2025/03/21号 6面

ゲットーの娘たち

ゲットーの娘たち ジュディ・バタリオン著 田中 壮泰  ホロコーストは人類がなしえた最大の蛮行の一つとして広く認知されている。しかし、現在の我々はパレスチナで続いていることの反省を抜きにホロコーストを考えることはできない。「パレスチナ問題」は、最終的に「絶滅」に行き着くヨーロッパにおける反ユダヤ主義と、その反動としてシオニズムが生まれた歴史と深く関係しているからだ。  シオニズムはユダヤ人の文化自治を目指す運動として始まったとされるが、その中からヨーロッパ発祥のナショナリズムを踏襲し、さらには20世紀初頭にユダヤ人への暴力が激化したロシアで「自衛」として武器を取る動きが現れ、それが後のイスラエル国防軍の土台となった。しかし、同じシオニズムの支持者の中には、ユダヤ人が「子羊のごとく屠り場に連れて行かれた」第二次世界大戦期のポーランドで例外的に武器を取り、ナチに抵抗した若者がいたことも忘れてはならない。  絶滅収容所へのユダヤ人の移送が本格的に始まる1942年に、いくつかのシオニズムの組織に所属する若者が武装組織を結成し、翌年4月19日から5月16日にかけてワルシャワのゲットー内でドイツ軍と戦闘を展開したことはよく知られている。しかし、そこに数多くの女たちが参加していたことはあまり知られていない。地下組織のリーダーの一人として活躍したツィヴィア・ルベトキンのような女性もいた。彼女らの活動については、日本ではブンド(リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟)のメンバーとして蜂起に参加したヴラドカ・ミードの回想録『壁の両側』(イディッシュ語原書1948、邦訳1992)が読めるだけだ。これは英語圏でも似たような状況だった。  その意味で本書の登場は大きな意味を持つ。著者ジュディ・バタリオンはカナダ生まれの移民3世で、ホロコースト生還者であるユダヤ系ポーランド人の祖母に憧れを抱き、同じような「強いユダヤ人女性をずっと探していた」という。そんなある日、図書館で偶然手にしたイディッシュ語の本『ゲットーの娘たち』(1946)にそれを発見する。その著者レイブ・シュピツマンはポーランドでシオニズム運動に関わり、ドイツ侵攻後に北米へ移住した歴史家である。彼の本との出会いが、これまでイディッシュ語の読者にのみ開かれ、長らく忘れられていた女たちの記憶を現代に甦らせることを彼女に決意させた。  本書には人々に社会主義の理念を説き、パレスチナ移住に向けた農業訓練を施し、ドイツ侵攻後は各地に無料給食所を開設し、国外への逃亡者を手助けし、割礼のために素性が割れる恐れのある男に代わってゲットー外の諸組織と連絡を取り、武器や食料を密輸した女たちの英雄的な闘いが書かれている。しかし、それだけではない。  本書が特に興味深いのは組織とは無関係な女の闘いにも注意を向けている点だ。例えば「ゲットーで家族の世話をし、子どもたちを生き延びさせる」のが「母親のレジスタンスの形だった」とある。男は大抵連行されるか家族を置いて逃げたからだ。たとえ男がいても、「男の方が例外なく空腹に耐性がなく、見つけた食べ物を片っ端から食べてしまう」し、「混み合った部屋で飢えた人々に囲まれていては、セックスはまず不可能だった」ため、助けになるどころか女の心労をますます増やしもした。その結果、「独身になると移送されて死ぬ可能性が高くなるにもかかわらず、たくさんの夫婦が離婚を申し立てた」という。  レイプも横行した。それもナチによるものだけではなかった。ゲットーを脱出しポーランド人のパルチザン部隊と合流した後にレイプされることがあった。「セックスと引き換えに服、靴、避難所を求め」る女性は少なくなかった。大切なのは同様のことが今も様々な場所で起きていると想像することだ。ホロコーストは二度と繰り返してはならないし、それが現在の暴力を正当化するものであってもならない。あるべき未来を考えるためにも、本書に書かれた女たちの経験を重く受け止める必要がある。  最後に訳について。一般読者への読み易さを第一にされたのだろう。それでも専門家のチェックは通して欲しかった。註を全て削ったのは残念だ。(羽田詩津子訳)(たなか・もりやす=龍谷大学など非常勤講師・ポーランド文学)  ★ジュディ・バタリオン=カナダ・モントリオール出身の作家。ロンドン大学コートールド・インスティテュートで美術史博士号取得。著書に“White Walls”など。

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