映画時評 8月
パヤル・カパーリヤー『何も知らない夜』
伊藤 洋司
ローポジションのカメラが粒子の荒い白黒の映像でインドの若者たちの踊る姿を捉える。音楽はなく、代わりに女性の実直そうなオフの声が聞こえる。「あなたへ。元気ですか。あなたが恋しい。日を追うごとに想いが募る」インド映画テレビ研究所のある部屋で見つかった手紙。Lという匿名の女学生が恋人に宛てて書いた手紙の文言だ。恋人はLと結婚したいと話したせいで、親に軟禁され、この公立の映画学校に行くことができない。カースト制のもとで引き裂かれる愛し合う男女。パヤル・カパーリヤーの『何も知らない夜』では一連の虚構の恋文が、実際の映像、つまりパーティーや午後の昼寝などを捉えた私的な映像や、学生たちのデモやストライキの記録映像を繫いでひとつの作品にまとめあげる。
「あなたが去り学校側が監視を強化している。新たにできた規則は学生とも映画とも関係ない」と、恋文は語る。二〇一四年にインド人民党のモディ政権が成立し、翌年に政権はインド映画テレビ研究所の新所長に、インド人民党員で民族義勇団の支持者のチャウハンを任命する。ヒンドゥー極右団体の民族義勇団はインド人民党の支持基盤で、モディ首相もこの団体の運動家出身だ。学生たちはチャウハンの就任に抗議してストを敢行した。
恋文は二〇一六年一月のローヒト・ヴェムラの自殺も語る。彼はハイデラバード中央大学博士課程の学生で不可触民のダリット出身だが、民族義勇団傘下の全インド学生評議会の学生に通報され、奨学金停止や寮退去などの処分を受けていた。この処分の背後に政権の介入があり、学生たちの怒りが広がった。
続けて、二月にジャワハルラール・ネルー大学の学生自治会委員長など複数の学生指導者が逮捕されると、インド全土の大学で抗議のデモが行なわれた。映画はそうした抗議活動の記録映像を次々と示していく。
「一年が過ぎた。あっという間に。あなたからの連絡は一度もない。それでも私は書く」恋文の男女も一緒にデモに参加したが、身分違いの愛はすれ違う。「あなたは闘う人だと信じていた。親の圧力にもひるまない人だと。でもそれは私の誤解だった」愛は終わった。
映画の最初の手紙と最後の手紙に夢が登場する。「昨日はムクルがお茶をしに来た。この数日不思議な夢を見ると言うの。聞いているうちに落ち着かなくなった。あなたと私の話に奇妙なほど似ていたの」こう語られる冒頭の夢とは、父親に引き裂かれる男女の夢に他ならない。またラストでは、警察が学生の抗議活動に武力行使をする記録映像に、「夢のなかで私はデモに参加した」と声が重なる。「突然警察車両が見えて放水砲を出してきた。水を噴射し始めた。でも不思議なの。水を浴びた人が順番に溶けていった」この二つの奇妙な夢に挟まれて、映画全体がまるで長い夢であるかのような様相を呈する。この映画は単に政治の場と親密な場の密接な関わりを描くから優れているのではない。こうした夢の記述が示すように、政治を詩の言葉で語ることに、最大の野心があるのだ。映画の最後で、ある人物が次のように語る。「映画制作者には微妙な色合いが欠かせない。白黒で判断するな。繊細であり続けられるかどうか、そこが重要だ」これはまさに、『何も知らない夜』の美学をこの上なく明確に語る言葉ではないか。
今月は他に、『バードここから羽ばたく』『ジュリーは沈黙したままで』などが面白かった。また未公開だが、パヤル・カパーリヤーの短篇『夏が語ること』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)