2025/05/02号

日本人の死生観Ⅰ・Ⅱ

鎌田東二著『日本人の死生観Ⅰ・Ⅱ』を読む
 本書は霊性(スピリチュアリティ)論の研究者であり、実践者である鎌田東二氏が、自らの末期がんという状況を引き受けながら綴り続けた、事実上の遺作ということになる。第一巻は「霊性の思想」、第二巻は「霊性の個人史」。各巻の「序章」と「あとがき」を筆頭に、彼は自分の生命が今まさに尽きんとする現実に向き合いながら、霊性をめぐる思考を深めていく。  第一巻は二〇〇七年から二〇一五年にかけて書かれた著作を軸に、「序章 安部公房と三島由紀夫の比較から始める」において、神道やスピリチュアリティの研究を戦後日本のアクチュアルな文脈に接合し、「第一章 「霊」あるいは「霊性」の宗教思想」から「終章言霊と神道」、さらに「あとがき—出雲系死生観」「補記 出雲魂ルネサンス」と、自身の思想的系譜を出雲神話の流れに求めていく。その中で、神道を軸とした日本の宗教史の系譜あるいは到達点を、次のように規定する。 日本という「自然風土」の中で形成されてきた「神道」と、その影響もしくは濾過作用によって変容し続けてきた「日本仏教」。そして。その両者の集合形態としての「修験道」。日本の宗教文化は賑やかで豊かで面白い。その日本宗教文化の根幹に「言霊」の感受とはたらきと思想があるのである。(Ⅰ・230頁) それは至極穏当な、日本宗教史における神道と仏教の理解であるが、それを自分の体験を通して、神道と仏教の接合、そして言霊の表出として実践してきたところに、氏ならではの霊性論の特色がある。  さらに、「「国つ神」の「神道神学」」として、「いづもごころ・いずもだましい」の復活と「やまとごころ・やまとだましい」との統合・再結合、すなわち「国譲り」から「国合わせ」「国祈り」の道、これが「新(真)まほろばの道」であると述べる(Ⅰ・244頁)。万世一系を説く天皇家の皇統ではなく、スサノヲやその流れを汲むと称する大本教の出口王仁三郎や平田篤胤など、天皇家に征服されてきた土地神を信奉する点で、鎌田氏の霊性論は異彩を放っている。  第二巻では、「序章 極私的随想」「第一章 死に臨む」「第二章 死と死後について――宣長と篤胤の死生観」から、「第四章 『グリーフ』と『ウソつく心』」「第五章うたのちから――ピタゴラス教団の合唱と『古事記』『平家物語』と『ガン遊詩人・神道ソングライター』のうた」を経て、「あとがき――臨終に向かう過程で」「補記鎌田家人生会議覚書」へと帰結する。そこで、氏の人生と信仰、そして死に向き合う過程が実存的に語られる。  鎌田氏は生涯を通じてスピリチュアリティをその思想と生活の中核に据え、儀礼や芸術を通して霊性を探究してきた。その彼が、自らの死を前に語るとき、どのような言葉を選び、どのような沈黙の前に立ち止まろうとしたのか。本書は、そうした氏の姿勢を如実に物語る著作である。たとえば、彼は東日本大震災以降、注目されてきた傾聴行為を、自らの霊性論の観点から次のように捉え返す。 「傾聴」と表裏を一体なす「語り尽くし」がなければ、菩提の供養は成就しない。ここにおいて、「痛み」は痛みとして受け入れられ、「諸行無常」の出来事として諦念と共に受容される。(Ⅱ・185―186) 鎌田氏の霊性の営みは、思想と身体を一体化させる実践としてあった。それは京都の山中での祈り、修験的な歩行、夜中の錫杖やほら貝の音となって結晶する。そして、「詩、広く芸術は本質的にケアの力を潜在させ、その前に立つ孤独な人の心と霊性に微妙にかつ深遠にはたらき続ける」(Ⅱ・143頁)と語る。  その語りには、総じてある種の明るさがある。「ガンになって悲嘆(Grief)を感じたことはない。むしろ感謝を強く感じ、死ぬまで『遊戯三昧』でいきたい」(Ⅱ・193頁)。突き抜けた明るさとしての笑いを霊性の実践に求めてやまなかった。