2025/06/20号 6面

越境する歌舞伎

越境する歌舞伎 浅野 久枝著 舘野 太朗  歌舞伎は、都市の大劇場を中心に発展した演劇であるが、小劇場や地方巡業を主な舞台として活動する劇団や俳優も存在してきた。「小芝居」と呼ばれる傍流の歌舞伎は広範な観客層を得てきたはずであるが、演劇研究において顧みられる機会は多くなかった。近年、小芝居に限らず、演劇史からこぼれ落ちてきたジャンルに注目する研究は盛り上がりつつある。神山彰編『忘れられた演劇』(二〇一四年、森話社)はその転換点となる仕事であった。本書では、「中芝居」や「中歌舞伎」と呼ばれた、関西系の小芝居が取り上げられている。小芝居というと、寿劇場やかたばみ座など、東京の劇場や劇団が知られてきた一方で、関西の事例が紹介されることはほとんどなかった。  著者の浅野久枝は、出産や葬送などの人生儀礼についての研究に取り組んできた民俗学者である。長浜曳山まつりの調査に参加するなかでの、岩井小紫との出会いが小芝居に関心を持つきっかけだという。小紫は一九七五年まで活動した関西系の小芝居劇団「市川市蔵劇団」に俳優として出演していた女性で、長浜曳山まつりには、曳山の上で演じられる子ども歌舞伎の振付師(指導者)として関わっている。  本書は、小紫とその弟市川団四郎へのインタビューをもとに、各種史資料を補って、「越境」をキーワードとしてまとめたものである。著者は、あとがきで「歌舞伎研究の門外漢」を自称しているが、演劇研究にも意識を向けた本格の研究書である。構成は、第一部「大正期から昭和期に活躍した小芝居劇団」、第二部「小芝居劇団が好んだ演目と演技」、第三部「女役者たちの活躍」の三部となっている。各部を概観していこう。  第一部では、市川市蔵劇団を中心に、小芝居の劇団と俳優を概観するとともに、生業としての演劇とそれを支える家族を描いている。各地に残る芝居小屋や農村舞台を訪ねると、来演記念に演目や配役を書き連ねた額が飾られているのをよく発見する。そうした額でよく見てきた俳優たちが、「列伝」のように次々と紹介される。第一部に限らないが、全編を通して、どこでも見たことなかった俳優たちの写真が数多く掲載されているのが貴重である。どのような役者であったか想像するのも楽しい。  第二部は、演目と演出に着目し、小芝居で演じられた歌舞伎の実態に迫っている。小芝居では、派手な演出で客受けを狙った演出や、名作の前日譚や後日譚が好まれてきたが、軽蔑の目で語られることも多かった。そうした小芝居の歌舞伎について、演者の語りと観客の視点の双方から検討を加えている。第七章の「劇評から見る小芝居劇団の演技」では、一九五七年に浜松歌舞伎座で行われた細川興行という小芝居劇団の劇評が翻刻、転載されている。評者は、歌舞伎研究者の小池章太郎の父で静岡県浜松市の料亭で主人をしていた、小池橇歌である。初出は同人誌への寄稿で、都市圏以外の独立系劇団の歌舞伎評は非常に珍しい。演技の記述もさることながら、二日ごとに演目を次々と入れ替える仕組みも興味深い。  第三部では、小芝居に限定せず、女性の歌舞伎俳優である「女役者」を取り上げている。歌舞伎というと、すべての役を男性が演じると思われがちだが、女性によって演じられることもあり、特に小芝居では女役者が多く活躍していた。女役者については、ローレン・エデルソンがDanjuro's Girls: Women on the Kabuki Stage(二〇〇九年、Palgrave Macmillan)で、昭和三十年代に大劇場に進出した市川少女歌舞伎を中心に、市川團十郎家の事例を検討している。未翻訳ということもあってか、日本国内ではあまり読まれていないようだ。日本語で近代以降の女役者を本格的に扱った研究は、本書が初めてということになるだろう。  韓国では、ジェンダー研究の視点から、女性だけで演じる「女性国劇」の再評価が進んでいる。女役者は、それに相当する事例と言えるかもしれない。ただし、本書では、同時代的な問題意識に基づいて、過去の事象を掘り起こすのではなく、インタビューの積み重ねから「越境」という論点が立ち上げられている。民俗学的な手法による豊かな記述が、この仕事の値打ちを高めている。歌舞伎に限らず、日本の芸能が経験した近現代を考える際に、ヒントとなる話題が散りばめられており、折に触れて読み返すことが多くなりそうな一冊である。(たちの・たろう=独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所無形文化遺産部研究補佐員・演劇学・日本芸能史)  ★あさの・ひさえ=東京都立大学非常勤講師・同志社女子大学嘱託講師・民俗学。共著に『女の眼でみる民俗学』など。

書籍

書籍名 越境する歌舞伎
ISBN13 9784868160120
ISBN10 4868160125