2025/03/28号 8面

ゲーテはすべてを言った

鈴木結生インタビュー『ゲーテはすべてを言った』第一七二回芥川龍之介賞受賞記念
鈴木結生インタビュー <共通の物語を再構築すること> 『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)  第一七二回芥川賞を受賞した「ゲーテはすべてを言った」について、著者の鈴木結生氏にお話しを伺った。本作は「人にはどれほどの本がいるか」に続く三部作の二作目で、『小説トリッパー』2025年春季号には三作目の「携帯遺産」が掲載されている。(編集部)  ――「ゲーテはすべてを言った」とは惹かれるタイトルでした。最初にタイトルがあってそこから物語が構築されていったのでしょうか。  鈴木 その通りです。「ゲーテはすべてを言った」という言葉にまつわるストーリーは、大学生のときに、ゲーテの名言の書かれたティー・バッグのタグに出会ってから僕の中にあったのですが、タイトルが決まらないと書けないんですよね。最初は「誰がすべてを言ったか」というタイトルで、『ゲーテはすべてを言った』という本を探している人の話を書いていました。でもこれは面白くならなくて。タイトルが決まらないというのは、作品の全体像が見えていないということなんでしょう。タイトルを変えて、その人が探していた『ゲーテはすべてを言った』という作品を、僕が書かなければいけないと覚悟を決めました。  本を手にとったとき、最初に見るのはタイトルだと思うのですが、僕は自分が本を読むのと同じ進行で一から書いていくんです。  三作目の「携帯遺産」に至っては、何十回もタイトルを変更し、決まった瞬間に書ける!と思いました。  ――ゲーテの名言を探す旅が、最後にはより豊かな問いに接続していく面白さがありました。『文學界』の受賞エッセイには「信仰と創作」について書かれていましたが、この作品が面白いのは、鈴木さんの中の解きがたい問いが、その底にあるからではないかと思います。  鈴木 謎は小説を読む上での牽引力になりますよね。恋愛小説ならこの先どうなるのかという「未来」に対する謎だろうし、ミステリなら誰が犯人なのかというような「過去」に対する謎がある。純文学が扱う謎はもっとぼんやりしたものかもしれませんが、僕にとってはアカデミックも、ある種のミステリ的な面白さがある世界です。  名言を探す道筋がページをめくる機動力となり、自然に異なる次元の謎へ導いていくという本作の構造は、丸谷才一の『横しぐれ』から学んだものでした。  博把統一は、最初は「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉が、本当にゲーテの名言かどうか、その出典を探していたのに、いつしか「言葉は誰のものなのか」「本当の言葉とは何か」と、探しものが変わっている。  祈りとして言葉を受け止めるというのがこの作品の一応の結論なのだけど、僕の中で「信仰と創作」とがアンビバレンスなものである以上は、「祈り」という言葉の中にも、解消されなさが含まれているかもしれませんよね。  ――おっしゃるのは、「言葉はどれも未来に投げかけられた祈りである」という一文ですね。  鈴木 統一は出演したテレビ番組で、自分がまだゲーテのものだと信じきれていない言葉を引用します。でもその放映を見ているときに、口にした本人は信じていなかった言葉を、今の自分は「信じてやることができた」と。そのあり方が、祈りに近いと思うんです。僕は信仰者として、神にとって本当に正しい祈りかどうかわからないまま祈っています。でもその言葉に何かしらの応答が届くとき、僕は祈ったからこそそれを受け止められるし、考えられる。そのときどきで発している言葉は、必ずしも確実性をもつものでなくてもいいのではないかと、それはずっと思っていたことです。  ――鈴木さんのご実家はプロテスタントの教会だそうですね。聖書には確固たる言葉があるかに思えて実際は、聖書を読み、繰り返し解釈を語り合うものなのだと。その過程がこの物語に重なるように感じました。  鈴木 統一の出演番組の放送を待つ間に、娘の徳歌は『ファウスト』の英訳版を読んでいて、統一は原文を、紙屋綴喜は鷗外訳で、妻の義子は統一の訳本と番組用のテクストを読んでいます。それぞれ違う訳で同じ本を読んでいるのですが、これは聖書のパロディです。僕の通っている教会には韓国や中国の人もいるので、輪読をしているときもその人たちは韓国語で読んだり、中国語で読んだりしています。それでも同じものを一緒に読んでいるという感覚があります。