フォークギターを片手に信心を言霊に乗せる「神道ソングライター」、そして「ガン遊詩人」もまた、その言葉遊びを含めて、本人からすれば、こうした神からの招きに応じた行為に他ならなかった。  鎌田氏はスサノヲや王仁三郎の本質を、文化人類学者の山口昌男が言うようなトリックスターに見出し、自らを笑うことで、既存の文化価値、高天原の神を中心とする既成神道のあり方も含め、その転倒を推し進めようとしてきた。それが、神道という信仰の形式を通して表出される以上、個人信条や感情を越えた次元での表現になる。 日本の「伝統」には方法がない。…ただししかし、「結晶体」だけはある。それは基本的に主体とか自己表現という「個人」的な過程とは異なる。「個」ではなく、〝道〟ともいうべき「伝承すべき至上理念」があって、そこに向かって伸び育っていって…何かを「つかむ」。だが、そこで終わる。だから、「結晶体」は残る。(Ⅰ・49頁) そこには、「謎めいた他者」という主体のなかに、自己が位置付け直されていく、西洋的な個人主義を超えた個人の再定位の試みが見て取れる。そこに個人の「心直し」が、社会の「世直し」をもたらす秘訣も存する。民衆思想史家、安丸良夫がつとに指摘するように、通俗道徳は社会批判の論理を胚胎しにくいとしても、だ。神道の再定義であり、評者であれば「捉え直し(リターン)」とでも呼ぶような、神々の受肉化の試みともいえる。  しかし、そうした語りの強さがあるからこそ、私は本書を読んで強い「不在感」も抱いた。語られているのは「自分の死」であり、「自分の生」である。鎌田氏の語りは、思想と実践が交差する言葉として尊い。しかし、それでもなお、私は氏に問わねばならない。「その語りは、誰に届こうとしているのか」と。「その言葉は、語られなかった沈黙に応答しているのか」と。  語りとは本来、他者の存在に開かれた空間を要するものだ。とりわけ、「死」をめぐる語りにおいては、他者の不在と喪失にどう向き合うかという姿勢こそが問われる。東日本大震災の被災地・福島では、今もなお遺骨が見つからず、沈黙のなかに朽ちた死者が多数いる。彼らの死は物語にならず、沈黙の時間に埋もれている。生き残った遺族たちもまた、声を回復することができずに苦しむ。こうした状況下においては、「語ること」はしばしば暴力性を帯びる。死を「完成」として語る営みは、語りえぬ存在を覆い隠してしまう危険をはらむからだ。  私は、そうした「届かぬもの」に思いをめぐらせながら、十何年もの歳月をかけて、無人の廃墟を歩いてきた。福島の帰還困難地域、水俣湾の埋め立て地、あるいは在日コリアンや被差別部落の記憶が息づく諸々の場所。語られることのなかった死者にまつわる記憶が、土に沈み、空気に溶けあう。私が出会ってきたのは、死を語る人々ではなく、死を語れぬまま生き続ける人々だった。彼らにとって、死とは断絶であり、裂け目であり、慟哭であり、語りの完成などはありえない。  沈黙に沈んだ人々の姿に学ぶとき、「語り」は、声を持たない者に向かって差し出される「応答なき応答」となる。語りえぬものへの応答。それこそが、霊性論の極点にある「死の思想」だと私は思う。死とは、「私」がどう生きたかを語る物語ではない。「あなた」がいかに語られなかったかを抱えることでしか開かれない場なのだ。  鎌田さん、あなたの語りの形式を越えて、あなたの死の思考を沈黙の死者たちへと私が手渡していこう。その学問と実践の交差する道を、「同行二人」(Ⅱ・211頁)よろしく、私もまた命ある限り。歩き続けたいと思う。  鎌田さん、どうか安心して旅立ってください。誰にも知られず、拍手もされず、ただ廃墟の空に溶けていく声々――それが、本当に誰かを救うこともあるのです。(いそまえ・じゅんいち=国際日本文化研究センター教授・宗教学・批判理論)  ★かまた・とうじ=京都大学名誉教授・宗教哲学・民俗学・日本思想史。著書に『翁童論』『神界のフィールドワーク』『霊界の文学誌』『悲嘆とケアの神話論』など。