2025/09/19号 3面

アザー・オリンピアンズ

アザー・オリンピアンズ マイケル・ウォーターズ著 松浪 稔  「あなた本当に女ですか?」という、人権侵害といえる問いが発せられる場面がある。スポーツだ。2024年パリオリンピック、女子ボクシングでの性別騒動は記憶に新しい。  オリンピックや世界選手権のあるスポーツは、近代(19世紀半ば以降)にルールが設定され成立したので近代スポーツといわれる。よって近代ヨーロッパの身体的な価値観がその根底にあるといってよい。つまり男性中心主義、家父長制的な社会観である。近代スポーツは男性原理と強く結びついているのだ。近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタンもスポーツは白人男性貴族のものと考えており、女性のスポーツ参加には難色を示した。「スポーツとは本来「心身の男性性を高める」もの」なのだ。だから初期のオリンピックでは、女性の参加はIOC(国際オリンピック委員会 委員は男性)が許容できる(上流階級の女性が参加する)女性らしい種目に限られた。  第一次世界大戦で若い男性が戦場に駆り出され、労働力としての女性の社会進出が進んだ。これをひとつのきっかけに女性のスポーツ参加も広がっていくのだが、スポーツにおいても「男」「女」は性別二元論で明確に区別された。性別二元論はファシズムと結びつき、戦争の世紀を支えた。男女が結婚し元気な子供を多く産むことが強い国家の礎だったからだ。そして性別二元論で測れない身体には疑義が投げかけられた。ナチスが同性愛者を迫害したことは良く知られている。「不道徳」かつ出生率を高めることができないからだ。  本書『アザー・オリンピアンズ』の日本語版の副題は「排除と混迷の性別確認検査導入史」であるが、英語では「ファシズム、クィアネスと近代スポーツの誕生(Fascism, Queerness, and the Making of Modern Sports)」である。メインテーマは、性別二元論では測れない「身体」(肉体だけでなく、精神(こころ)もふくむ)をもった「女性」アスリートだ。舞台は1936年のベルリンオリンピックの前後、約半世紀である。  「男みたい」な女性アスリートを排除するために(これはスポーツを牛耳る男性の「女性は女性らしく」という価値観である)、性別確認検査の導入が検討されるが、「男」「女」を分かつ境界は曖昧である。IOCや国際陸上競技連盟が「男」「女」を定義づけられるわけではない。だから確たる根拠のないまま、第二次世界大戦後、性別確認検査が実施されることになった。非人道的だということで、一旦、IOCは性別確認検査を廃止したが、2009年キャスター・セメンヤ選手の登場により、再び注目された。今日では、テストステロン(男性ホルモン)の測定で性別確認検査が実施されているが、テストステロンがスポーツに優位に働くという科学的根拠はほとんどないともいわれている。そのうえでテストステロン値によって「男」「女」を明確に分かち、どちらにも当てはまらない者を排除することは、何らかの恣意的な行為といえるだろう。  現在では、多様性(ダイバーシティ)・DEIやLGBTQ+という概念の理解が広がっている。ジェンダーと生物学的性別は別だと考えられているし、生物学的性別は「男」「女」の二つのカテゴリーに容易に区別できるわけではない。しかし1930年代にはそのような理解がない。つまり「トランス」「インターセックス(DSDs)」などの概念をそのまま「1930年代の性別二元論では測れない「身体」をもった「女性」アスリート」に適用することは難しい。著者マイケル・ウォーターズはこの点について非常に慎重に記述している。  近代スポーツ、女性スポーツ、オリンピック、ナチスのファシズム、優生思想。それぞれの歴史については多くの研究があるが、本書はそこに「クィア」という補助線を引くことで、まっすぐな単線ではない複雑に絡み合う歴史を描きだした。優れたノンフィクションであり歴史研究である。  さて、多様性を認めないドナルド・トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」を連呼している。日本では「日本人ファースト」を掲げ躍進した政党が注目されている。このような「○○ファースト」が排外主義と結びつくのは論を待たない。現在の状況を、本書の舞台でもある第二次世界大戦前のファシズムの台頭と酷似していると感じる向きもある。同じ轍を踏まないよう、歴史から学び未来への可能性を発信したい。(ニキリンコ訳・井谷聡子解説)(まつなみ・みのる=東海大学教授・スポーツ史・スポーツ文化論)  ★マイケル・ウォーターズ=アメリカの文筆家。LGBTQ学を研究。

書籍

書籍名 アザー・オリンピアンズ
ISBN13 9784326654499
ISBN10 432665449X