〈病と戦後〉の歴史社会学
土屋 敦・坂田 勝彦編著
宝月 理恵
「病」の歴史は、生物医学の発展による疾病の「撲滅物語」として語られることが多い。本書は「戦後社会」と「病」の関係を再考し、こうした「神話」の解体と新たな視角の提起を目指す意欲的な試みである。
まず編者は①歴史社会学のフレームを応用し、②疾病を生物医学の発展史として単線的に語ることを避け、③一次資料への徹底した遡及、④大文字の「病」を戦後社会の代表的象徴にしない、という4つの姿勢を提示している。この方向に沿った具体的な取り組みとして、結核治療の転換をめぐる抗生剤ストレプトマイシンの神話の解体(第1章)、ハンセン病療養所再編成に対抗した患者運動(第2章)、戦後最初に大規模な精神病の開放医療を実現した国立肥前療養所の実証的検証(第3章)、種痘と森永ヒ素ミルク事件の後遺症問題が1970年代に生活者の視点から社会問題化された過程(第4章)、そして公害病として承認されなかった安中公害に焦点を当て、公害病認定闘争の枠外に置かれた経験をスペクトラムとして描く試み(第5章)がなされている。いずれも気鋭の研究者による読み応えのある内容である。
とりわけ第3章「国立肥前療養所の開放医療――医療アーカイブズに基づく分析とその課題」(後藤基行)は示唆に富む。日本では病院や施設内部で生成された一次資料の長期保存や公開体制が欧米に比べて不十分であり、そのため病や障害をめぐる研究において権力側/制度側/施設側の情報欠如を招きやすい。その結果として、国家や施設の抑圧性を一面的に強調する歴史観が生まれやすくなる。もっとも、制度・施設側の資料の欠如は、ハンセン病史研究などでは患者の語りに注目した質的研究を促進させたという肯定的側面もある。参与観察やインタビュー調査は当事者の生活世界に迫る社会学のもつ強みでもあり、後藤が指摘する医療アーカイブズの整備を基盤とした実証的な歴史分析の深化とあわせて、立体的な医療社会学研究を支える「車の両輪」となることが期待される。
編者・土屋敦による終章では、各章で提示された既存の「ドミナント・ストーリー」に対抗しうる「新たなストーリー」について、序章で示された4つの視座に即して整理が試みられている。たとえば第1章では、外科療法・化学療法と自然療法の関係は相互排他的ではなかったことが明らかにされている。土屋はこれを受け、医療社会学者・佐藤純一の先駆的な「抗生物質の神話」論を参照しながら、結核による戦後の死亡率の低下は抗生物質の導入ではなく、人々の生活水準や栄養・衛生状態の向上による部分が大きかった点を再確認する。しかし第4章で論じられるように、粉ミルクの普及や予防接種制度の整備など、戦後の衛生・栄養の改善を支えた仕組み(製薬・食品産業や公衆衛生システム)は、一方で公害や薬害といった新たなリスクも孕んでいた。こうした点から、神話を解体する試みが、逆に栄養・衛生の発達史観を無批判に肯定し、その背後に潜む権力構造や政治性を不可視化してしまうのではないかという懸念も残る。
評者の理解では、人文・社会科学領域ではすでに医療の発達史観を避ける記述が定着しつつある。本書がいう「神話を異化する」ことによって「現在の私たちの社会認識を更新する」という試みは、医療社会学の専門家だけに向けられたものではなく、他分野の研究者や一般市民に対しても開かれていくべき段階にあるだろう。病をめぐる歴史記述を専門領域の内に留めず、社会にどう伝え、共有していくか。これこそが研究者に求められている課題ではないか。本書はこの課題に対し、病と戦後社会をめぐる通説や単線的物語を丹念に検証し、多面的な歴史像を提示することで応えようとしている。同時に、その営みを可能にする資料保存の重要性や、歴史記述そのものが社会に果たす役割という根本的問いを私たちに突きつける。医療社会学研究に携わる者のみならず、病をめぐる言説や社会認識に関心を持つすべての人に、ぜひ手に取ってほしい一冊である。(ほうげつ・りえ=お茶の水女子大学准教授・近代日本衛生史・医療社会学)
★つちや・あつし=関西大学教授・医療社会学・子ども社会学・家族社会学。一九七七年生。
★さかた・かつひこ=群馬大学教授・地域社会学・医療社会学・生活史。一九七八年生。
書籍
書籍名 | 〈病と戦後〉の歴史社会学 |
ISBN13 | 9784787235596 |
ISBN10 | 4787235591 |