2025/03/21号 7面

「かのように」の古文書世界

「かのように」の古文書世界 リュッターマン・マルクス編著 岡野 友彦  近年、日本中世史では由緒論と絡んだ偽文書論が盛んだが、人間が噓をつく動物である以上、古文書に書かれた内容はまず疑ってかかるのが史料批判の常識で、文書の真贋とは別ではないかと思うことが多い。そもそも今日の多くの書類もまた、関係者にとって事実であるかのように合意された情報のみが記録されているに過ぎない。そのようなもどかしさを、本書は「かのように」という原理から解き明かしてくれる。  本書は二〇一八年四月から二〇二二年三月まで、「『かのように』という原理で形成してきた文通―『文書』概念や、その様式、記号、表象、意図性」と題して、国際日本文化研究センターで実施された共同研究の成果である。研究代表者であるリュッターマン・マルクスの諸論考「序にかえて」「書の遣り取りをめぐる史的研究の意義」「書簡故実に現れた心情表現史」によれば、「何かを何かであるかのように、as if, take some―thing as something」置き換える行為、すなわち行動学でいうディスプレイ、言語学でいう翻訳、情報学でいうエンコード、数学でいう公式、身体感覚でいう受感といった相互了解的な原理を用いて古文書を含むテキスト解釈を理解するなら、それは一定のルールのもと言語化された経験を解釈する学問であり、「コミュニケーションの史的行動学」であるという。  文書の作成をそのような相互了解的置換作業と捉えると、かつて古文書学の王道とされてきた様式論も、言説表現のルールとしての「かたち」と理解できる。小島道裕「日本の文書様式における印の問題をめぐって」は、組織の決定を伝える公文書に個人印であるかのように組織の長の印が捺される謎を、「公印」導入三度の挫折の歴史から紐解く。また高橋一樹「鎌倉幕府をめぐる闕字の出現と転回」は、鎌倉幕府に対し朝廷と同様の敬意を払っているかのように示す闕字の出現と拡がりを、御家人の文書実践の中から描き出す。そして榎本渉「中世渡来僧の手紙」は、蘭渓道隆をはじめとする初期渡来僧が日本に同化したかのように用いた和風表現の使い分けからその使用意図を論じている。  一方で古文書の伝来は、文書作成者の意図しない解釈を生み出す。小口雅史「安都雄足にまつわる日本古代の特異な私信群から」は、正倉院文書の紙背が石山寺で再利用され奈良に持ち帰られて正倉院に伝来した「石山紙背文書」から、藤原仲麻呂派であるかのように理解されてきた安都雄足像を見直す。金泰虎「正倉院佐波理加盤付属文書の機能と伝来」は、佐波理加盤の包装材として新羅から日本にもたらされた付属文書について、二次利用であるかのように解釈されてきた裏文書を表文書の続きと捉え直す。廣田浩治「日本中世の領主と在地領主の文書授受」は、「政基公旅引付」に書写された古文書の分析から、実際には助命された窃盗犯を死刑に処したかのように記録した旅引付を領主と地下相互の忖度の賜物と見なす。そしてウィッテルン・クリスティアン「デジタル漢籍の誕生」は、文字情報の集積をデジタル化することで、元のテキストでは想定されていなかったかのように取り出すメソッドの歴史を、前近代漢籍の用語索引形成史から辿っている。  さらに関心は文学・哲学などの隣接諸学に及ぶ。荒木浩「中世の声の画像化素描」は、声を発しているかのように描く「フキダシ」の源流を、空也上人像の化仏や、絵巻物の画中詞に探る。また梶谷真司「言語の中の身体」は、言語によって身体を捉えることは、身体やその経験が〈あたかも同じであるかのように〉見なすことで相互理解が成り立っているに過ぎないとする。  なるほどこのように見てくると、岡崎敦「西欧文書学の現代的展開と『アーカイブズ論的転回』」が説く通り、長らく歴史学の「婢」とみなされてきたアーカイブズ学(古文書学)は、今や情報管理の特有領域として自立しつつあることが実感される。  しかし古文書学とは、本書が主に説くような文字列情報だけを対象とする学問なのだろうか。例えば書の遣り取りにおいて、書を最初に受け取った際の手触りや、書を披いて最初に目にする景色などが、コミュニケーション上重要な役割を果たすことは贅言を要すまい。とすれば、近年議論の盛んな料紙論・筆跡論など、多様な非文字列情報を含めた議論が、引き続き「かのように」という原理で議論されることが期待されよう。ともあれ、そのような期待も込めて、古文書学の新たな学問的展開の可能性を予感させてくれる一書と言える。(おかの・ともひこ=皇學館大学教授・日本中世史・古文書学)  ★リュッターマン・マルクス=国際日本文化研究センター名誉教授・日本中世社会史・記号論・心性史・言動史。共編著に『近代日本の公と私、官と民』など。

書籍

書籍名 「かのように」の古文書世界
ISBN13 9784779130113
ISBN10 4779130115