2025/04/04号 6面

不謹慎な旅2

不謹慎な旅 2 木村 聡著 山本 唯人  本書は、フォトジャーナリストの木村聡さんが、『週刊金曜日』誌で連載する「不謹慎な旅」の、2021年11月~2024年10月までの掲載記事を再構成したものである。2022年に刊行した『不謹慎な旅』の続編である。書籍化に当たっては、各記事を前作と同様に「Ⅰ天災・人災の記憶」「Ⅱ喪失する産業の記憶」「Ⅲ戦争の記憶」「Ⅳ差別抑圧の記憶」「Ⅴ生命と悲しみの記憶」の5章に編成しなおし、加筆・修正するとともに、各話文末に雑誌掲載時から変化した情報などを追記した。  各章には、現代の日本社会にとって「負の遺産」とされる場所を訪れた旅の記録が7本ずつ、合計35本の旅の記録が収録されている。その遺産とは、差別や迫害を受け、沈黙を強いられた人びとの生身の声を宿らせた「標」(しるべ)であり、そこで一つの出来事を語ることは、背後で連なり重なり合う多様な声、記憶、事実を拾い上げることである。  天災・人災の記憶(第Ⅰ章:台風水害の多摩川河川敷/名古屋オリンピック構想/百舌鳥古墳群/日本海「ナホトカ号」事故/大湫宿「神明神社の大杉」/五木村と川辺川ダム/八甲田山雪中行軍と幸畑墓苑)、喪失する産業の記憶(第Ⅱ章:シャープ工場閉鎖の矢板/化女沼レジャーランド/立ち売りの「かしわめし」/佐渡金山と世界遺産登録/敦賀/秋田洋上風力発電汚職/蔵王県境移動事件)、戦争の記憶(第Ⅲ章:「松根油」緊急増産/岩国・愛宕山開発/新宿御苑から「桜花」へ/根岸外国人墓地と「ボーイズタウン」/陶器爆弾と焼き物の里/石獅子と御符/現代に重ねた戦中戦後写真)、差別・抑圧の記憶(第Ⅳ章:花岡事件/イエスの方舟/「免田事件」資料/ラブホと遊郭と給付金/日比谷焼き打ち事件/津和野「乙女峠」/白鳥由栄と「博物館網走監獄」)、生命と悲しみの記憶(第Ⅴ章:前期旧石器捏造事件/無差別殺人と「拡大自殺」/常盤平団地/カッパ淵と「遠野物語」/井の頭自然文化園/都内の各国大使館/大津事件)と、著者は5つのテーマに即して、実に多様な場所・出来事の跡をたどり、その風景にカメラを向ける。  こうして収集された迫力ある風景の写真群は、本書の見どころの一つである。そして、風景に刻まれた陰影の由来を、現地取材で得られた声の記録が跡づけて行く。  内容を通読すると、これこそフォトジャーナリズムの王道と思えるような旅の実践を、著者が「不謹慎です」と言いながら続ける理由は何なのだろう。直接は、負の遺産が抱える「悲劇の重み」と観光というその場所を訪れる欲望の「軽み」のミスマッチを指すのだが、それだけで、この余りにも真剣な著者の意図を尽くせたとは思えない。そう思って結語までたどり着くと、著者による次の言葉があった。  ダークツーリズムを通して経験される「「究極の非日常」は誰しもの「日常」に突然現れる」。だから、その存在を知るには、「旅という「非日常」を「日常」的にそばに置く、つまり旅を続けることがうってつけ」であると。「不謹慎」との誹りを恐れず、あえて、知りたい、見てみたいという動機の「軽み」を支えとして、この世のダークネスを刻んだ場所に向かい続ける。それは、著者にとって、放っておけば目をそむけ、その隠蔽に加担してしまいがちな「非日常」を、それでも「日常」のそばに置き、忘れないでいるための修練のようなものなのではないかと思った。著者が、ユーモアと動機の「軽み」を信条にこの旅を続けるように、多様すぎる旅先のラインナップが呼び起す「これって何?」という疑問を頼りに、軽々しくページをめくり始めてみることが、この本にはふさわしい読書の入口なのかもしれない。(やまもと・ただひと=公益財団法人政治経済研究所主任研究員・社会学者・キュレイター)  ★きむら・さとる=フォトジャーナリスト。国内外のドキュメンタリー取材を中心に活動。著初に『米旅・麺旅のベトナム』『不謹慎な旅』『満腹の惑星』など。一九六五年生。

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