2025/08/29号 6面

ケアと編集

ケアと編集 白石 正明著 長瀬 海  この原稿を依頼した編集者さんは、僕の初めての文芸時評を担当してくれた人だ。久しぶりに連絡をもらい、書評が掲載される前には退職することを聞いた。お世話になった。書評家としてのキャリアを走りはじめたばかりの未熟者の伴走をつとめてもらい、視野の狭い僕でも面白がりそうな本をたくさん教えてもらった。  編集者さんはいつもじぶんという存在を拡張させてくれる。僕の硬化した関心をほぐし、また、少しズラしてもくれるから、そこに生まれた余剰のなかに気づかなかったじぶんを確保できる。  それがケアに似ているという本書の発見には、思わず膝を打った。  著者は医学書院で二〇〇〇年にシリーズ〈ケアをひらく〉をスタートさせた編集者。同シリーズからは五〇冊以上が刊行されていて、それらは名高い賞を受賞してもいる。白石氏はいわばスーパー・エディターなのだが、本書は著者が確立した編集テクニックを指南するものではない。ケアの観点から人間への深い理解に降りることで、編集という仕事をとらえ返すという不思議な回路をたどらせてくれる一冊なのである。  この本で何度も立ち戻るのが、著者がケアの可能性を教えられた北海道にある精神障害者の生活拠点「べてるの家」。ここでソーシャルワーカーの向谷地生良氏らが実践している一風変わった(非)援助論や当事者研究が、編集の極意を摑ませてくれたのだという。  統合失調症患者による「幻覚&妄想大会」。〈できない自分〉をさらすための生活技能訓練。何も解決しないミーティング……。読んでいるだけでわくわくさせられる「べてるの」家の支援において、大事なのは治療をしないことだとされる。  では何が行われているのか。それは、〈その人自身を変えないこととセットで、その人の背景を積極的に変える〉こと。〈〈図(=形)〉と〈地(=背景)〉の比喩でいえば、〈図〉は変えないけれど〈地〉を変える〉こと。  ふつう医学的な治療は人を変えることをもくろむが、そのとき基底に潜むのは、世界のどこかに標準があり、そこに向かって患者を矯正する価値観だ。しかし「べてるの家」そしてこの本では、その尺度が絶対ではなくてモノサシはいくらでも変えられる、といったゆるやかな信念が優しく握られているのである。  とはいえ、本書が目指すのは確固たる自我を尊重することじゃない。むしろ、著者が関わり続けているケアは〈「主体と客体を分けた上で何かを成す」というような近代的な設定の外で行われる〉のであって、強い意志よりもむしろ、弱くて曖昧な主体性を認めることで〈現在の快を享受するシステム〉なのだ。  だからこの本は近代が確立したものの見方をしなやかに瓦解させる。そして同時に、僕らがいかに一面的にしか世界を把握できていないのかと気づかせる。もしかして、生きることってもっともっと楽しいんじゃないか、と。  本書のユニークさは、そうした非-近代的な思考の座に身を置きながら、著者が多くの名著を編んだ経験を振り返るところにある。執筆者との対話、取材先との交流を通じて、編集者である白石氏の世界観がどんどん溶解して変容していくのだから面白い。  でも考えてみれば書くのも読むのも編むのも、ぜんぶ同じだ。弱いじぶんを持たなければ、窮屈な場所から動けない。世界は閉ざされたままだ。  ほら、また凝り固まったじぶんが解きほぐれた。それも編集者さんがこの本と僕を繫いでくれたおかげ。これまでどうもありがとうございました。(ながせ・かい=書評家)  ★しらいし・まさあき=医学書院にて〈ケアをひらく〉シリーズを創刊。同シリーズは二〇一九年に毎日出版文化賞を受賞。二〇二四年に医学書院を定年退職。一九五八年生。

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