2025/06/20号 5面

おもろい以外いらんねん

〈書評キャンパス〉
大前粟生『おもろい以外いらんねん』 佐藤 佑有子  「おもろい以外いらんねん」。一見ただのわがままのように思えてしまうこのフレーズは、3人のばらばらな〈お笑いの信念〉をぶつけ合う言葉だった。  主人公である「俺」は、どこにでもいる冴えない高校生だ。だが通学中、幼馴染の滝場と文化祭で漫才をする約束をした、そこから本書は始まる。滝場は「俺」の前ではだらしなく不調な様子も見せるが、クラスではお調子者でいわゆるムードメーカーだ。でも笑いを取るために暴力的に人をいじることもある。「俺」はそれに同調してしまいながら、そんな滝場を苦手だと感じていた。  そのような中、転校生のユウキくんが「俺」の前に現れる。滝場は、文化祭では「俺」とユウキくんとそれぞれでコンビを組んで、2回漫才をするという。「俺」が複雑な感情を抱く中、滝場は「俺」とは「アジサイ」、ユウキくんとは「馬場リッチバルコニー」を組んでネタ合わせを始める。  練習を始めてしばらく経った頃、自分の日常をベースに書いたネタ中になぜか泣き出す滝場を、自分でない人間として割り切って漫才するように、ユウキくんが説得する。「おもろい以外いらんねん」。そしてユウキくんの漫才に対する本気さを理解した「俺」は、アジサイの解散を滝場に提案して逃げた。  それから10年後、「俺」は普通の社会人になり、馬場リッチバルコニーは芸人としてデビューした。「俺」は2人とは会わぬまま、お笑いライブをたくさん見に行っていた。コロナ禍に入り漫才には制限がかかり、さらには「傷つけない笑い」という倫理感が広まり始めた。しかし、ひょんなことから滝場だけがブレイクしてしまい、ユウキくんは息苦しさを感じるとともに、現場のノリで人を傷つける言葉で笑いを取る滝場に「おもんない」と感じ始める。時代の移り変わりによって〈お笑い〉の世界が変容していく中、滝場とユウキくん、そして2人の観客である「俺」は再び出会い、感情が交錯していく。  私がこの小説を手に取ったのは、タイトルに共感したからだ。私は誰かにいじられて不快に感じたことがあっても、その場のノリで笑いに昇華しないといけないと思い込み、自分の本心を隠して見ないふりをしてしまうことがよくある。おもろくしないとあかん、この場を白けさせたらあかん、と思ってしまう。自分のこの感覚を肯定してくれるものかもしれない、と思って読み始めたこの小説は、いい意味で私の期待を裏切った。  作品には、主人公たち3人の感性が三者三様に描かれていた。私はユウキくんの価値観に共感しながら、「俺」の価値観に救われた。人間は皆、感性が異なる。多様性への配慮が求められ、発言自体が億劫になることも多い中で、刃のある言葉で笑いを取ろうとするよりも、素直に自分の「おもろい」と感じる感性を尊重するほうが、全員にとっていいことなんだと気づかされた。皆にとって「おもろい」ことを大事にするべきなのだ。周りへの承認欲求で盲目になって、単純なことがわからなくなっていた。これは、昨今のSNSの炎上問題にも深く通じるところがあるだろう。この作品は、私の「おもろい以外いらんねん」を塗り替え救い出してくれた、かけがえのない一冊だ。

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