2025/03/28号 5面

ユダヤ人の女たち

ユダヤ人の女たち マックス・ブロート著 川島 隆  マックス・ブロートの名は、カフカ文学に少しでも関心のある人間なら、誰でも知っているだろう。そして、カフカの生前にはブロートの方がずっと知名度が高い作家であったことも。親友カフカの死後に遺稿を編集して出版し、第二次世界大戦後に世界的なブームが起こるお膳立てをしたが、その反面、自分自身はほとんど読まれない作家の地位に転落してしまったことも、よく知られている。だからこそ、ブロートがいったいどんな小説を書いたのか気になったことがある人も少なくないのではないだろうか。  そんな人にとって、本書の刊行は朗報である。『ユダヤ人の女たち』は一九一一年、作者が二十七歳のときに世に出た。初期ブロート文学を代表するこの長編小説を日本語で読めるとは、とても贅沢な機会だと言うしかない。しかも本書には訳者の中村さんの手で詳細な訳注・年譜・解説が付されており、資料的価値を大いに高めている。この本が一冊あれば、ブロートとは誰かを知ることができるだろう。中村さんは、ブロートその人も深く関わったプラハのシオニスト週刊新聞『自衛』の研究の日本における第一人者である。そのため、解説では特にブロートとユダヤ民族主義の関わりについての記述が手厚く、読みごたえがある。もっとも、『ユダヤ人の女たち』作中にはユダヤ民族主義者は出てこない。逆に、「ユダヤ人の自己嫌悪」をこじらせてアーリア人種至上主義者になった人物ならば脇役で出てくるので、これはちょうど作者がシオニズムに目覚める直前に書かれた小説なのだとの解説が腑に落ちる。  物語の舞台は、ドイツ国境に近い地方都市テプリッツ(チェコ名テプリツェ)。ヨーロッパ中から湯治客が訪れる温泉地である。この町の出身のフーゴーは十七歳のユダヤ人青年で、現在はプラハの学校に在籍している。その彼が夏休みに帰省して体験した一夏の恋が、この小説では情感たっぷりに描き出される。ジェイン・オースティンの『説きふせられて』やチェーホフの『犬を連れた奥さん』の流れを汲む保養地小説の王道を行く作品だ。フーゴーが恋するユダヤ人女性イレーネは十歳ほど年上で、かつて結婚を目前に経済的な理由で婚約破棄を体験したが、まだ元婚約者に気持ちが残っている。そんなイレーネに片想いするフーゴーが目下の恋敵として警戒するのは、地元の有力者ヌスバウム。やはりユダヤ人だが、キリスト教徒の女性と結婚したためにユダヤ人共同体から追い出されたという過去を持つ。このヌスバウムが企画した人民集会が、物語全体の山場となる。  この小説の魅力は、女主人公イレーネの人物造形に尽きる。彼女は英語を流暢に操る一方でギリシア語の知識も備えた教養ある女性で、ベルリンの社会福祉事業家アリス・ザロモンのもとで学んだこともあるという。ただし、フェミニズムに対しては距離を置き、「解放された女」と見られることを嫌っている。手に職をつけて自立するだけの能力と知性を持ちながら、女性は仕事をするなという有閑階級のジェンダー規範のために自縄自縛に陥っているイレーネの複雑な立ち位置を象徴するのが、女は男を暖める「太陽でなければならない」という彼女の口癖だ(本書の五七頁では「男が太陽でなければならない」と訳されているが、これは主語を取り違えたがゆえの誤訳である)。そんな葛藤の結果、彼女はフーゴーを相手に自分の周囲の人々、とりわけ同じユダヤ人の女たちにたえず毒舌をふるうことでかろうじて自分を保っている。  女性の崇拝者を自任しつつ、実は自分の頭の中にある、「やわらかで、気立てのいい、慈愛に満ちた」存在としての「理想の女」(二一〇頁)にしか興味がないフーゴーには、イレーネが抱えている生きづらさは分からない。さらには、フーゴーに強く自己投影しているブロート自身もまた分からないまま書いていたふしがある。自分が理解できないものまでもリアルに描き出し、その背後にある社会のひずみを垣間見せるのは、リアリズム文学の優れた書き手であったことの証左である。そして、まさにその点に、ブロートがカフカになれなかった理由があるのだろう。(中村寿訳)(かわしま・たかし=京都大学教授・ドイツ文学)  ★マックス=ブロート(一八八四―一九六八)=チェコスロヴァキア・イスラエルの文筆家、音楽評論家、作曲家。一九三九年にパレスチナに移住。最もよく知られている業績は、カフカの友人兼助言者、遺稿編集・紹介者、伝記作家としての仕事である。

書籍

書籍名 ユダヤ人の女たち
ISBN13 9784864883139
ISBN10 4864883130