2025/05/09号 4面

在日コリアン教会の戦後

在日コリアン教会の戦後 荻 翔一著 川瀬 貴也  祖国を離れ異郷に移住した人々は、大抵集住して相互扶助を行う。そしてそのアイデンティティを確認する場として宗教施設が大きな役割を果たす、というのも周知のことだろう。そこでは母国語でのコミュニケーションも行われ、礼拝も行われる。そのようなエスニックな宗教施設のいわば「最古参」が、在日コリアンのキリスト教教会であろう。戦前からの歴史を持つ教会も複数存在し、戦後は人権・差別問題の最前線に立つなど、少数派の宗教でありながら(在日の間でもキリスト教徒は一%以下と言われる)、在日コリアンのキリスト教は大きな存在感を持ってきた。本書はこのような在日コリアン教会の歴史をたどりながら、近年「ニューカマー」の参加と定着により、変化を余儀なくされている教会の実態をいくつかの教会をモデルケースとして丹念に追ったものである。  まず著者は、調査のために訪れたある教会で、ニューカマーが信者の大半を占めており、在日コリアンの存在感が希薄なことに気づく。しかも、近年では牧師も韓国から派遣されてきており、在日コリアンとニューカマーの間には、互いの共通点よりもむしろその違いが目に入るという。例えば在日コリアンは週一回、日曜日に礼拝に来るのが普通だが、ニューカマーは曜日を問わず教会に通い、早朝や深夜の「祈禱会」を行うなど熱心であり、奉仕活動も積極的に引き受ける。つまり、信者構成が再編され、勢い在日コリアン教会の「民族教会としての性格」が問い直されてきているのである。  在日コリアン教会で、最も大きいグループは超教派の「在日大韓基督教会(KCCJ)」である。一世にとっては民族の共同体として、二世にとってはエスニック・アイデンティティ獲得の場として機能したことは既存の研究で明らかにされている。この変化は「祖国」への帰還を志向する傾向が減じ、朝鮮人のアイデンティティを保ったまま日本社会の一員であろうとする意識の高まりを反映していた。しかしこのKCCJにも「祖国」の分断という対立が影を落とし、在日コリアン同胞全体に対する布教は困難なものになっていった。そのようなある意味「停滞」していた教会に活力を吹き込んだのが、一九八〇年代以降のニューカマーであった。結論から言えば、ニューカマーの女性が「マイノリティ教会」として教会を活性化したおかげで「エスニック・チャーチ」として存続している流れを、著者はKCCJ大阪教会を事例として提示している。  この書である意味独特の意味を持っているのが、「在日ホーリネス教会の再建と変容」を扱った章である。ホーリネス教会は戦前に激しい弾圧を受けたことで有名であるが、これまで在日ホーリネス教会を対象とした研究はほぼ皆無なので、その点で貴重である。事例として広島聖潔教会(現在は広島第一教会)の事例が扱われているが、この教会は戦後にホーリネス教会として再建できた唯一の教会であるという。この教会では元々の在日コリアン信者の少なさと「日本人に宣教する」という牧師(ニューカマー)の意向で日本語でのみ礼拝を行っていたが、牧師の子どもに対して韓国語礼拝を始めると、それがきっかけとなりニューカマーが訪れるようになり、今では日本語礼拝と韓国語礼拝を行っているが、両方に出席するものはほとんどおらず、グループ間の密接な交流も見られないという。今やこの教会は、在日コリアンのための教会からニューカマー及び日本人のための教会へと変貌したと言える。  最後の事例として取り上げられているのは、荒川区の在日コリアン集住地区に設立された「東京福音教会」である。元々アメリカ人宣教師によって設立されたこの教会は、名前の通り福音を重んじ、政治的な運動や活動へ関与することを忌避する傾向があり、ほかの在日コミュニティとは一定の距離を置く集団であった。一世から二世への「信仰継承」の問題が顕在化した頃にニューカマーが同教会に通うようになり、状況が一変した。要するに彼らはニューカマー同士のネットワークを用いて同教会を通うようになり、在日コリアン、ニューカマー、日本人信者という重層的な構造となった。  以上、三つのケースから現在の在日コリアン教会の変化をパターン化して鳥瞰した本書は、エスニック教会の「一枚岩ではない」実態を明らかにすると同時に、ホスト社会を形成している在日コリアンと日本(社会)の変化を宗教から逆照射している。(かわせ・たかや=京都府立大学教授・宗教学)  ★おぎ・しょういち=日本学術振興会・特別研究員(PD)・宗教社会学・「移民と宗教」研究。

書籍

書籍名 在日コリアン教会の戦後
ISBN13 9784868160045
ISBN10 4868160044