至上の幸福をつかさどる家
アルンダティ・ロイ著
福嶋 伸洋
第二次世界大戦後の一九四七年、イギリスの占領下から独立したインドとパキスタン。ヒンドゥー教徒の多いインドと、イスラム教徒の多いパキスタンとのはざまにあって、領土としてはインドに属するカシミール地方は、イスラム教徒の住民が多く、独立を目指す人びと、パキスタンに入ることを目論む人びと、インドに留まることを訴える人びとの思惑と行動が複雑に交錯し、多くの血が流れた歴史には未だに出口が見えない――。
『小さきものたちの神』で(原著一九九七年)デビューしたアルンダティ・ロイの、二十年ぶり、二作目の長篇小説『至上の幸福をつかさどる家』(原著二〇一七年)は、このようなカシミール地方の激動を背景にし、そこにはさらにカーストや貧困の問題が横たわっている。とはいえ物語は、歴史や民族、宗教や各勢力のようないわば上段から、俯瞰で語られるのではない。
ひとりめの主人公は、ヒジュラーと呼ばれるトランスジェンダーのアンジュムで、体と心の不一致に苦しみ、伝統的な社会の「男」の枠にも「女」の枠にも収まらない苦しみに生きつつ、虐殺を目の当たりにして心病んでゆく。大切に育てていた養子ザイナブの心も、それをひとつのきっかけとして、離れてゆく。いちど縁から落ちたら落ち続けるしかない、と悟る彼女はやがて、墓地の一角を占拠して築いた「楽園ゲストハウス」で暮らし、客を迎え入れる。そこには、カシミールでは常に隣り合わせになっている生と死のはざまにいる人びとが身を寄せるようになる。
もうひとりの主人公のティローは、学生時代に知り合ったムーサーとナーガのあいだを揺れ動く。カシミールの「自由(アーザーディー)」、つまり独立を支持する勢力に参加するムーサーの大義と理念に、ティローは共感し心から惹かれる。いっぽう、学生時代は過激な左翼だったナーガも、元は同じ立場だったものの、外国人女性との恋愛スキャンダルの揉み消しをはかってもらったことをきっかけに、体制側のジャーナリストとして地位を確立し、政府の腐敗に加担することになる。
ティローはナーガと結婚するが、その背景には、ムーサーとの関係を深め、独立派の動きとの関わりを強めるにつれて増してゆく危険を避けるためという、実益の計算もある。この小説は、カシミールの状況を生きるティローの、感情の物語でもある。とはいえ彼女が残したメモには、公式の歴史では掬い取られないだろう無名の人びとの、個人的な、小さいかもしれないが重大ないくつもの悲劇の経験が書き記されていた。そこにこそ作家ロイの、この作品の原点があるのかもしれない。
ムーサーはあるとき思う。カシミールの人びとは「二心」を武器として、心が壊れているときにも笑顔を浮かべ、愛する相手に獰猛に対峙し、嫌悪する相手を抱きしめ、追い出したい相手を暖かく歓迎する――それが彼らの唯一の生存戦略なのだ、と。そんな政治状況のなか、解消できない矛盾を抱え込み、増やしていくティローは、「落ち続けた」者のひとりとして、やがて安住の場としてアンジュムの「楽園ゲストハウス」に出会うことになった。この社会からこぼれにこぼれて落ちていった人たちを抱擁するその場、「至上の幸福をつかさどる家」は、死の世界のほとりに張られた安全網として機能していると言えるだろうか。
大局に戻って見ると、百数十発の核兵器をたがいに保有しているインドとパキスタンのはざまにあって、カシミールは永遠に出口が見つからない迷宮のなかにあり続けている。唯一の被爆国であるわたしたちの国には、戦後八十年を迎えて、「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策」という言葉を気軽に漏らす政治家も出てきた。過去のいくつもの失敗や悲劇を学び、尊ぶ人がどれだけ多くても、それを学ばず、あなどる人の数の方が上回れば、惨劇は簡単に繰りかえされるのだろう。この状況の下だからこそ、わたしたちはそれでも過去の過ちを、他国の悲劇を、ひとつひとつの感情の襞にまで降りて、学ばずにはいられない。(パロミタ 友美訳)(ふくしま・のぶひろ=共立女子大学教授・ブラジル文学・比較文学)
★アルンダティ・ロイ=インドの作家。デリーで建築学を学び、都市計画機関で働いた後、デビュー作『小さきものたちの神』でブッカー賞を受賞。社会活動家として世界的に注目される論客の一人。一九六一年生。
書籍
書籍名 | 至上の幸福をつかさどる家 |
ISBN13 | 9784393455081 |
ISBN10 | 4393455088 |