2025/09/12号 3面

生政治の裏面

生政治の裏面 エリック・ローラン著 赤坂 和哉  『生政治の裏面 享楽のためのエクリチュール』というタイトルを冠した本書は、生政治による管理社会からはみ出ていく享楽を扱った、現代ラカン派の書物である。  本書を手にするだろう読者、つまりラカンや精神分析に興味がある人々は、近年この「現代ラカン派」という文字を目にすることが多いのではないだろうか。現代ラカン派は、端的にはラカンの後期や最晩年期の教育活動をベースにしており、現代ラカン派の議論の中心は、ファルス以外を用いて享楽の現実的なものをどのように調整するのかという点にある。そのため、これまで出版されてきた日本語で読めるラカン関連の書籍でラカンの前期や中期を軸にラカンを理解してきた人々にとっては、現代ラカン派の書籍は一読ではストンと頭に入ってこない部分が多々あるように思う。  ちなみに、後期ラカンは、セミネールの編纂者として高名なジャック=アラン・ミレールによれば、セミネール22巻『R.S.I.』からセミネール27巻『解散』までであり、その中で特に最晩年期は、セミネール24巻『無意識の不成功、それは愛を知る/一つの失敗からわかる知られざるもの、それは愛である』とセミネール25巻『結論のとき』とされている。  最晩年期を含めた後期ラカンに関して、その時期のセミネールには随所にトポロジー的図形がちりばめられ、また語られた内容も多くないこともあって――実際にこの頃のセミネールはいわゆる海賊版などを見ても年を追うごとに束幅が薄くなっていく――、ラカン研究者のなかには〝臨床との接点がなく役立たない〟と考え、後期ラカンを重視しない者も多い。  しかしながら、本書の著者であるエリック・ローランは、ミレールとともに、フロイト大義派(École de la Cause freudienne:ECF)(以下、「エコール」)やエコールを中心とした国際的な組織である世界精神分析協会(Association Mondiale de Psych-analyse:AMP)で、後期ラカンの読解に力を注いできた人物であり、実質のエコールのナンバー2である。ローランは本書で、セミネール23巻『サントーム』を中心に据えて、後期ラカンを深く掘り下げ詳細に論じており、その点で本書は現代ラカン派へ接近するための最良の書の一つと言っていい。  例えば、本書の中には、次のようなラカンの概念が登場する。バルトやデリダが提示したものとは違う「エクリチュール」、観念や表象を持たない空集合としての「身体」、ランガージュ以前のラングである「ララング」、フロイトの無意識が置き換えられた「話存在」、自我とも無意識の主体とも合致しない「ロム」、解読される症状とは異なる「サントーム」、サントームとは別様に主体を支える「脚立」、欠如とは異なり主体に固有な道を生み出す「孔」、特異性に結ばれている「孤立無援の〈一〉(〈一者〉)」等である。  私たちがこのような後期ラカンに関する貴重な書籍を日本語で読むことができるのは、1972年の邦訳『エクリ』第1巻刊行を経て、1980年代や1990年代に訳書も含めたラカン関連の書籍の多産期を支えた第一世代から、直接的ないし間接的な影響を受け、フランス留学等を通して2010年前後から頭角を現しはじめた第二世代の活躍に負っている。  この第二世代における一つの到達点が、AMP傘下の新ラカン派(New Lacanian School:NLS)で福田大輔氏や森綾子氏が実際的な意味で初めてラカン派の精神分析家としてアサインされたことである。本書の翻訳を手がけているのはその福田氏であり、福田氏は森氏らと、学派分析家(Analyste d'école:AE)にも任命されたエレーヌ・ボノーの精神分析事例集も訳しており、今後とも現代ラカン派の本格的である意味では硬質な書籍を日本に紹介してくれるだろう。私たちは今そのような僥倖に恵まれた時代を迎えている。(福田大輔訳)(あかさか・かずや=函館短期大学准教授・心理・分析キャビネ代表/臨床心理学・精神分析)  ★エリック・ローラン=フランスの精神分析家。ジャック・ラカンに精神分析を受け、パリ第8大学精神分析研究科臨床部門で教鞭をとる。フランス語の論文は三〇〇本を超え、十か国語以上に翻訳されている。

書籍

書籍名 生政治の裏面
ISBN13 9784796704038
ISBN10 4796704035