2025/06/20号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 67・木村純一/ペケキムラ

百人一瞬 小林康夫 第67回 木村純一/ペケキムラ  どうしてか、突然、純ちゃんのことを思い出して書きたくなった。でも、彼のことを思うといつも「さみしくて 俺たちが主役さ」という銘が浮かびあがってくる。  このフレーズ、いまからもう半世紀ほど前、その頃、定期的に読書会などを行なっていたわが文学仲間とともに作った同人誌『あいぬけ』のために、純ちゃんが寄せてくれたもの。彼は文を書く人ではなくて、絵を描く人。だから厳密には同人ではないのだが、われわれは皆、かれが働いていた池袋のジャズ喫茶に通ってコルトレーンやアイラーを聴いていた。しかも、偶然、当時、かれとわたしは東長崎の同じ安アパートに住む隣人でもあったのだ(いや、純ちゃんの紹介でそのアパートを選んだのかもしれない)。  しかし、二十代をすぎて、それぞれが自分の道を歩みはじめると交流は途絶えてしまう。純ちゃんが会社勤めをしていた時期はまったくコンタクトはなかったが、かれはそのあいだもずっと絵画制作そして絵画の技法を取り入れた皮のバッグなどのアート製品を作り続けていた。  何十年ぶりに、昔からの女友達を経由して、ペケキムラの展覧会やるから見に来て、と言われたのが二〇二〇年九月だったか。自由が丘の画廊に顔を出したら、かれは昔と変わらぬ明るい声で「去年、結腸癌の手術してステージ4でさあ、その後、転移がわかって肝臓癌の手術もしたんだよ」と語るのだった。  でもね、「俺たちが主役だよな」と思ったのか、若い時の詩人感覚が戻ってきたのか、展示されていたかれの絵画作品(コピー)を見ながら、そのうちの十の作品を並べて、それを貫く「PEKEの神話」を「俺」が書くぞ、と決意。そしたら、ほとんどその晩には、「もういちど、はじめなければならない/大地のうえに寝転がり/膝を曲げ/この折れ曲がった一本の線/としてあるぼくが/ぼくであることを/どのように信じたらいいのか?」とはじまり、「大地の草のうえに/それぞれの人のしるしが/残されている/そのようにあれ!/ぼくの約束!」で終わる十の断片からなる「アール・ザッツ(雑)(Art Zattu)宣言、あるいはPEKEの誕生」というアリアが生まれてしまった。そして、純ちゃんはすぐに冒頭にこのテクストをアレンジした、カラフルな小冊子『見えてくるようす』(ペケキムラ監修)を発行したのだった。  じつは、翌年の七月にも、銀座の画廊で開かれた展覧会を観に行って、その時もすぐに、「PEKEのために」と題して、「花々/ふってくる/天から花がふってくる/街の上に/道の上に/人々に/花々/たくさん……」とはじまる詩句を書きつけてはいたのだが、書き上げることはできなかった。それが純ちゃんにあった最後の刻。翌年の一月には訃報が入ったが、わたしは生憎、葬儀に行くことができず、奥さんにその習作断片をお送りすることしかできなかった。  半世紀前、安アパートで、その頃は古美術の修復を手がけていた純ちゃんの「金継ぎ」の仕事を見ながらお喋りしていたとき、かれはいつも、フランスに行きフランスで亡くなった画家・木村忠太への憧れをあつく語っていた。その名が心に刻まれたせいで、後年、パリの画廊で忠太の作品に出会ったわたしは迷うことなく購入した。  いま、わが家の居間の壁には、忠太のパステル画とパリ風景のデッサンがかかっている。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)