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山本貴光
第5回 もはや「戦後」ではない
創刊号(1958年5月5日)の紙面を少し詳しく見ている。というのは、創刊から現在にいたる変遷を見るためのモノサシのようなものにしたいと思ってのこと。というわけで、もういくつか目に留まったものを眺めてみよう。
前回眺めた1面は、佐藤春夫と手塚富雄の書評論で、書評の現状と理想をそれぞれが指し示していた。大きくまとめてしまえば、書評においては社交や商売に遠慮なくものを言うべし、となろうか。
続く2面は、この創刊号で最も強く印象に残るものだった。「調査」というコーナーに「サラリーマンの読書生活」という記事を載せている。副題は「アパート都市・光ヶ丘にみる」とある。これも書評ではなく、読書にまつわる社会調査のレポートだ。
同記事は、東京大学新聞研究所の助手、荒瀬豊(1930-/28)、稲葉三千男(1927-2002/31)の協力を得て、できたばかりの光ヶ丘団地(千葉県柏市)に住む36名を対象として行ったインタヴューを記事にしたものだ。稲葉による総論と、AからE氏の5名の「サラリーマン」たちの読書生活が紹介されている。
編集部による記事の書き出しはこんなふう。「〝もはや戦後ではない〟というコトバがあるが、われわれの読書生活の面とてその例外ではない。新書ブーム、週刊誌ブームといわれる現象が、「中間文化論」や「大衆社会論」を支える一つの柱となるほどに、現代の読書生活は大きく変貌してきている」
こうした言い回しのちょっとしたところに当時の時代の捉え方が表れていて興味を惹かれる。例えば、ここで言われる「もはや「戦後」ではない」とは、1956年の夏に発行された『経済白書』(『昭和三一年度 年次経済報告』経済企画庁、42ページ)で使われ、元の文脈を離れてあちこちでキャッチフレーズのように使われるようになった表現だった。
『昭和三一年度 年次経済報告』の当該箇所を見ると、戦後10年の日本経済は、敗戦からの復興という回復による成長を果たしてきたものの、もはやそういう段階は終わり、これまでと同じようには行かないという文脈であるのが分かる。
こうした短くて口にしやすく、なにかを捉えている気分をもたらす言葉は、人から人へと伝わるあいだに元の文脈や意味を失って、めいめいが思い思いの意味で使うようになるものだ。「もはや〝戦後〟ではない」も、いずれかといえば、戦後の苦しい時期が終わってこれから未来が拓かれてゆく、といった前向きな言葉として捉えた向きも少なくなかったのではないかと思う。
ところで、この言葉の初出は『経済白書』ではない。中野好夫(1903-1985)が『文藝春秋』1956年2月号に「もはや〝戦後〟ではない」という評論を寄せている。中野はそこで、「戦後」という言葉が「万能鍵」のような働きを担わされて、なんでもかんでも「戦後」だから「アプレ」だからと説明して片付ける態度はそろそろ終わりにしよう。安易に「戦後」に寄りかかるのはやめにすべきだと主張している。具体的には国際・国内政治や社会の時事を例に論じたもので、『経済白書』は言ってみればこれを経済方面に応用した格好である。この文章は『中野好夫集 第2巻』(筑摩書房、1984)で読める。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)