前近代イスラーム社会と〈同性愛〉
辻 大地著
砂川 秀樹
日本における同性愛の歴史について語られるとき、「江戸時代まで寛容だったものが、明治時代に西洋的価値観が入ることで厳しくなった」という表現がよく使われる。これは、セクシュアリティの社会での位置づけを一枚岩的なものとし、その変化を単純化した見方である。しかし、実際にそれらは常に多層的であり複雑な動態をもって変化するものだ。
本書は、前近代イスラーム社会における〈同性愛〉概念が芽生える過程を明らかにするものである。それは、まさに同性間の性関係を巡る社会的位置づけの多層性、複雑な動態を丹念に解きほぐし描こうとする試みでもある。この研究の根底には、西洋の同性間の性関係をめぐる歴史的変化が単純にイスラーム社会の歴史に当てはめられることへの疑問、「『イスラームの同性愛』として一絡げに扱う」研究への批判的意識がある。
しかし、多層性、複雑な動態を解きほぐし描く試みは容易ではない。この研究では、九世紀から十四世紀という長い時代が対象となっているが、そこで見られる同性間の性関係の描写は主に文学史料のものであり、それ以外の性愛に関する史料は限定的である。文学史料では、「実態」との関係の解釈が課題にもなる。そこで著者は、まず前近代イスラーム文学史料や医学史料の種類や歴史を丁寧に整理分析すると同時に、それらを包括的にとりあげる史料を「性愛学文献」と位置づけることで、同性間の性関係が記されている文脈を提示する。さらに、それらの史料に基づき、前近代イスラーム社会の〈同性愛〉概念の萌芽について考える上で重要な、「挿入モデル」の構造と、「異性装」をおこなう者たちに対する人々の認識を分析する。
「挿入モデル」とは、年長者による年少者への挿入を男性同性間の性行為の基本とする性関係の枠組みであるが、前近代イスラーム社会においては「【成人男性=挿入側(能動・主体)/非・成人男性=被挿入側(受動・客体)】という区分が前提であり、【男/女】という身体的性区分は基本的に前提とされない」ことが示される。また、「異性装」を、成人男性による女性の装い、非・成人男性による女性の装い、女性による非・成人男性の装い、女性による成人男性の装いの四つに分類し、それぞれの描かれ方の違いから成人男性を中心としたジェンダー構造を明らかにする。
そして、〈同性愛〉概念の芽生えを考える上で重要なのが、ムハンナスと呼ばれた人々の意味づけの変化である。ムハンナスとは、「女性的な」という意味の語源を持つ言葉で、九世紀には、「異性装をはじめ女性的に振舞う男性を意味し、その一貫として受動側での性行為も行いうる存在」だったが、十五世紀半ばにはすでに「受動側での性交を指向する成人男性」という意味で用いられるようになっていたという。著者はここに、「「行為」として捉えられた「女性らしい振る舞い」が、生得的「性質」としての性的指向と結びついて捉えられる変化」を見る。こうした変化に影響を与えた一つが、「性愛学文献」にも取り入れられた医学知識である。ここで具体的な例として、九世紀に実在した「ムハンナスのアッバーダ」と呼ばれる人物の時代による描かれ方が示される。それは、「女性的な振る舞いの一環として同性とも性行為を行う者だと認識されていたアッバーダが、同性との性行為のみを指向する特定の心的性質を持つ存在だと認識されるに至る」変化である。
このように、長い歴史のそこここに断片的に書き残された同性間の性関係に関する記述を拾い上げ、ピースを埋めるように〈同性愛〉概念の芽生えを見出す流れは見事であり興奮すら覚えた。この研究は、今後、〈同性愛〉や性的指向だけでなく、セクシュアリティの多層性や変化を考える上で重要な役割を果たすことだろう。
一つ気になった点を挙げるとするならば、アッバーダに関する史料の要約の中で「ムタワッキルの息子がアッバーダの尻に指を入れて性的指向をからかった」(一六九頁)と、性的指向という言葉が使われていることである。細かい点ではあるが、同性間の性関係が性的指向としてとらえられるようになる歴史をテーマとしている研究であるがゆえに、この歴史的史料にセクシュアリティに関する現代的枠組みに基づく表現が入り込むことは大きな意味を持つ。どのような表現を性的指向と訳/要約しているのか知りたいと思った。(すながわ・ひでき=文化人類学者)
★つじ・だいち=東京都立大学助教・アラブ・イスラーム初期史。
書籍
書籍名 | 前近代イスラーム社会と〈同性愛〉 |
ISBN13 | 9784798503844 |
ISBN10 | 4798503843 |