2025/06/06号 3面

アンチ・アンチエイジングの思想

アンチ・アンチエイジングの思想 上野 千鶴子著 中村 彩  二〇二一年七月に放映されたNHKの番組「100分de名著」で、ボーヴォワールの『老い』が取り上げられたのを覚えている人は多いだろう。本書は、その内容をさらに発展させながら雑誌『みすず』で展開された連載の書籍化である。自身も後期高齢者となった著者が、上下巻で七〇〇ページ以上にわたる『老い』を読み、そこで提起された問題を超高齢社会となった日本の文脈に落とし込みつつ論じている。  とはいえ、上野が老いに関心を持つようになったのは何も最近のことではない。『おひとりさまの老後』がベストセラーとなったのは二〇〇七年のことだったが、本書で語られるように、著者の老いへの関心は彼女がまだ三十代で、老年学が新たな学問分野として注目されつつあった八〇年代まで遡る。そのころの老年学において、老いが嫌悪すべき惨めなものとして語られることに疑問を抱いたことが、ひとつのきっかけだという。  しかしだからといって、年をとってもなんでもできる、生涯現役だ、と唱えるようなサクセスフル・エイジングの思想では何も解決したことにならない、と上野は述べる。それは結局はPPK(ピンピン生きてコロリと死のう)の思想にすぎず、老年期の思想ではない。他人に頼らざるをえなくなるフレイル期の老い、これを見つめなければならない。必要なのは老いに抗するアンチエイジングではなく、それを直視し、弱くても差別されない権利を主張するための思想、つまり「アンチ・アンチエイジングの思想」である。  そこで上野が出発点とするのがボーヴォワールだ。一九四九年の『第二の性』で有名なボーヴォワールだが、その『第二の性』と対をなすような同じ二巻本構成の大著として一九七〇年に刊行されたのが『老い』である。上野はこれを読みながら、問う。近代化の過程においていかにして老人は「厄介者」として扱われるようになったのか。男女で老いはどう異なるのか。老人の性はどのようにとらえられ、実態はどうなのか。なぜ人類は他の動物と違って老人を介護するのか。高齢者施設は必要か(上野の答えはノーである)。参照するボーヴォワールの著作は『老い』にとどまらない。ボーヴォワール自身の性愛や老いの体験の記述、『モスクワの誤解』などの小説作品、『おだやかな死』で語られる母親の死や『別れの儀式』におけるサルトルの晩年と死にも言及しながら、その作品と思想全体を視野に入れつつ、上野は自身の議論を展開していく。  そして超高齢社会となった日本の状況へと視点は移る。取り上げられるのはたとえば、認知症の問題である。認知症七〇〇万人時代と言われるいま、私たちは原因も治療法もわかっていないこの症状にどのように向き合うべきなのだろうか。認知症者の怒りや防衛や抗議にもとづく行動を、周囲の人が「問題行動」とみなし制限してしまうことの問題点を上野は指摘する。「徘徊」も「散歩」ではないのか。そして認知症として病理化された今よりも、耄碌やボケという語を使っていた時代の方が、実は認知症高齢者は社会に許容されていたのではないか、と問う。  安楽死をめぐっては、上野は安楽死にも(延命治療行為を控える)尊厳死にも反対の立場をとる。その論旨は明快だ。家族や医療・介護関係者と一緒に意思決定をしましょう、などと言われたところで「そこで自己主張するほど、日本の高齢者は、とりわけ女性の高齢者は権利意識が強くない」。死ぬ権利だけ与えられても生きる権利が与えられない社会においては、自由な自己決定などありえない、というのである。  バーバラ・マクドナルドやベティ・フリーダンといったフェミニストたちの老いの思想も検討しつつ、有吉佐和子の一九七二年の小説『恍惚の人』から早川千絵監督の二〇二二年の映画『PLAN 75』に至るまでを視野に入れた、生きるための、あるいは著者の言葉を借りれば、生きることを遠慮しないための、一冊である。(なかむら・あや=立教大学兼任講師・フランス文学・思想・フェミニズム)  ★うえの・ちづこ=東京大学名誉教授・社会学・フェミニズム。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。一九四八年生。

書籍

書籍名 アンチ・アンチエイジングの思想
ISBN13 9784622097303
ISBN10 4622097303