2025/10/10号 4面

アメリカの中東戦略とはなにか

アメリカの中東戦略とはなにか 溝渕 正季著 志田 淳二郎  本書が取り組む課題は、タイトルに掲げられている「アメリカの中東戦略とはなにか」である。この問いは重要である。というのも、第二次世界大戦後、特に冷戦後のアメリカの中東戦略はアメリカ外交の方向性のみならず、過去三〇年間の国際秩序の変遷にも大きな影響を及ぼしてきたからである。「国際秩序」といえば、ロシアによるクリミア併合(二〇一四年)、ウクライナ全面侵攻(二〇二二年以降)、あるいは二〇一〇年代以降活発化する南シナ海や東シナ海への中国の海洋進出、そして台湾併合の野心といった「力による現状変更」により、不安定化が指摘されて久しい。とはいえ、著者の溝渕正季氏が客観的に指摘するように、イラク戦争(二〇〇三年)やイスラエルによるガザでの軍事行動やイラン攻撃(二〇二三年以降)なども戦後アメリカが掲げてきた価値や規範を踏みにじる出来事であり、国際秩序の不安定化要因となった側面は否定できない。国際秩序、そして日米同盟の下でアメリカを信頼し、戦後の混乱と荒廃から新たな一歩を踏み出したのが戦後日本であり、日本経済を支える石油の実に九割以上を供給先として依存している地域が中東であった。中東情勢、そして同地域に大きな影響を与えるアメリカの中東戦略への正確な理解は、日本にとって不可欠である。  溝渕氏は中東の政治・経済・軍事・安全保障・宗教問題の専門家の一人で、また、戦後アメリカで発展した国際関係理論を中心とする社会科学の分析枠組みや方法論に造詣の深い研究者である。著者の専門性がいかんなく発揮されている本書は、序章と終章を除けば全七章で構成され、アメリカの中東戦略を、「石油」(第二章)、「イスラエル」(第三章)、「イラク戦争」(第四章)、「対テロ戦争」(第五章)、「イランの反覇権戦略」(第六章)、「中国・ロシアとの大国間競合」(第七章)の六つの切り口から多角的に分析している。本書の副題「石油・戦争・同盟」はこれらの切り口が見事に収斂した表現となっている。各章では豊富な情報とバランスのとれた分析が次々と披露されながらも、それでいて、本書を冒頭から通読しても本全体の論理構成が崩れることなく議論が展開されている。研究者、そして執筆者としての著者の力量の高さを物語っている。  政治学・国際関係論を背景に外交・安全保障を専門とする評者が本書から学んだ点は多いが、なかでも刺激的だったのは、「アメリカの中東戦略――歴史と論理」(第一章)にある、冷戦後のアメリカが中東においては自由や民主主義といった価値や理念を追求せず「非リベラルな覇権秩序」を維持してきたとの指摘である。「非リベラルな覇権秩序」とは、自由・民主主義、法の支配、開放的な市場経済システムを採用する諸国家が国際制度を通じて多国間協力を実現する「リベラルな国際秩序」の対比概念である。「非リベラルな覇権秩序」は本書全体を貫く分析枠組みとなっており、各章で紹介されている各事例からも、アメリカの中東における「非リベラルな覇権秩序」戦略の実践がうかがえる。また、中国やロシアが中東にどのように関与しているかを議論した第七章、イラン、そして西側の専門家からイランの代理勢力と指摘されることの多い「抵抗の枢軸」(ヒズブッラー、ハマース、フーシ派)の内在的論理に迫る第六章、ソ連のアフガニスタン侵攻(一九七九年)までさかのぼり、現在にいたるまでのグローバル・ジハードの「四つの波」を整理した第五章は、大国間競合下の非正規戦に関心のある評者にとって勉強になった。  さらに、戦後アメリカにとって石油は単なる商品ではなく、「アメリカ的生活様式」を支える「血液」でもあり、中東からの石油の安定的確保を求めサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国と同盟関係を構築していった歴史を扱う第二章、宗教・政治文化・戦略的利益などの観点からアメリカとイスラエルの「特別な関係」を整理した第三章、覇権主義的リアリズムに基づく政権内の戦争推進派の影響を受けつつも、外交的解決を模索したブッシュ(子)大統領が最終的に交渉の失敗を受け、イラク戦争支持へ回ったと分析した第四章などの情報に触れると、本書が「中東研究」の領域のみならず、高度な「アメリカ研究」の性格も有していることに気づかされる。  本書は、「中東情勢」、「国際秩序」、そして「アメリカ」への洞察を深めることのできる優れた分析書である。(しだ・じゅんじろう=名桜大学国際学部上級准教授・外交・安全保障論)  ★みぞぶち・まさき=明治学院大学准教授・中東地域の政治・経済・軍事・安全保障問題・イスラーム政治運動・アメリカの中東戦略。共著に『米中対立と国際秩序の行方』など。

書籍

書籍名 アメリカの中東戦略とはなにか
ISBN13 9784766430455
ISBN10 476643045X