文学とはそういうものではないかと思っています。  ――共有しているけれど、ちょっとずつ差異があるという感じですか。  鈴木 その逆で、テクスト自体に翻訳などの差異があっても、同じ一つのものをわかち合うことができるのではないかと。翻訳の違いだけでなく、読む人によって、同じ言葉が違った意味で捉えられることがある。それでもプロテスタントでは、同じ聖書を読んでいるということになります。そこが、ある時期までのカトリックとは違うところです。カトリックでは、ヒエロニムス訳が唯一絶対であり、解釈は教会が決めるものですから。プロテスタント的聖書読解が僕の中に文学として根づき、今作にも通じているというのは、腑に落ちる指摘でした。  もう一つ思うのは、違う訳で読んでいてさえ、同じ一つのものを読んでいると感じられる、聖書のようなテクストが、現代の人文学の中に喪失しているのではないかということです。いわゆる聖典(カノン)は、ある時期に解体されていきますよね。そのことに必然性はあったと思いますが、一方で現在の我々の言語がすれ違っているのは、共通の物語のなさに原因があるのではないかと。それを再構築するのが、現在の文学の役割ではないでしょうか。  ――それは三部作のテーマとして、一作目はトルストイ、今作はゲーテ、三作目はディケンズと、一九世紀文学を選んだことに通じますか。  鈴木 僕の中の問題意識を文学的、社会的にストーリー化していくのに、ゲーテや『ファウスト』はいいチョイスだったと思っていますが、一九世紀文学は、僕としてはまだ時代が浅く、最近の小説って感じがします。すごいことを言っていますが(笑)、古典というなら一番新しくてシェイクスピアかな。シェイクスピアには「生きるべきか死ぬべきか」というような、人口に膾炙した名句がありますよね。つまりどれだけ共通の物語として定着しているか、カノンの耐久性の問題です。肯定するにしろ否定して破壊するにしろ、共通の物語を土台として持っていないと、言論は成立しないのではないか。保守的な考え方かもしれませんが。  たとえば科学には共通の物語があるのか。文学には包含する力があるけれど、そもそも科学の指向とは細分化していくもののように思うんです。二〇世紀以降は科学を土台に進んできた。それで今どうなっているかと言えば、分断が強まっているのではないか、と感じるところはありますね。  ――書くにあたって、ゲーテの全集を全て読んだそうですね。  鈴木 保守的ですよね(笑)。  ――全集を読んで、新たに得たものはありますか。  鈴木 全集と言っても、日本で訳されたものしか読めていないのですが、ゲーテは「なんでも屋」だったという直感が正しかったとわかりました。『ファウスト』から予想していたゲーテ像と、ゲーテ全集で見えてきたゲーテ像が全く矛盾しなかった。  『ファウスト』が素晴らしいのは、第一部を若いときに書き始めて、油が乗っている頃に発表し、多くの人が読んで、第二部があるらしいけどどうなるんだろうと言い合う期間が五〇年ほど続き、ゲーテが死んだ後ついに完結編が発表される。まさにライフワークなんです。ゲーテの生涯が色濃く反映された著作といって過言ではありません。  ――「済補」という表記も、話題になりました。文脈にうまく嵌っていたからだと思いますが、表記について迷うことはなかったですか。  鈴木 そこはあまり深く考えなかったな。僕の好きな漱石の作品では、外来語に当て字がよく使われています。ただ、そういえば初期作品に使われることが多いですね。作品世界のムードと表現の特異性は、やはり併せるべきなんでしょう。今回はごちゃごちゃ面白いことをしてみる小説だからうまくいったけど、今後あのような表記を使うかどうかはわからないですね。そもそも、あれは紙屋綴喜の作品だから。  ――二作とも、主人公は老の域に入った男性です。外見的な描写はあまりありませんが、気が利いた名前と、「チーズはどこへ消えた?」事件とか、「サラダおじさん」とか、エピソードにユーモアがあって、そこからも人物像が見えてくるように思いました。  鈴木 僕は外見的な描写をあまりしないんですよね。餅之絵が死装束で大量の文字がコラージュされた羽織を身に着けていたぐらい。そもそも僕は、一九世紀的な、写実主義的な人間ではないんです。  自分の関心の向きかたとして、小説を書くときには少なくとも主人公の本棚を作ります。今回は娘の本棚も考えました。本文に少し出てくるんですが、実際はもっと考えています。興味の中心が本に偏り過ぎているかもしれませんが、自分とは違う人の本棚を想像するのは楽しいですね。  ――餅之絵は整理がつかないほど蔵書を肥やし、統一は本のみならず、生の言葉から、資料から集めていきます。鈴木さんにとって、上の年代にあたる二人はどのように見えているでしょうか。  鈴木 自分とは違う世代の人の精神性を描けたかどうかは不安があって、だからこそ二作ともに枠物語で、僕と同世代の人が彼らを描いたという構造にしています。餅之絵は私の祖父の世代で、統一は父の世代。それを孫あるいは子どもが語るという構造は、僕にとって必然でした。  餅之絵は自分の集めた書物に囲まれ動かない。ところが餅之絵に助力者が現れて、蔵書を整理し新たな書庫を築いてくれる。ただし彼が本当の安心を得るのは、自分の書いた一冊『THE PROGRESSOF THE SOUL』がそこにあるからです。その一冊に、この世界のすべてがあると感じている。  統一は、自分の言葉にしろゲーテの言葉にしろ、言葉に囲まれて安心していたわけですよね。そして餅之絵にとっての一冊の本と同じように、ゲーテの一言を探し求めている。真贋は定かではないけれど、それが本物だと信じることで、彼は何かを乗り越えている。  僕の中では、二人は地続きの問題に向き合っています。餅之絵が乗り越えたものを、統一はさらに乗り越えていて、三作目の主人公はさらにその先を行ってくれると思っています。  三作目の主人公は、生まれ年が僕と一緒です。描いた年代も一作目は二〇一九年から二〇年、二作目は二〇二四年で、三作目は二〇三一年。三作を通して、地続きの問題を一歩ずつ進めていくつもりで書きました。  ――「人にはどれほどの本がいるか」の後半で餅之絵が、「私は大した著述家ではなかったが、この年になっても、自伝を書かなかった。この一点だけは、私の崇敬するあらゆる著述家に優っている、と言っていいだろう」と語っていて、気になったのですが。  鈴木 誰もが自伝を書くんです。偉大な人も平凡な人も。でも一方で、自分を英雄視して自伝を書くのは、ヨーロッパではどこか恥ずかしいことでもある。日本文学は私小説の伝統があるから少し違いますが、ヨーロッパでは、言い訳をしないことには自伝を書けない。ゲーテも、ドイツ史として資料的価値があるので書き残すんだ、とかなんとか言い訳してます。  餅之絵はそれをしなかっただけでなく、他人に書いてもらえたわけです。著述家として名を成せなかった餅之絵が、そのことに勝利を覚えているのは、かわいらしくていいなと思っています。  しかし一作目にそのような言葉を載せながら、三作目のテーマは自伝です(笑)。  ――最初のうち統一は、「ゲーテはすべてを言った」という言葉のもつ完全性を得たがっているように見えます。全能感を求めながら、日常では徳歌が深夜どこに行っているのかわからないし、義子のこともわかっていない。  鈴木 わかってないですよね。統一は、ゲーテの「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉さえ見つかれば安心できると思っています。彼の研究はほとんど完結していて、その焼き直しを小出しにしている状態。でも六〇代にして、自分のこれまでの研究を保証する一言が欲しくなった。名言を探索するうちに、全く違う次元に至ることになりますが。  ――然紀典の名言論は面白いですね。ここにはテクストや知識を信じすぎないように、というメッセージも込められているのでしょうか。  鈴木 表層ではそういうメッセージとも受け取れますよね。ただそもそも小説とは、噓だとわかっていてそれでもその世界を信じて読むものです。だからそんなに単純化はできないのではないかなとも思います。  この名言論の先祖の一つは、フローベールの『紋切型辞典』です。フローベールは当時のフランス社交界で、人々がこぞって使う紋切型の言葉を徹底的にこきおろします。フローベールが目論んだのは、紋切型の言葉だと指し示すことで、読んだ人間がその言葉を使えなくすることです。僕はかなり真面目に『紋切型辞典』を読んだので、年を重ねれば重ねるほど、あの本に書かれていた言葉が使えなくなっています。  実際、名言の使われ方には不満を持ってきました。箔をつけるためにエライ人が引用する名言が、本来とは違う文脈でつかわれるたびに、もやもやした気持ちになったり。だから僕の「紋切型名言集」として、然先生の言葉には、多少の怨念がこもっているかもしれません。  ――統一は講義の雑談の中で、ゲーテは「何でも言える、ということを試していた」と言います。では、小説家は何でも書けるのか。どう思われますか。  鈴木 それはゲーテの悪魔的な側面ですね。