2025/02/28号 6面

編むことは力

編むことは力 ロレッタ・ナポリオーニ著 堀川 夢  編み物ブームが来ている。百円均一の手芸コーナーからは毛糸が消え去り、手芸屋の棚からは編み針が次々と売れてゆく。SNSにはプロ顔負けの大作の写真が投稿され、かと思えば「初心者です!」という人が初めて編み上げたモチーフが誇らしげに写真に写っている。  かくいう私も、幼稚園児の頃から母の隣で編み物をしてきた。左利きなので棒針もかぎ針も自己流ではあるが、いまでも毎年、冬が近づくと手袋やマフラーのための毛糸を探しはじめる。母は祖母の隣で編み物をし、十代の頃には自作のセーターやベストを妹に着せていたらしい。私たちはずっと、編み物をしている。  ロレッタ・ナポレオーニの『編むことは力』(佐久間裕美子訳)のなかには、そのタイトルの通り、私たち編み手がみんな気づかぬうちに手に入れている、あらゆるパワーが詰まっている。  人生のつらい場面にゆきあたった著者は、編み物にまつわる祖母との思い出から出発して、歴史の中のさまざまな局面に編み物を発見する。そして、自尊心を保ち、社会に抵抗するものたちを繫ぐメディアとして編み物を位置付け、編むことの脳科学的な効用、さらには物理学や数学など理系の研究との意外な関係までを書き連ねてゆく。歴史、社会、アカデミアでの編み物の活躍と著者のパーソナルなストーリーが、編み地を裏返しながら編み進めるように行きつ戻りつしながら語られ、一本の糸がいつのまにか美しいグラデーションや模様を生み出すように、人類にとっての編み物の存在感があらわになっていく。  編み物(というか、手芸全般)が「女のやること」とされ、見下されてきた歴史についても、本書は触れている。しかし同時に、女性が抵抗や主張、アクティヴィズムの実践手段として、編み物をもちいた例がいくつも挙げられる。第一次世界大戦の灰色の塹壕に送られたカラフルな靴下。フランス革命の「自由の帽子」を編んだ女性たち。さらに、消費主義への抵抗として衣服のすべてを編み物でこしらえたヒッピーや、厳しい境遇の中で編み物と出会い、児童養護施設で自分のためにラスタカラーの帽子を編み上げた誇り高い少年のストーリーも登場する。あなたも、糸と編み針を手に入れればすぐに編み始めることができる。編み物は誰にも開かれているし、完成したものにはおおきなよろこびとメッセージが宿る。  編み物のいいところは、どんなサイズの身体にもフィットするものを作り出せるところだ。  本書で、未熟児や、「家には戻らない」赤ん坊のための編み物をする人たちのことが紹介されている。既製品のベビー服が大きすぎる子どもたちや、新しい服が必要ない子どもたちのために、小さな小さな服を編むボランティアだ。誰かが我が子を想って編み針を動かし、その子の体格にぴったりの服を仕立ててくれたということは、不安や悲しみのただなかにいる親たちにとって、大きな救いや慰めになるのではないか。編み手も、この世に生まれてきたひとつの命を、その親と一緒に慈しんでいる、という実感を抱くことができるだろうと思う。編むことは愛だ。編んだものを使う誰かへの、そして編み手である自分への愛であり、ケアでもある。  編み物は「場」をも作る。集まって一緒に編む会はもちろん、著者が友人の運転する車の助手席で編み物をしていたように、おしゃべりのお供にももってこい。さらには、同時に特定の場所に存在していなくても、誰かの編んだものや編み図、編むための道具を通して、私たちはつながり、連帯し、継承することができる。  白状する。この本を読むのにかなり時間がかかった。もっというと、ちょっと締切を破った。なぜなら、編む人たちへの讃歌のようなこの本を読んでいると、編まずにはいられなくなってしまうからだ。編み物の季節のひとときをこの本とともに過ごせたことを、編むものとしてとてもうれしく思う。しかし、イタリア出身でアメリカとイギリスの大学へ通った著者が本書に綴ったのは、ほとんどが欧米の白人から見た歴史における編み物の物語である。それ以外の地域の編み手、あるいは編み物をはじめとする手工芸の作り手による語りも、ぜひいつか読んだり聞いたりしてみたい。(佐久間裕美子訳)(ほりかわ・ゆめ=ライター・編集者)  ★ロレッタ・ナポリオーニ=エコノミスト・コンサルタント・コメンテーター。幼い頃イタリアで祖母から編み物を学ぶ。著書に『人質の経済学』『「イスラム国」はよみがえる』など。

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