2025/09/12号 1面

<追悼・田川建三>寄稿=橋爪 大三郎

<追悼・田川建三>信仰によって、聖書学を自らの使命とする 寄稿=橋爪 大三郎  新約聖書学者の田川建三氏が二月一九日に亡くなり、八月一三日に作品社から発表された。八九歳だった。自身を「神を信じないクリスチャン」と称し、日本のキリスト教研究の世界から反発を受けるものの研究に邁進し、多数の著書を刊行。ファンも多かった。  このたび、『イエスという男 第二版 増補改訂版』『新約聖書 本文の訳』(ともに作品社)などの田川氏の著書を書評した社会学者の橋爪大三郎氏に、田川氏の追悼を寄稿いただいた。(編集部)  「神は存在しない」と説教して、国際基督教大学(ICU)を馘になった。へこたれず学問の道に邁進した。個人訳『新約聖書 訳と註』(全七巻八冊)を完成させた。田川建三博士は、尊敬すべき硬骨の聖書学者だ。  自身は「神を信じないクリスチャン」だと称した。キリスト教徒はびっくりするし、一般人は戸惑う。奇をてらっているのか。田川博士の精神の格闘は理解されない。欧米で当たり前の議論が白い目で見られてしまう。博士の孤独と失意を考えると、胸が痛くなる。  聖書学と信仰は矛盾する。対立する。この基本をまずしっかり頭に刻まないと、田川博士の生涯がわからなくなる。  聖書学は科学である。聖書のテキストがどのように成立したか、そのプロセスを証拠にもとづいて解明する。いっぽう、信仰は、科学を超えている。創造主である神やイエス・キリストを信じて生きる。その根拠は、神のほかにはない。  神の成立を解明するのか、神に根拠を置くか。聖書学に邁進する(=神を信じない)クリスチャン(=神に根拠を置く)という逆説が、田川博士その人なのである。  田川博士は信仰によって、聖書学を自らの使命とした。だから逆説を抱え込むほかない。  ルターは、聖書の原文を読解することで、宗教改革をスタートさせた。これまで教会が教えてきた教義と、聖書に書いてあることはこんなに食い違っている。聖書にもとづいて教義を取捨選択しよう。聖書を規準に、教会を批判しよう。これが宗教改革である。  宗教改革(=信仰の再生)には、聖書の正しい読解が必須。プロテスタントにとって聖書学は、信仰の生命線である。  ところがルターの聖書読解は十分でなかった。聖書のテキストについてもギリシャ語やヘブライ語についても当時の歴史についても、その後研究が進み、聖書学が前進した。一九世紀末から二○世紀初めにかけて「歴史的イエス」(イエスが実際にはどんな人間だったか)がかなりありあり復元できるまでになった。  「歴史的イエス」はイエスが人間だ(神の子でない)という話である。聖書学の成果が、従来の教会の信仰を脅かす。キリスト教にとっては一大事だ。神学校では聖書学を教える。それまで当たり前だと思っていた信仰がぐらつくので、牧師の卵たちは当惑する。学問と信仰のバランスを取るのに苦労する。  田川建三氏は一九三五年の生まれ。姉の影響で幼稚園から教会に通う。キリスト教の中学に進み高校一年のとき洗礼を受ける。数学と物理が得意で理系に進もうか、神学校にしようか迷った。結局、東大に進んで宗教学科で学び、大学院では西洋古典学を専攻した。ドイツ留学を志したが叶わず、フランス・ストラスブール大学に渡って博士号を取得。帰国してICUで教えるも大学闘争で辞める。そのあとザイールの大学やドイツの大学で教えたあと、大阪女子大学に職をえて定年まで勤め、退職後は研究と執筆に日を送った。聖書学者を貫いた一生だった。  新約聖書はギリシャ語で書かれている。古典的なギリシャ語でなく、ヘレニズム世界で流通していた世俗ギリシャ語(コイネー)だ。福音書や書簡を著したユダヤ人も、このギリシャ語を使った。間違いもあるし、意味の通らないところもある。それを無理やり教会の教義にあうようにこじつけて訳してしまうのが、聖書の「翻訳」だ。日本語訳の聖書も例外でない。そもそも書かれた当時には、それらの書物は「聖書」だと崇められていなかった。そういった当時のテキストをあるがままに受け取ろう。それが田川博士の個人訳「新約聖書」である。膨大な註がついている。なぜここはこう訳さなければならないか、なぜこう訳してはいけないか。気の遠くなるような作業だ。  田川博士は最初に、新約聖書の「概論」を書こうとした。途中で考えを変えた。