日常の向こう側 ぼくの内側 No.700
横尾忠則
2025.7.14 首の痛みは不気味に安定している。
天気予報の雨がはずれた間に早々アトリエへ。
くたびれて絵が描けない日はメールで友人、知人に送る。返事が来ても来なくてもいい。
2025.7.15 〈アトリエ内の出来事。西洋人だが人間でない別の生命体らしい彼等が科学者であることはわかる。ぼくの肉体に何かを施そうとしているが別に恐怖は全くない。が相変らず首が痛く〉その感覚で目を覚ます。以前ホテルで休息中に突然、異なる場所に転送(テレポート)されて首にチップを挿入されたことがあるが、今日の夢はそれに近いものを感じる。
来客が続くと不安定になるが、今日みたいに誰も来ないと誰かに会いたくなる。
2025.7.16 〈ガラーンとした倉庫の中でダンサーの真似事をして踊っている。そこへ外人の女性が入ってきた。彼女はどうやらプロのダンサーらしく、目の前で優雅に踊り始めた。次の日、ぼくはこの倉庫から出ることになった。それを知った彼女は急に接近してきたが、「ぼくはもう二度と来ない。実はぼくはこの世界の人間じゃない」と自分でもびっくりするような言葉が口から出た〉という夢を見る。
大谷のファンだが、フリーマンの人間性に惹かれる。大谷も彼を尊敬している。
2025.7.17 〈瀬戸内さんの家に行く。大勢の女性ファンが集まっていて朝食が始まろうとしているがぼくにはお茶が出ただけ。歓迎されていなそうなので帰る〉夢を見る。
次の夢も瀬戸内さん関連の夢で〈瀬戸内さん担当の編集者が、「この瀬戸内との仕事はなかったことにして下さい」と断られる。何故か気分がスッキリして晴々する〉夢を見る。
世田谷美術館の「連画の河」の個展が終って、カタログに文章を書いてもらった建畠晢さんと学芸員の塚田さんと、アトリエで椿のとんかつを食しながらささやかな打上げをする。建畠さんの体調の話など、また美術館の館長に女性が目ざましい現象が起っているとか。特に興味があったのは日本の古典の朗読を片っぱしから聴いているという話は刺激的だが、難聴のぼくには無理だ。
2025.7.18 片岡我當さん死去。彼の弟の故秀太郎さんとは友人だったので我當さんとも会って、超常現象の話題に盛り上ったことがある。
また和泉雅子さんも死去。60年代にTBSの「ヤングオーオー」の番組でお互いにレギュラーのゲストだった。まだ彼女が十代だった頃だ。こうも次々友人、知人が逝くのを眺めていると人間は死ぬために生まれてきて、死ぬのは当然のことと認識させられる。この最後の体験を経験するために、今日は生きているという変な実感に襲われる。
革ジャンのメーカーの若いオーナー小松雄二郎さんがド派手な革ジャンを沢山持ってきて、これらとは別のアートとしての革ジャンに装飾してくれないかと、装飾過多のサイドカー付きのバイクでやってくる。
2025.7.19 〈郷里の蓬莱座の前の空地の露店で、ぼくの贋作を売っている男がいる。中々いいのがあって感心する。よく売れているらしいが、ぼくはすでに画家を引退して映画監督に転向していたので、別に絵に未練も執着もない〉という夢を見る。
早朝、鍼の治療を受ける。
保坂和志さんが来る予定だったが咳が止まらないので中止。予定変更があるとなぜかしたいことが起こる。
2025.7.20 内臓が変。もしや首の痛み止めの3種類の薬の副作用ではと服用を中止する。
平野啓一郎さん来訪。明日から家族4人でニューヨークに移住。行動する作家としてニューヨークの空気を届けてもらいたい。彼の不在は寂しいが、思考の拠点が海外にできたと思えば大歓迎だ。
首が少々安定したと思って制作すると、やはり首に負担がかかるのか首に石を乗っけたようだ。
大谷が33号打つが、ドジャースは敗け。(よこお・ただのり=美術家)