読書人を全部読む!第1回
山本 貴光
「読書人を全部読む」とはどういうことか
これからしばらくこの場をお借りして、「週刊読書人」を全部読んでみたい。と、言葉にしてみると、「またまた、ご冗談を」という感じもしてくるのだが、いたって真剣である。ここで「全部読む」というのは文字通りの意味で、創刊号から現在までの全号を隈なく読もうという心算。ただし、「現在」をどこまでとするかは後で検討する。
それこそ今どきは、生成AIに任せて必要な情報を抽出・要約させて読めば効率だっていいのだし、手間も省けてよいではないの。なにがうれしくて、そんな苦行のようなことをするわけ、と思う人がいても不思議はない(私もちょっぴりそう思わなくもない)。
それなのに、なぜそんなことをするのか、と問われても困るが、強いて言葉にしてみるならそこにバックナンバーが揃っているから、となるだろうか。これに限らず全集や雑誌のバックナンバーを集め読むのが好きで、半ば趣味のようなことでもある。もう少し格好をつけるなら、この世にはそのような読み方をすることによってしか得られないなにかがあると考えており、そのなにかを得たいと思っている。それがなんであるかは、連載を進めながらお伝えしたい。
ところで従来、「週刊読書人」のバックナンバーを読もうと思えば、同紙を揃えているか、マイクロフィルムなどで整理・保管している図書館やアーカイヴを訪れるしか手はなかった。メデイア史を専門とする大澤聡は、書庫に通って全号に目を通したというツワモノだ(本紙2025年4月11日第3585号の鼎談「新・読書人WEB、友の会始動」参照)。彼の『批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店、2015/『定本 批評メディア論』岩波現代文庫、2024)は、そのような総覧とでもいうべき資料の博捜なくしては書き得ないもので、私のようなものぐさにはとても真似のできないことでもある。
では、そんな私でも「全部読んでみたい」などと言えるのはどうしてか。既にお察しかもしれない。2025年4月に「WEB読書人」がリニューアルされて、創刊以来64年分のバックナンバーをデジタル版で閲覧できるようになった。これならアクセスする環境さえあれば、いつでもどこででも読める。先ほど触れた鼎談で、私は大澤聡と吉川浩満に「具体的にこれからこのデータベースで何をしますか」と問いかけ、「私は単純ですが、創刊号を前から順番に全部読んでみます」などと不用意なことを口にしている。編集部がそれを見て「しめた」と思ったかどうかは分からないけれど、後日「読書人を通読して、それについて書くという連載はいかが」(大意)という提案が舞い込んだ。「それは面白いですね」と、これまたうっかり答えた結果が、いまご覧の通りである。
というわけで、これからしばしお付き合いいただければ幸いである。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)