検証 異次元緩和
原田 泰著
井上 智洋
アベノミクスの評価をめぐる議論は、党派的で感情的になりがちだ。とりわけ、野党支持者やリベラル派、緊縮派などを中心としたアベノミクス否定派による、「アベノミクスはまやかし」とか「異次元緩和は毒薬」といった強い言葉を用いた粗雑な批判が横行していた。
その一方で、かつての民主党政権についても、「悪夢のような民主党政権」のようなレッテル貼りが、自民党支持者や保守派などによって頻繁になされてきた。
各政権が担った政策について、党派性を排した冷静な評価が必要だろう。そうでなければ、今後講じるべき政策を議論する際にも、的確な判断がなされ難くなる。
『検証 異次元緩和』は、「異次元緩和」の効果と副作用を検証した一冊だ。異次元緩和というのは、2013年以降「アベノミクス第一の矢」として、黒田東彦総裁の下で日本銀行が実施した大規模な金融緩和政策である。
著者の原田泰氏は、金融緩和を重視する「リフレ派」の論客であり、2015年から2020年まで日銀審議委員を務め、政策決定に携わっていた。したがって、当然のことながら異次元緩和を肯定的に評価している。
ただし、手放しでの礼賛とは程遠く、これまでなされてきた「雇用が増大したと言っても非正規ばかりだ」「雇用状態の改善は人口動態のせい」「実質GDPが伸びていない」「生産性が伸びていない」「所得格差が拡大した」といった批判に対して、緻密なデータを使って逐一丁寧にかつ冷静に反論している。さらに、「自殺者の減少」「株高を通じた年金積立金の運用益の増大」「財政状況の改善」といった、あまり取り上げられることのない異次元緩和の効果についても紹介している。
評者が特に重要だと思ったのは、「財政状況の改善」である。これまで、「異次元緩和が財政規律を失わせた結果、1300兆円を超える膨大な政府債務が積み上がった」というような副作用が、しばしば指摘されてきた。ところが、異次元緩和の実施以降、かつてワニの口のように開いていると言われていた歳出と歳入の差が閉じてきており、政府債務のGDP比の伸びも鈍化している。
その際に、消費増税の果たした役割は小さく、消費増税は不必要だったのではないかと原田氏は疑問を呈している。これは、増税による財政再建を提唱していた多くの経済学者の考えを打ち砕くものだろう。
その他、異次元緩和が銀行経営や中央銀行の財務に与えた副作用についても、細かく検討し、「副作用論には根拠がない」と断じている。ただし、円安がもたらした副作用については簡単に触れるに留まっている。近年特に円安による物価高が庶民の生活を悪化させているという批判が多いので、この論点についてはもう少し紙幅を割いて欲しかった。
日本が需要不足によるデフレ不況から脱却するには、円安による輸出の拡大が必要だったのは確かだ。しかし、それは内需が振るわなかったので、外需に頼るしかなかったことを意味する。
評者の私見では、アベノミクスの第二の矢である財政政策は失敗だった。積極財政を行ったのは最初の1年である2013年度だけで、後は政府支出を抑制するとともに消費増税を実施しており、緊縮路線に走ったと言ってもいいくらいだ。
逆に、減税や現金給付によって消費需要を増大させていれば、異次元緩和は早々と役割を終えることができただろう。要するに、日銀は政府による財政政策の失敗の尻拭いを延々とさせられていたことになる。マイナス金利のような奇策を講じなければならなかったのはそのためだ。
円安がもたらす副作用があるとしても、財政政策が失敗した以上日銀としてはさらなる金融緩和を推し進めるしかなかった。評者は11年にも及ぶ異次元緩和の営みをそのような苦闘の歴史として位置づけている。もちろん、これは異次元緩和の失敗を意味しない。
今後、異次元緩和を批判するのであれば、本書は高い壁として立ちふさがることになるだろう。あらゆる政策に対して批判があるのは、健全な社会の証拠だ。だが、本書を踏まえた上での緻密な批判でなければ、それは批判としての価値を持たないだろう。(いのうえ・ともひろ=駒澤大学准教授・マクロ経済学・貨幣経済理論・成長理論)
★はらだ・ゆたか=名古屋商科大学ビジネススクール教授・経済学。著書に『日本人の賃金を上げる唯一の方法』『ベーシック・インカム』など。
書籍
書籍名 | 検証 異次元緩和 |
ISBN13 | 9784480076854 |
ISBN10 | 4480076859 |