性的であるとはどのようなことか
難波 優輝著
難波 優輝
「性的」という言葉は、一方でとても暗くて、じめじめしている。「性的なもの」というのは、差別や抑圧や不道徳のニュアンスを感じさせる。確かに、性的なものというのは、語るにはとても厄介なものだ。私たちは、性的なものについては、できれば外では語りたくない、と思わせる。だが、それはなぜなのだろうか。なぜ私たちはおしゃべり好きなのにもかかわらず、とりわけ性的なものについて語ることを難しく思うのだろうか。
私自身は、性的なことについて、研究者としてのスタート地点からずっと関心をもって語ってきた。大学院に入ったときに、教員に「『ポルノグラフィのなにが悪いのか』論じたいんです」と言ったとき、「いやあ、難しいところにいくねえ」と心配いただいた。学会発表のときにも、たんに性的なものを非難するのでも、居直るのでもない仕方で論じていきたいのだ、という心構えをいかに初対面の人々に伝えられるか、試行錯誤しながら語り方を考えていた。
いまもまだ、性的なものについてどう語りうるのか、どう語れば、誰もが性的なものについてのびのびと語れるようになるのか、模索し続けている。
『性的であるとはどのようなことか』という本書を書き終えて、性的なものについて、自分の実感に基づきながらも、しかし、自分の経験を絶対視せず、さらにまた、研究や文学の語り口に引きずられすぎずに、生活と抽象的な思考のあいだで、語ることはできる、と感じられるようになった。この試みは、自分自身の文章の書き方や語り口を鍛えることにもなり、その楽しさも知った。
こうした、性的なものをめぐる語りを、口を噤むことなく語り続けることは、私にとっては、世界中を吹き荒れる「誰が誰の敵なのか味方なのか」の分断のゲームの一つに対して、そのゲームを内側から破壊するための言葉や概念を語り続けること、そのやりがいある実践でもある。
特に、本書では、性的なものの根源にあり、もっと語りづらい、「えっちなもの」について論じた。エロティックなものについては、様々な文学者が論じてきたが、しかし、それらは、まだまだ肩肘張っていて、日常的な私の経験とは、ずれていると思った。それゆえ、私は、えっちなもの、という言葉を意識的に使って、私たちが魅了される、えっちさについて考えた。
私は、えっちなものを愛している。えっちなものは、ヴィーナス像にみられるような完璧さだけではない。どこか崩れていて不完全なものにも見出される。私は、芸術作品や人間の姿のうちにある、この完全さと不完全さを併せ持つ、えっちなものに魅了されてきた。そしてこの先も、魅了され続けるだろう。
私は、人間というものを知りたくて研究をしている。そして、えっちなもの、というのは、人間の根源に潜んでいる力だと思う。それゆえ、えっちなものについて、これからも様々な仕方で論じていきたいし、論じられたものを読みたい。『性的であるとはどのようなことか』を読んだ人々もまた、同じく、この楽しい取り組みに参加してくれればうれしいと思う。(なんば・ゆうき=美学者・会社員)(二一六頁・九九〇円・光文社)
書籍
| 書籍名 | 性的であるとはどのようなことか |
| ISBN13 | 9784334108199 |
| ISBN10 | 4334108199 |
