけではない。本書に登場することのない被害者、遺族もいるだろう。このような事故を、フランクル由来のタイトルをもって総称することは難しいのではないか。本書を開く度に何度も考えさせられた。しかしそれでも、「Yes」と言うために著者はそれを選択した。この事実を含めて、「事故の真実の姿」なのだと思う。そこにどのような意味を見出すかは、本書を読む我々自身に問いかけられる課題である。(にしもと・ゆうき=南山大学社会倫理研究所プロジェクト研究員・企業倫理学)
★やなぎだ・くにお=ノンフィクション作家・評論家。著書に『犠牲』『壊れる日本人』など。
書籍
書籍名 | それでも人生にYesと言うために |
ISBN13 | 9784163906379 |
ISBN10 | 4163906371 |