冥界へのメッセージ
康 芳夫著
大島 幹雄
6年前に引退したが、サーカスの呼び屋をしていた。最初に9年間働いていたのは「赤い呼び屋」として一世を風靡した神彰のアートフレンドの元社員で、本書にも出てくるインディ500マイルレースで康芳夫と共に仕事をしていた大川弘の会社だった。神や康のようにドでかい仕事はしていないが、40年間呼び屋を稼業にしていた。10年以上前になるが。イブン・バトゥータやマルコ・ポーロも見たという秘芸「インディアンロープ」を現代に蘇らせたマジシャンがいるというので、インドに飛んだことがある。大道芸人たちが住むコロニーにあるマジシャンの自宅の屋上で、このマジックを見た。なんでもない1本のロープがマジシャンの奏でる笛の音とともに、まっすぐ伸び、直立したロープを子供が登っていくという、何度も小説で読んだそのシーンを目の当たりにした時、長年サーカスの仕事をして、どんなマジックにもタネがあることを知り尽くしていたのにも関わらず、これが本物の魔法だと信じ込んでしまった。あとでタネを知って、我に返ったのだが、不思議な体験だった。これぞまさしく目眩まし(めくらまし)であった。
康芳夫が仕掛け、三島由紀夫が何度も見て、絶賛したという「アラビア魔術団」は、アラビア人ではなく、ジプシーの2流のマジシャンが演じたものだったし、猿と人間のあいのこという触れ込みでやってきたオリバー君は調教されたチンパンジーだった。これなどは、まさにこの目眩ましの極致といえる。
本書『冥界へのメッセージ』は、康が仕掛けた数々の「目眩まし」に関わった、いまはこの世にいない神彰、石原慎太郎、アントニオ猪木とモハメド・アリ、立花隆、坂本龍一といった故人たちにおくったメッセージというかたちをとった康の回顧録である。コラムで親しくしていた勝新太郎、力道山、瀬戸内寂聴も登場している。
この中では神彰の章が最も興味深かった。康という目眩ましプロモーターの原点が神との仕事でつくられていたことがよくわかる。読みながら、最初に康と会った時のことが蘇ってきた。神彰の評伝『虚業なれり』を書くとき、大川から紹介してもらい、ホテルオークラの地下のバーで会った。話を聞くどころか、質問をたて続けに浴びせられた。初対面の男の品定めをしていたのだろう。世に言われたようなイカサマ師などではなく、怜悧なインテリというのが、最初の印象だった。
しばらくして神に関して、言い足らなかったことがふたつあると電話をもらう。ひとつは本書にもあるが、神が発行、康がプロデュースしていた雑誌『血と薔薇』の編集長だった澁澤龍彥が辞めたいというので、その後釜に当時無名だったライターの立花隆を抜擢しようとしたことだった。もうひとつは神を教祖にしようとしたことがあったということだった。面白いと思ったが、神は真意を理解せず、実現しなかったという。どちらも拙著ではとりあげなかったが、教祖にしようとした真意とはなんだったのか、聞いておけばよかったと後悔している。テレビに映し出される長髪で中国服をまとった康こそ、教祖そのものに見える。教祖になって時代にどう関わろうとしたのか、気になる。
康は自分のやっていることを常々暇つぶしと語っていた。暇つぶしに面白いことに全力投球し、目眩ましのテクニックを駆使して、大衆をその目撃者に仕立てる。オリバー君、ネッシー探しに象徴されるこけおどしの妙、虚実皮膜すれすれのだましのテクニックで勝負すること、それが康のプロデューサーとしての生き様であり、真骨頂だった。それは神彰と共に仕事をすることでつくられていったものだった。
マスコミは康の死をほとんど報じなかった。あれだけ昭和をわかせた男が無視されたのは、存在がアンダーグランドすぎ、今から見るとあまりにも眩しすぎるからなのだろう。本書で「虚実皮膜という発想は今こそ価値があるが、現在の若い人の中にそれをまともな意味として受けとめて、乗ってくる人はほとんどいない」と書く康は、そんな扱いも承知していたのかもしれない。
死因が老衰、しかも施設で亡くなったと聞いて、ちょっと意外な気がしたが、本書の最後で、死の直前とつぜん山谷に向かい、消息を絶ったという真相を知り、さすが康さん、やはり最後の最後まで目眩ませの演出をしたかと、思わずニンマリしてしまった。(おおしま・みきお=ノンフィクション作家・サーカス学会会長)
★こう・よしお(一九三七―二〇二四)=東京生まれ。東京大学卒業後、興行師・神彰の元で呼び屋として活躍。独立後、『家畜人ヤプー』プロデュース、ネッシー探検隊結成、モハメド・アリ戦の興行、オリバー君招聘、アリ・猪木戦のフィクサーなどをこなす。
書籍
書籍名 | 冥界へのメッセージ |
ISBN13 | 9784903883847 |
ISBN10 | 4903883841 |