現行聖書をそのままに山のように註をつけながら新約聖書のなりたちについて概論を書くよりも、まずまともな翻訳を出版するのが先ではないか。そこで一○年あまりをかけ、マルコ福音書からヨハネ黙示録までを全部訳した。大作『新約聖書 訳と註』は作品社から刊行された。  なぜ、「神は存在しない」のか。いま出ている聖書は教会の教義に合わせて訳文がねじ曲がっている。自分たちの信念に合わせて神の像を練り上げている。偶像崇拝でなくて何だろう。そもそもイエスは、滅多に「神」についてのべていない。イエス自身はキリストでも、神の子でもない。率直にイエスの教えを理解し、それに従うのが正しい「クリスチャン」なのだ、と田川博士は言う。正しい「クリスチャン」であるべく、新約聖書の真実の姿を追い求めた。信仰に導かれた明快な行き方である。  田川博士のような「歴史的イエス」派は、アメリカでは大きな潮流だ。一七世紀のピューリタン(会衆派)は時代を経るうちに徐々に信条が変容し、一部は三位一体説を離れてユニタリアンとなった。イエスは「偉大な教師」だとし、神の子と崇めたりはしない。ほかにも合理主義的でリベラルな宗派は多い。日本ではこうしたグループは極端な少数派なので、田川博士のように無理解にさらされることになる。  田川博士の新約聖書学は、日本のキリスト教界にとって学問的良心の宝石である。この仕事なしでは、日本のキリスト教界は奇異な同調圧力に閉ざされた、何の自己主張もない暗闇のような集団だと、世界からみられても仕方がないだろう。  そのうえで私なりに、田川建三博士の仕事への疑問点もあげてみよう。第一に、博士はギリシャ語(新約聖書)に集中して、ヘブライ語(旧約聖書)に目を向けない。ルターはその両方に目を向けた。旧約聖書を論じないで、キリスト教を批判できるのか。第二に、イエスはヘブライ語を話した。福音書のイエスの言葉はその翻訳のはず。ギリシャ語だけからイエスの言葉や考えを復元するのは限界があるのではないか。第三に、「歴史的イエス」は神の子でないとしても、イエス自身は神を信じていたのではないか。博士はイエスの信仰をも「偶像崇拝」とみなすのだろうか。イエスの十字架は「救いの出来事」ではないとしても、神を信じる預言者の「犠牲」だったのではないのか。第四に、ふつうのキリスト教信仰を「偶像崇拝」と言うのなら、博士は自身の信仰がどのようなものなのか明確にすべきではないか。ユニタリアンはキリスト教を「卒業」したとして、クリスチャンを自称しない。クリスチャンを称する博士の立場は、不徹底なのではないか。  田川建三博士は、理系の素養をもち、学問に献身し、世界の先端知に触れ、混乱した戦後に一筋の光を追い求めた。純粋で超人的な魂の持ち主である。数年年長だが同じ戦中派、小室直樹博士のことを私は想起する。小室博士も理系の素養をもち、学問(社会科学)に献身し、世界の先端知に触れ、混乱した戦後に一筋の光を追い求めた。才能に恵まれながら理解されず、周囲と摩擦を起こし、不遇でなおへこたれなかった。後進を教えるのに熱心で、見返りを求めなかった。純粋で、志が高く、憎めない人柄だった。田川博士にも同時代の生きざまをみる。  田川建三博士のおかげで、日本語で読める聖書の質が格段に高まった。この恩恵は徐々に、しかし確実に、後の世代に及んでいくであろう。田川博士が受けた苦難の数々や不当な扱いは、取り返すことができないし、埋め合わせる方法もない。だがそれは、いまや博士の勲章である。残された人びとにできることは、田川博士の業績を忘れないこと。その著作を読み継ぎ、養分とすること。そして、キリスト教のインパクトを正しく日本語の知的世界に活かしていくことである。博士の生涯と功績に心からの敬礼を捧げる。(田川建三ほか『はじめて読む聖書』新潮新書、を参照した)(はしづめ・だいさぶろう=大学院大学至善館特命教授・社会学)  田川 建三氏(たがわ・けんぞう=新約聖書学者)二月一九日、気管支肺炎のため死去した。八九歳。出版社の作品社が八月一三日に発表した。  一九三五年東京都生まれ。東京大学大学院西洋古典学科修了後、仏ストラスブール大学で宗教学博士の学位を取得。ゲッティンゲン大学、ザイール(現・コンゴ(キンシャサ))国立大学、ストラスブール大学、大阪女子大学(現・大阪公立大学)などで教鞭をとる。著書に『イエスという男』『キリスト教思想への招待』『原始キリスト教史の一断面』など多数。二〇一七年には『新約聖書 訳と註』で毎日出版文化賞企画部門を受賞した。