ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 406
台湾のヌーヴェル・ヴァーグ作家たち
JD 私は、台湾のヌーヴェルヴァーグの作品が、近年アジアで作られた最も重要な映画だと考えており、とても気に入っています。楊德昌や侯孝賢は、本当に重要な映画作家です。彼らの映画が、台湾の歴史を代弁しているのは事実です。同時代の生を取り扱うのと同時に、台湾映画が語らなかった過去を取り上げてもいる。その過去とは、彼らが生まれ育った戦後の台湾のことです。歴史書に書かれているような冷たい歴史を語ったり、アメリカ人のようにありもしないドラマを歴史に投影しているのではない。そうではなく、彼らが生きて感じたものを、映画という形で表現し、「生」について語っているのです。「生」というものは、楊德昌の映画のようにして、断片的なものが積み重ねられていく中で、その真実が見えてくるものなのかもしれません(多くの場合、彼の映画の結末と同様、結論は出ないことが多い)。または侯孝賢の映画のようにして、空間や時間の探究をするかの如く、あらゆるところへと動き続けていくものであるのかもしれない。時には、閉じられた空間の外へと向かおうとする。そうした運動そのものであるかもしれない。あるいは、地方と都市の間を行き来するかのようにして、横断し続ける運動であるのかもしれません。彼らの映画においては、映画そのものの作りを通じて「生」の息吹が感じられるのです。
映画の隅々に至るまで、彼ら自身が見て感じて生きたものが根付いています。そこには単なる同時代的な事象が描かれているだけではない。彼らの背後にある文化をも反映している。台湾は中国、日本、アメリカの影響を強く受けていて、それらが複雑に結びついて社会や文化が形作られています。楊德昌の映画を見ると、それがよくわかります。楊德昌は、台湾で育ちアメリカで映画を学んだ人です。彼の映画には、欧米の映画の影響が強く感じられます。フランスのヌーヴェル・ヴァーグや、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニの影響もあります。しかし映画の内部を見ると、台湾の当時の社会を反映しているものになっています。彼の撮影した台湾の姿は、非常に面白い。一見すると東京みたいな街でありながらも、中華文化に基づいている。かつアメリカの影響が強くあることもわかります。台湾の生活のあり方はそれらが複雑に結びついており、真に世界を見ている人でなければ決して捉えることはできません。
日本においては、小津安二郎の映画などに共通した表現を見ることができます。彼のことを、禅に代表されるようなミニマリストであり、また同じ構図で同じ物語ばかり作るフォルマリストであるかのように喩える人がいます。しかし、そうした見方をする人は、小津の映画を真に見ることができていないのです。彼の映画の形式面は確かに重要なものですが、それを支えているのは、小津の持つ生に対する見方だったのです。彼の映画の中には、アメリカに対する憧れと同時に、戦争を通じて生まれたアメリカとの隔たりが巧みに表現されています。そのようにして表現された小津映画にある戦後日本の姿は興味深い。当然ながら、彼の映画は、日本の生活や文化に根付いたものにもなっています。父と娘の関係や結婚の問題は、非常に日本的です。しかし、小津映画に見られる日本的なるものは、近代化やアメリカの影響で変容していきます。彼の映画においては、頻繁に都市と田舎、東京と鎌倉、近代と過去、老人と若者といった対比がなされています。けれども、どちらかがより優れているということにはならないのです。なぜなら小津の生きた時代は、戦後日本が大きな変化を迫られる時代であり、何が正しいのか、その真の答えなどがなかったからです。伝統的な考えを持つ人も戦後の新しい考えを持つ人もいて、それらが入り混じることで社会は成り立っていた。小津の映画は、まさに変化の真っ只中にある人々の生を捉えているからこそ、面白いものになっているのです。侯孝賢が、小津の映画に強い影響を受けているのも当然のことです。
〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)