2025/07/04号 4面

みえないもの

みえないもの イリナ・グレゴレ著 みや こうせい  イリナはルーマニア人。弘前大で映像を使い人類学を講じて異色。エッセイは時に「図書」で読んで、発想、言の葉に魅せられた。出自からも自然と交歓、樹木に一体感を抱き超常現象にひらりとなじむ。出会う事物をイメージに昇華する。魂、感性を培ったのは東欧の奥の細道の大自然。伝統、しきたりは祖父母から等身大の薫陶を享ける。映像に関わって、全てが吸収、失われると同時に新しいものの生成を知る。これ輪廻の淵の再生か。  イリナの〝あなたは私〟との感懐、人に同化し自分を探る属性に感じ入る。読書体験が披瀝される。映画を身をもって生きる人。イリナの感性を追体験する。読んだ本を自家薬籠中の物とする。アニメの巨匠ノルシュテインがよく口にするペレジヴァーニエなる単語が胸中に去来する。それは人の感性、生命を共に感じ生きること。オックスフォード版露英辞典にさりげなくfeelingとあって明快。ゆくりなく想うのは「星の王子さま」の有名な一節。〝ものは心でしか見られない。何より大事なのは目にみえないもの〟である。新約聖書のコリント人への手紙。「見えるものは瞬間で見えないものは永遠に続く」。サン=テグジュペリは巧みに換骨奪胎している。  『みえないもの』では、イリナの接した本がいくつも掲げられ、それに映像体験があざなう縄のように紡がれる。読み手は、著者とともに贅沢な至福の境地に遊ぶ。変幻自在の娘さんとのやりとり。ナメクジの立ち場でものした手紙に笑いの本願を遂げ膝を打つ。  イリナは自ら胸三寸へ振り子を降し、心情のありかを探針、求心遠心する。「反復すること、それは行動すること、ユニークで特異なものに対して行動すること」と宣う。世界はどこでも通底している。ルーマニアと日本は、途中、大陸をはねのけると全く隣り同士である。イリナの本を読んで、精神がはるばると飛翔、行く手が明るく開け、創造をうながす力を受け取った。未知の魂の深淵に拝跪する。  イリナの映像への言及に時に眩暈を覚える。彼女は、津軽の踊りをものして、虚空を裂く。心の律動は津軽とルーマニアのたましいを揺らす。「祈りの映像」はついに、みえないものを明らけく暗示する。身ぶり、おのずからなる所作への無意識裡の帰依である。祖父母は儀礼の所作の型をセピア色に血肉化していた。かつて、村の子供たちにとって、葬礼など通過儀礼は日常のことで、人々はそれを呼吸し情に富んでいた。他者への自らなる感応と、ひしとひたすらひたむきな一体化である。  ぼくは、イリナと出会う前から、写真、文章表現の上で偶然「みえないもの」を追っていた。撮った写真の奥底から五感を超えたイメージ、見えないものがよく迫り来る。  金子みすゞが身心をこめて謳うように「みえないもの」はあって、それは目に見える。「山家集」における西行の感懐ともつながり行く。彼はいみじくも、心の色はいかに、と切なく謳い我が身を問うている。  映像、それに文章はイリナの心のかたちに違いない。「みえないもの」に次々と展開するアフォリズムに喚起される。それは、こよなき創造へのいざないで、魂への熱のこもったことばの花束である。ぼく自身、ルーマニアの民俗をテーマに写真を撮って口には出さなくとも、あなたは私、私はあなた、私はあなたになりたい、とシャッターを押す。  恐山のイタコとも直ちに心を通わせるイリナは時空を難なく越える。彼女は、人の心と体の底から湧くイメージを、形に置き換える智慧の持ち主である。  イリナは、終始、人の魂について、また、真実について、愛情を込め語りつぐ。これまで視覚に収めた映像、また、心にとどめた幻像が言葉のシャワーとなり降り注ぐ。冷めてしかも熱いまなざしと、艶冶な情念の書である。イリナの内包するイメージが走馬灯となり、美と学問は世界を救うや否やと呟いた。(みや・こうせい=エッセイスト・フォトアート)  ★イリナ・グレゴレ=ルーマニア出身の文化人類学者・弘前大学客員研究員。青森県内を主なフィールドに、獅子舞や女性の信仰を研究する。キーワードはイメージ、自然観、死生観、有用植物、霊魂。著書に『優しい地獄』など。一九八四年生。

書籍

書籍名 みえないもの
ISBN13 9784760156306
ISBN10 4760156305