よみがえる美しい島
大川 真郎著
川尻 剛士
「住民はまたも大きな山を越えた」――。
本書において何度か繰り返し登場するこの言葉は、香川県豊島の住民たちが不法投棄された産業廃棄物をめぐって50年にわたり直面してきたいくつもの苦境と、その都度自らの意志でそれを乗り越えてきた歩みを象徴するものである。豊島の住民たちにとってまさしく「山」とは、行政の無責任な対応、業者との対立、島内の意見の衝突、公害調停による合意形成の困難など、住民たちが対峙せざるを得なかった数々の障壁のことであり、不法投棄された産業廃棄物そのものでもあった。
豊島では70年代半ばから90年代にかけて、産業廃棄物処理業者によって数十万トンにも及ぶ産業廃棄物が島の奥地に不法投棄された。住民たちは人的被害や環境汚染を生じさせうるこの動きに対してその当初より住民運動を組織して問題提起をしてきたが、行政や業者らによる重層的な「隠蔽の力学」(栗原彬)のもとで、対応の進展は90年代半ばを待たねばならなかった。
著者の大川真郎氏は、豊島事件の解決のために決定的であったこの90年代からの公害調停を牽引した「『強者』とたたかう」弁護士中坊公平氏に「一緒にやってくれないか」と依頼され、「豊島という島の存在さえ知らなかった」ところからこの問題に深くかかわった弁護士だ。それゆえ第三者的な観察者ではない。紛れもなくこの闘いの一部を担った当事者であり、住民たちの支援者である。本書はそうした立場からの貴重なドキュメントであり、著者によれば「弁護士として」の「私なりの総括」の書でもある。
本書が優れているのは、そうした闘いの経緯を時系列で丁寧にたどりながら、各局面で住民たちがどのような選択を迫られ、どのような方法で問題解決に近づいていったかを、弁護士としての実務の視点を含みつつ克明に描いている点にある。著者は弁護士として、住民とともに調停申立を行い、行政や業者、排出事業者らとの交渉に臨み、合意形成のプロセスに携わった。その中で、法的な制度の限界と可能性、当事者の声が制度を動かすことの困難さと希望を、身をもって経験してきた。特に「公害調停」という制度は、一方では、裁判よりも柔軟な解決を可能にする制度でありながら、他方では、調停が不調に終わるとただの失望に終わるリスクも孕んでいる。その中で、豊島の住民たちは「話し合い」の価値を信じ、時間をかけて丁寧な合意形成を積み上げていった。この過程をつぶさに跡づけた本書は、弁護団と一体となって自らの地域をいかに守っていくか、その一連の方法を、それを可能にした住民たちの精神とともに学びうる「住民運動のためのテキスト」ともいうべきものである。
最後の第4章は、産廃の撤去と無害化に至る住民たちの苦闘の歴史を踏まえ、本書のタイトルと同じく「よみがえる美しい島」と銘打たれている。いったん深刻に汚染された環境には不可逆的な被害を含んでいる場合が多いというのが日本公害史の教訓であるにもかかわらず、実際のその叙述においては、すべての問題があるとき霧散したかのような安易な問題解決史観に終始することが少なくない。ここでのタイトルも一見してそうしたことを予感させた。だが、評者の浅薄な期待はすぐに裏切られた。著者はここで紙幅の多くをいまなお残る課題の記述に充てている。「美しい島」とは、住民の絶えざる努力によって追い求められ続ける「問い」なのだ。
著者は、「地下水浄化が完了する日まで事業が続けられるということは、少なくとも、その間、豊島事件は過去の歴史的事件にならず、生き続けるのであろう」と指摘している。これからも豊島の住民たちには大小様々な「山」が現れるであろうが、その時どうするか。また、福島原発事故後に豊島の公害史がしばしば参照されているように、いうまでもなくこんにち「山」は豊島にのみあるわけではない。本書に盛られた豊島住民らの足跡と生きざまの中にすでに多くのヒントがあるはずだ。「前事を忘れざるは、後事の師なり」。私たちはいまこそ本書に学ばなければならない。(かわじり・つよし=山口大学助教・環境教育学)
★おおかわ・しんろう=弁護士。一九九一年四月大阪弁護士会副会長に就任(翌年三月まで)。一九九三年一一月から二〇〇〇年六月に公害調停が成立するまで、豊島産業廃棄物不法処理事件の豊島住民弁護団として活躍。二〇一〇年七月~二〇一三年四月、日本司法支援センター常務理事。一九四一年生。
書籍
書籍名 | よみがえる美しい島 |
ISBN13 | 9784535528581 |
ISBN10 | 4535528586 |