イギリス思想家書簡集 ロック
ジョン・ロック著
小城 拓理
ジョン・ロックという名前を聞くと読者はどのような人物像を思い浮かべるだろうか。おそらくイギリス経験論の哲学者や社会契約論の政治思想家といったイメージが即座に出てくるだろう。ロックが後世に与えた影響は巨大であり、それこそ歴史の教科書にも記されている。しかし、意外に思われるだろうが、ロック研究が本格的に始まったのは第二次世界大戦後のことである。それまでロックの親戚の子孫のもとに死蔵されていた遺稿をオックスフォード大学のボドリアン図書館が購入し、戦後これを公開したことがその端緒となった。そして、この遺稿に含まれていたのが本書で紹介される往復書簡の数々である。近世ヨーロッパの思想家たちは書簡のやり取りを通じて思索を深めていった。これを読むことは文字通り思想の軌跡をたどることに他ならない。したがって本書の出版はロックの知的営為を探るうえで画期的なものと言えるだろう。
本書は本邦初となるロックの書簡集である。その内容は現存する膨大な書簡の中から特に重要な一五二通を厳選し、翻訳したものである。本書は全八章から成り、第五章と第六章以外の書簡は時系列で、すなわち若き日のオックスフォード大学時代に書いた父への手紙から死の直前に友人に宛てたものまで収められている。これに対して第五章はアイルランドの思想家であり政治家でもあったモリニューとの往復書簡を載せている。モリニューとは認識論において有名ないわゆるモリニュー問題の考案者である。この章はロックの哲学、特に『人間知性論』の改訂の経緯を探るうえで不可欠である。一方、第六章はオランダの神学者であるリンボルクとの往復書簡がまとめられている。ここではロックの神学と自由意志を巡るやり取りが貴重である。
本書は六百ページ近くに及ぶため、ここでは内容を要約するのではなく、端的にその意義を述べたい。私見では本書の意義は二つある。第一に書簡を通してロックの人となりに迫れることである。今日、ロックは哲学者として知られているが、実は彼自身はれっきとした医者である。自然科学への造詣が深く、ニュートンとの交流もあった。ロックには科学者としての側面もあったのだ。また、ロックは激動の時代の中で政治の荒波に飛び込み、格闘する人間でもあった。ロックは国王と対立したシャフツベリ伯爵に侍医兼秘書として仕え、その依頼で『統治二論』を書き始める。そして、伯爵が政争に敗れた後は後難を怖れ、オランダでの亡命生活を余儀なくされた。当時の書簡からはロックの苦悩が読み取れる。哲学者というと部屋にこもって夢想にふけるイメージがあるかも知れないが、少なくともロックにそれは当てはまらない。
本書のもう一つの意義はロックの思想の形成が跡づけられることである。ロックは名誉革命後に帰国した五十代後半から多岐に渡る分野で著作を刊行し始める。しかし、書簡から窺えるのは、彼が取り組んだ問題自体は青年時代からのテーマであったことだ。例えば、近年ロックの新訳が立て続けに出版されるなど注目を集めている宗教的寛容の問題は若かりし頃のドイツへの旅がきっかけであった。つまり、ロックの哲学は早い時期から育まれていたのだ。以上のことから本書はロックその人はもちろんのこと、その哲学を解明するうえで必読の書になると言っても過言ではない。
最後に訳業についても触れておきたい。本書に収録されている書簡の多くは英語で執筆されているが、当時の知識人の常としてラテン語やフランス語のものもあるので訳者の労苦は想像に難くない。また、本書には読者のために様々な工夫が施されている。まず、各章の冒頭では書簡の時代背景が詳しく説明される。そして、全ての書簡には要約が付されており、懇切丁寧な脚注も設けられている。こうした工夫のおかげで読者は書簡の中でロックが当時の知的サークルを評すためにしばしば用いた言葉である「学問共和国(Respublica Litteraria)」の世界を旅することができるだろう。(下川潔・青木滋之・渡邊裕一・中野安章訳)(こじょう・たくみち=愛知学院大学准教授・哲学・倫理学・政治理論)
★ジョン・ロック(一六三二―一七〇四)=イギリスの哲学者・医師。イギリス経験論の父と呼ばれる。著書に『人間知性論』『統治二論』『寛容についての手紙』など。
書籍
| 書籍名 | イギリス思想家書簡集 ロック |
| ISBN13 | 9784815812041 |
| ISBN10 | 4815812047 |
