NHKの電子音楽
川崎 弘二著
松井 茂
川崎弘二の研究は、分母をつくる仕事である。勘違いしている方々を正しておきたいのだが、川崎の書籍は資料集ではない。その偉業は、もちろんページ数の総量でもない。そもそも、川崎の書籍を資料集と考える向きは、おそらく研究をしたことが無い人々だと思う。本稿では、「分母をつくる仕事」の意味を明らかにしたい。
一九九七年に水戸芸術館で「日本の夏1960-64 こうなったらやけくそだ!」のギャラリー・パフォーマンスで、小杉武久(一九三八〜二〇一八年)の演奏会に接したことを契機に、川崎は電子音楽の研究を本格化させる。磯崎新(一九三一〜二〇二二年)が企画監修した同展は、早くも忘却されつつあった戦後日本美術の検証と、再評価のメルクマールのひとつであった。展示は資料を多く含み、関連イベントにおいても、パフォーマンスの再演、再現を含む一方、美術関係、音楽関係、演劇・文学関係のインタビューを同展のために収録し、歴史的な証言を展示したことが特筆される。
私見だが、同展は椹木野衣(一九六二年〜)の『現代・日本・美術』に影響を与え、「悪い場所」という言説の確立に大きな貢献を果たしたと思う。そして川崎の研究は、多くの作曲家のインタビューを収録した『日本の電子音楽』(愛育社、二〇〇六、〇九年)に結実する。その精華は、『武満徹の電子音楽』(アルテス、二〇一八年)を通じて、「現代音楽」というワードを、本来その下位項目にあった「電子音楽」と置換する言説を育み、新刊『NHKの電子音楽』にいたり、二〇世紀の音楽観を刷新したと言える。
もうすこし嚙み砕いて説明すれば、椹木が針生一郎(一九二五〜二〇一〇年)と千葉成夫(一九四六年〜)の戦後日本美術観を更新したように、川崎は秋山邦晴(一九二九〜九六年)が『日本の作曲家たち 戦後から真の戦後的な未来へ』上・下巻(一九七八、七九年、音楽之友社)等で提示してきた、日本の現代音楽観を更新したのだ。つまり、秋山が「戦後的な未来」と補足した音楽を、「電子音楽」と言い換える作業であり、川崎の約三〇年間にわたる研究は、新たな音楽史を記述する年代記の試みなのだ。それが冒頭に述べた「分母をつくる仕事」に他ならない。
これはクラシック音楽の歴史的系譜に位置付けられる「現代音楽」を切断する行為として行われた。言わばメディア考古学に基づいて、二〇世紀に変化した音楽のあり方、オーディオに媒介されたメディア環境に注目した相対化であり、これを「電子音楽」と再定義したのだ。この更新は、未完に終わった秋山による映画音楽史の衣鉢を継ぐことでもある。前著『武満徹の電子音楽』において、映画音楽のみならず、同じくマス・メディアであるラジオ、テレビによって放送された作品を武満のプロフィールに再配置し、これまでとまったく違う描法の肖像画を描いた。
続く本書では、NHKという放送局の歴史記述を通じて、大文字の「音楽」と決別し、「電子音楽」を分母とする新たな研究の枠組みを作り直した。極論すると、オーディオに媒介された音響体験のすべてを「電子音楽」と定義し、これまでの音楽とは異なるメディア環境が主題となったことを静かに、大胆に主張している。特に、関東大震災以後のNHKの成立がもたらしたメディア技術の経験が、音楽を変化させていく様を詳述した、編年体による一九二五年から一九五〇年代の記述には驚愕するばかりだ。この時期のすべてを電子音楽だと述べているわけではないものの、本書前半のメディア論的転回は、洋の東西を問わず、クラシック音楽の終焉を記述しているだろう。
これでもまだあなたは、本書を資料集と呼び、その厚みだけに注目するのだろうか? 川崎が果たした無血革命、電子音楽による音楽へのそれに、さすがに気づくべきときがきている。換言すると、川崎によって知らず知らずのうちに、誰もが電子音楽の概念をすり込まれたのだ(悪く言えば、その情報だけをつかまされているかもしれないのだが・苦笑)。
一九九七年以前、電子音楽がこれほど普遍的に語られることなどなかったのだから……。きっかけを提供した、小杉武久という音楽家の傑出した表現が、ひとりの研究者に憑依し、新たなパラダイムを形成したことに驚嘆する。(まつい・しげる=詩人・情報科学芸術大学院大学[IAMAS]教授・メディア表現)
★かわさき・こうじ=批評家・音楽家。著書に『日本の電子音楽』『黛敏郎の電子音楽』『日本の電子音楽 続 インタビュー編』など。一九七〇年生。
書籍
書籍名 | NHKの電子音楽 |
ISBN13 | 9784845925049 |
ISBN10 | 4845925044 |