本当に思っているというよりは、キリスト教批判も気軽にしてみせて、人が絶対に言わないことでも自分には言えるのだと、そういうパフォーマンスの要素があります。それが「ゲーテはすべてを言った」という流言にも繫がっています。  小説家が何でも言えるかというと、現在は自分の守備範囲でものを書くということが時代に合っていると僕は思います。全体小説というのか総合小説というのか、それこそ一九世紀文学的なものに、個人的には憧れがあります。ですが今や、大統領が好き勝手語っている。そうした現状の中で、いろいろなことに疑問を持ち考えながら、小説家はむしろ言葉を精査する方向に向かうべきなのではないかと。  ――師匠であり義父である芸亭學の公案は、統一にとって大きかったですね。芸亭の米寿記念論文集を、徳歌は「創世記の『光あれ』と、ヨハネ福音書の『初めに言があった』を素直に結ぶ文章」だと絶賛。一方、統一は「老いたな」と思うのですが、芸亭はアカデミズムの枠組みから離れ、改めて言葉と向き合おうとしていたのではないでしょうか。  鈴木 芸亭學とのシーンは、物語の重要な転換部ですよね。僕は仙台に帰郷するこのシーンが大好きです。でもほかのインタビューでこれまで、「本筋に係わりないけれど好き」だと話していました。よく考えると、あの場面がなければ話が成立しないですね。  ――統一は「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉が確かにゲーテのものだとわかれば、「我がゲーテ学の神髄を言い当てる至言である」と同時に「自身のこれまでの学問の全面的肯定」になると考えます。そして夢でゲーテと同じ時間を過ごし、ゲーテは確かに言ったのだと、件の名言をテクストの中に組み込む。でもこれだけでは、ダメだったのでしょう。  鈴木 僕は統一にあの名言をゲーテの言葉として、いかに言わせようかとずっと考えていたんです。でもこの人の今まで培ってきた常識やアカデミックな態度は、簡単には崩れませんでした。夢でゲーテに出会い、いったんはテクストにゲーテの言葉として書き込むけれど、結局消してしまう。  ところが義父の言葉があり、然の問題が起こり、ようやくあの結末になる。芸亭と然の生き方を見た統一がその応答として、迫られてではありつつも、自分にもわからない力に促されて、あの言葉を言ったわけです。  ――暗闇の中で、統一が娘と妻にゲーテの色彩論について解説をする場面。「単に異なるものをすべて混ぜ合わせたところで、この世で理想的な白は手に入らない。ゲーテの全体性はすべての色がそれぞれに輝いてこそ、あの「一にして全て」の境地に至る」と。これは探していた名言にも通じますし、統一の著書『ゲーテの夢』にも繫がりますね。その先で「自分が一度もどこにも書いたことがない言葉を言おうとしている」というところもよかったです。  鈴木 新年の深夜までの団欒が終わった後、寝室に家族で川の字になってね。暗闇の中で目が慣れてきて光が回復していく中で、色彩論を語る。  ここでは単に色の話ではなく、多様性について、家族三人の率直なところが、色に託し語られているのだと思います。好きな場面です。  統一は、自分たちが新しい物の見方を獲得したと同時に、昔の人の物の見方は失っているのだと言う。過去を今の観点から見ようとすると、昔は多様性が重んじられない酷い時代だったように見えるけれど、その時代にはその時代なりの多様性があったわけですよね。  そういう批評的なシーンであると同時に、子どものときの徳歌がギリシャ彫刻を指差して、「あの像を作ったときには色がなかったんだね」と言ったという会話などは書いていて、涙が出てくる感じがありました。  僕がそう思っていた節があるんですよ。母と父の子どものときのモノクロ写真を見て、この世界に色があったなんて想像できなかった。会話の最後に「見ないで信じるものは幸いである」と統一が聖書を引用しますが、「決まった!」と思いましたね。  虹の話、特にホメロスの話は、書きながら知ったものです。ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』は執筆中に本屋で見つけて読んで、その後、ウィトゲンシュタインの色彩論の注釈も読みました。色彩論との出合いは、この作品を作る上でとても重要でした。  ――いろいろなお話、ありがとうございました。今後の作品も楽しみにしています。(おわり)  ★すずき・ゆうい=二〇二四年「人にはどれほどの本がいるか」で第十回林芙美子賞佳作を受賞。二〇〇一年生。

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