2025/05/23号

統一戦線論

統一戦線論 石川 捷治著 東原 正明  近年、ヨーロッパ諸国では右翼政党の勢力拡大が著しい。ドイツやオーストリアでは極右政党が国政選挙で大きく議席を伸ばしており、政権入りの可能性が語られるまでの事態に至った。しかし、各国政治が突如として、急速に右傾化したわけではない。この状況に強い警戒感を持って臨むことは必要であるとしても、右傾化の起点をいつの時代、どの段階に求めるかは十分な検討が求められる。特に、第二次世界大戦時にはファシズム国家・日本と同盟関係にあったドイツやその一部であったオーストリアにおける政治の現状は、ナチズムの過去との関連において注視しなければならない。  では、私たちは、このようなヨーロッパにおける政治動向を他国の現象として考えてもよいのだろうか。本書はむしろ、日本も同じく大きく右傾化し、ファッショ化が進行しているという現状認識のもとにまとめられた貴重な研究成果であると言える。著者の述べるところ、「へんてこりんなごった煮」の本なのだそうだ。しかし、そのような表現とは裏腹に、現代日本、そして世界の政治状況に対する強い危機感を表明するとともに、それを乗り越えるための道筋を示そうという試みこそが本書の持つ意義なのではないだろうか。  序章と第Ⅰ部は、歴史上登場した統一戦線(その定義についてはのちの述べる)について検討を加えている。具体的には、戦間期ワイマール共和国に結成された二つの統一戦線(「反カップ統一戦線」と「反クーノー統一戦線」)である。ドイツ共産党内部での議論やその活動を中心に据えた政治史的分析を通じて、国内的には同党が社会民主党と共闘する可能性の有無が問題となる。一方、各国共産党を指導するコミンテルンがドイツにおける統一戦線をどのように認識し、革命達成の道筋をどのように描いていたのかという点もまた、統一戦線現象を考える上で不可欠の要素である。この分析から明らかにされるのは、統一戦線が成立するための条件や種類、成立する政治情勢などである。これら二つの統一戦線は様々な課題を残しつつも、一定の成果をあげた。しかし、ヒトラー率いるナチ党の権力掌握に対して統一戦線が機能することはなく、共産党や社会民主党、労働者層にとって決定的な敗北がもたらされたのであった。  著者はファッショ化過程には四つの段階があると説明している。だが、社共両党は各段階において、ナチ党やドイツ国内情勢に対する基本的な認識などの点で深い対立の溝を埋めることはできなかった。その結果、ファッショ化過程の第三段階に到来した「不可逆点」を経て、ファシズム体制が確立することになったのである。  とは言うものの、重要なのは第Ⅰ部での事例研究を通じて確認された、特定の政党などの指導下になくとも自然発生的に統一戦線は成立するという事実であり、それは第Ⅱ部の内容へと接続される。2012年に成立した第二次安倍晋三政権は、それまで不可能とされてきた集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行うなど、「上からの「戦争のできる国家」への強制転化」を進めた。第二次世界大戦での破滅的な敗戦を経て、平和国家として戦後を歩んできた日本と、それを支えた日本国憲法にとってこの行動は重大な挑戦であり、社会に危機感が高まったのは当然であった。著者はこのような政権の動きを「改憲半クーデター」と規定し、新たなファシズムの危険性を指摘した。しかも、国家権力を握った者たちによる「上から」の危険な動きは、「下から」の右翼運動とも結合している。したがって第Ⅱ部で論じられるのは、安倍政権によるファッショ化を阻止するために何が必要であるかということであり、そこで「新しい統一戦線」に可能性が見いだされるのである。  主題となる「統一戦線」について著者は、「危機に直面した広範な人々(諸組織および個人)が、最も切実な要求や志向を寄せ合い、危機に対抗・克服するために生まれる民衆結集の形態・統一的運動である」と整理し、その内部的多様性を強調している。本書では、21世紀の日本においても、政党や労働組合などの諸組織のみならず、幅広く市民が自発的に結集してファッショ化を阻止する運動を展開することの重要性が指摘される。それは、「市民と野党の共闘による野党連合政権」を実現させることなのである。  そして第Ⅲ部には、著者を中心とした研究会メンバーと編集者による座談会が収録されている。統一戦線という現象をどのように捉えるか、世代間の違いなど多様な論点について議論されている。ここで各論者は、平和主義を中心とした日本国憲法の持つ意義を再確認し、現代日本における戦争への距離感に対する危機意識を共有する。導き出される回答はやはり統一戦線の必要性であり、それをどのように組織し、起動させるかが重要なのである。  序章・第Ⅰ部から始まり第Ⅲ部へ続く本書は、歴史的分析から現状分析へとその内容を展開させている。一方で、著者は興味深い読み方を提案している。第Ⅲ部から読み始め、序章・第Ⅰ部へと遡るというものである。それは、座談会を収録した第Ⅲ部が本書の「読書案内」であるとも言えるからであり、次いで今日の問題について第Ⅱ部で把握し、序章・第Ⅰ部で歴史的プロセスを確認できるからである。はたして読者のみなさんは、どのように読み進めるのであろうか。(ひがしはら・まさあき=福岡大学教授・政治学・現代オーストリア政治)  ★いしかわ・しょうじ=九州大学名誉教授・二〇世紀の政治史・地域研究・平和研究。共編著に『時代のなかの社会主義』『「あの時代」に戻さないために』など。一九四四年生。

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