2025/03/28号 5面

ブリクセン/ディネセンについての小さな本

ブリクセン/ディネセンについての小さな本 スーネ・デ・スーザ・シュミット=マスン著  世界の、あるいは宇宙の奥深くには、時空をこえて流れる水脈がある。それは善悪や倫理や政治とはかならずしも関係ない。ただそこにある。わたしたちはそれを身体のどこかで感じ、それに支えられて生きている――ことばにすることはなく、普段は意識することすらないにせよ。  長く読みつがれる作品や作家は、そうした次元にアクセスし、読者にその存在を意識させる。イサク・ディネセンことカレン・ブリクセン(一八八五―一九六二年)も、まさにそうした作家である。《光なければ影もなし》という視点を軸に彼女の生涯と作品をたどる本書は、それを教えてくれる。  ブリクセンは多くの影を背負って生きた。少女のときに父が自殺し、家は火事で焼け落ちた。恋は実らず、病に苦しみ、結婚は破綻した。恋人との子は生まれてこず、その恋人は事故で死ぬ。画家としても農場主としても挫折し、絶望を抱えてアフリカからデンマークへ帰国した。  「彼女は生涯、生贄のように首元にナイフを突きつけられてきました。彼女は愛した人――信じていたものをすべて失いました」。たしかに苦しかったにちがいない。だが、影がなければ光も存在しない。「光が存在するのはまさに暗闇の中である」。無垢の状態には光も影もない。すべてを失ったときに影と光が生まれ、人生がはじまる。「彼女の物語の登場人物は、何らかの形で罪を犯すことで初めて完全な人間になれるのです。彼らは人生の光と影の両方を知らなくてはなりません」。  その先に出くわすものは、善悪で割り切れるものではない――それが世界のありようなのだから。だが人間は意味を問わずにはいられない存在である。そこから道徳的な葛藤と物語が生まれる。答えは存在しない。あるのは問いだけである。ブリクセンも物語を語り、問いを示すが、結末はつねにひらいておく。語りえないものについて沈黙しなければならないのは、おそらく作家も同じである。より正確にいうなら、作家は物語によって要請される沈黙と空白に語らせなければならない。ブリクセンの晩年の短篇「空白のページ」で語り部の老婆が言うように、物語に忠実でいれば、「最後には沈黙が語りはじめることになる」。「なお深くて、なお優しくて、なお残酷な話を人が読みとるのは〔中略〕空白のページの上だよ」(利根川真紀訳)。  そこで読者が出会うものは、ブリクセンが拠り所にする神話、伝説、古典、信仰に通じる何かであり、彼女のアフリカとデンマークに通じる何かであって、読者自身の内奥に流れる何かである。  おそらく多くの人は、どこかの時点で無垢を失う。生活に思わぬ亀裂が生じ、深淵をのぞき見る。それは人生のはじまりであり、生きることのはじまりであるが、だれもがたやすく乗り越えられるプロセスではない。そんなとき、「人生があまりにも壮大になり過ぎて、半ば抱えきれなくなった時に訪れる沈黙」を共有できるブリクセンという作家がいることを本書は教えてくれる。  「溢れんばかりのカレン・ブリクセン愛から」本書を書いたという著者は、「職なし、一文なし」でブラジルから帰国し、カレン・ブリクセン博物館で警備員として働くあいだに彼女の作品に魅せられていった。いま暗闇のなかにいる人のなかにも、本書をきっかけにブリクセンに出会い、出会いなおして、生の水脈とあらためてつながりを取り結ぶことができるようになる人がいるにちがいない。光がなければ影もない。「勝利は敗北から力を得る者のものです」という彼女のことばを心にとどめておきたい。(枇谷玲子訳)(やまた・ふみ=翻訳者)  ★スーネ・デ・スーザ・シュミット=マスン=一九七九年生。編集者、翻訳家、作家。講師兼ガイドとしてカレン・ブリクセン博物館に勤務していた。大学でカレン・ブリクセンについて研究。文学修士。現在、デンマーク最大手の出版社で編集長を務める。

書籍

書籍名 ブリクセン/ディネセンについての小さな本
ISBN13 9784991229312
ISBN10 4991229316