2025/12/26号 14面

彷徨

彷徨 インタン・パラマディタ著 柳沼 雄太  来たるべき未来を運動によって到来させることが可能であるのならば、我々は選択することに戸惑うことはないだろう。「選択をする」という能動的行為は、物語を享受するのみでは得難く、何某かの三次元的アプローチが必要である。『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』は、小説というテクストでありながら、時間を交錯させるという三次元的アプローチによって未来を手繰り寄せる行為を可能とするのである。  本書は、ジャカルタで英語教師をしている女性である「あなた」が、悪魔の恋人にもらった一足の赤い靴を履いて旅立つところから物語が始まる。あなたは気が付くとタクシーに乗せられ、ジョン・F・ケネディ空港に向かっている。空港のターミナルに到着した時に、ニューヨークの家に戻るか、警察にチケットの紛失届を出すのか、このままベルリンへ向かうのか、という選択肢が読者に提示され、読者が随意に選択したページから物語が展開してゆく。いわゆる「ゲームブック形式」で何通りもの読み方が可能な小説である。  本小説を読む際に、読者は随意にページを選ぶという〝運動〟を、テクスト上で行うこととなる。直線的に流れる物語にページを選択する読者の意志が付帯することによって、物語の時間は交錯する。本書ではページを選択する場面の先に物語が展開することがあれば、その場面の前に物語が展開することもある。時間が交錯することにより物語に緩急が生まれ、読者はこのストーリーにより引き込まれるのである。そして、この〝運動〟は、読者の身体性を増幅させる。「今の自分のままでいたくない」と願うあなたは、「冒険がしたい」と述べる。この物語は、あなたが今とは異なるあなたと出会うための移動の物語でもある。あなたが移動する時、読者の〝あなた〟の身体も物語ともに駆動し、本書の世界を彷徨し続けるのである。  〝あなた〟と呼びかけられる二人称の代名詞に、読者はほとんど自然に自らを重ね合わせることができる。それは英語教師であるあなたの代わりではなく、〝あなた〟と呼びかけられた読者そのものに、物語が全幅の信頼を置いているからであり、物語から与えられた身体とリンクするように物語自体も〝運動〟してゆく。  〝運動〟してゆく物語の途中で、あなたは様々な人物との邂逅や別離を経験し、その度に「境」を越えながら彷徨する。ベルリンやロサンゼルス、アムステルダムなど。その度ごとに章は閉じられ、新しい章へあなたは移行してゆく。ともすると壮大に拓かれた冒険譚のようにも捉えることはできるが、ここに描かれる群像は、ごくありふれた人間の様相を映し出す鏡でもある。親子や友人、男女関係に悩む人々が、あなたを通り過ぎてゆく物語は、我々が生きる現実においてそれぞれに交錯し得ることである。それらの交点の数だけ物語は存在し、多様性という概念を育む。互いが互いの物語を生きることの先にあなたが摑み取ろうとしている自由があるのではないだろうか。  それらの多様性を容認することが、「選択しないことを選択すること」であるのかもしれない。自らが選択しなかった選択肢を自分ではない誰かが選択することによって、それぞれの未来が到来する。そして、本書は、到来する未来を、読者が随意にページを選ぶという〝運動〟によって具現化している。読者の意志により、選択された〝運動〟の先にこそ、来たるべき未来がある。  どこに向かうのか分からない電車に乗っているあなたに、ガートルードはこうささやく。「問題なのは、そこにたどり着いたら、もうそこにはそこがないってこと」と。レールの上で選択の余地をなくした未来は、あなたにとって不如意なものとして存在する。その未来は、あなたが求める未来ではないだろう。意志により進む〝運動〟こそが、先にある未来を照射する光となる。本書で描かれる彷徨が光源となる時まで、〝あなた〟も彷徨を続ける。(太田りべか訳)(やぎぬま・ゆうた=書肆 海と夕焼店主)  ★インタン・パラマディタ=インドネシア西ジャワ州生まれ。シドニーのマッコーリー大学で教鞭を取るかたわら、フィクション作品を発表。国内外でフェミニズムや文芸をめぐるさまざまなイベントに携わっている。一九七六年生。

書籍

書籍名 彷徨
ISBN13 9784393455135
ISBN10 4393455134