書評キャンパス
森鴎外『渋江抽斎』
山形 悠
『渋江抽斎』は名作だ。しかし、一般的には評価が分かれている作品である。
漢語が頻用される文語体は現代の私たちにとって、すぐに意味を理解することが難しい。また、本書は小説でありながら史伝としての性格が強く、語りが淡々としており起伏が少ない。それでも、抽斎の生涯に関わる人物を綿密に調べ上げ粛々と叙述する森鷗外の文章力はやはり素晴らしく、高く評価する声も少なくない。
とはいえ、筆者が『渋江抽斎』を名作であると断言するのは文章の巧みさだけでは無い。本書は文学作品である一方で、医学史においても特異な意味を持っている。抽斎は森枳園とともに考証学派として日本最古の医学書である『医心方』をはじめ、多くの医学書を復刻し、医学史にとって非常に重要な足跡を残した。鷗外は渋江抽斎という人物を通じて、当時の医師の人間関係や、医学書の復刻を巡る物語を描き出すことに成功している。さらに本書は抽斎の史伝であるが、森枳園や実子の渋江保、抽斎の家族など多様な人物の史伝集でもある。
本題からはズレるが、筆者は本書を読む以前から登場人物の一人である森枳園の名前だけは知っていた。筆者には医学史研究を志したきっかけとなった恩師がおり、その恩師がとあるインタビュー記事で尊敬する人物として「森枳園(森立之)」の名前を挙げていたのだ。本書にはそんな枳園のことも度々登場する。
抽斎と枳園の性格は対照的であり、本書の中では共通の趣味である観劇について、抽斎は演技を客席から静かに見て楽しむタイプだったのに対して、枳園は役者のセリフを学んで舞台に登ってしまうような行動的な人物として描かれている。本書を読んで、むしろ抽斎よりも枳園の常識に囚われない姿に興味を抱いた。
また、『渋江抽斎』は「その一」から「その百十七」の小見出しに分かれているが、本文の約半分にあたる「その五十三」で抽斎はこの世を去る。抽斎の死後は、渋江保や妻の五百、森枳園などの話がこれまでと同様に淡々と続いていく。このような余白の多い構成は、鷗外が意図的に狙ったものだろう。読者は抽斎の生涯と「その後」を辿ることで、同世代を生きた多くの人物の人生や、医学に関する出来事を辿ることになる。
本書は鷗外が抽斎に関心を抱き、保との出会いによって作成された。本書が刊行されるまで抽斎は無名の人であったし、本書中でも主人公であるにもかかわらず際立った特徴に乏しく、存在感は控えて描写されている。しかし、医師であるにもかかわらず哲学書や歴史書を読み、詩文を賦し、学問に対する態度は誠実だった。そんな抽斎のことを鷗外は本文中で「抽斎を親愛することが出来るのである」と高く評価している。
鷗外が先人達の医学への取り組みを掘り起こし、それを継承しようとしたその姿勢こそ、筆者が本作品が名作であると感じる最大の理由である。