- ジャンル:特集
- 著者/編者: ジョセフ・E・スティグリッツ
- 評者: 若田部昌澄、岩田規久男
<これからの経済の話をしよう>対談=岩田規久男・若田部昌澄
ジョセフ・E・スティグリッツ『スティグリッツ 資本主義と自由』(東洋経済新報社)をめぐって
2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの新刊『スティグリッツ 資本主義と自由』(山田美明訳、東洋経済新報社)がこのほど刊行された。
スティグリッツの議論の是非をめぐって、学習院大学・上智大学名誉教授の岩田規久男氏と早稲田大学教授の若田部昌澄氏、日本銀行副総裁を務めたお二人に対談いただいた。(編集部)
骨の髄まで理論家
若田部 まずは、本書の著者ジョセフ・E・スティグリッツの経済学的な業績についておさらいします。スティグリッツの貢献というのは、市場の失敗、つまり不完全競争や不完全情報の研究であり、特に、不完全情報が存在する場合には、市場は効率的な資源配分を実現しないことを強調したことで、経済学者のジョージ・アカロフ、マイケル・スペンスとともに、2001年にノーベル経済学賞を受賞しています。本書も基本的にはその理論を用いて執筆された内容になっています。
本書におけるスティグリッツの議論に関して申し上げたいことはいくつかありますが、その前に私が本書を読んで面白かった点を紹介します。それは、非合理性や行動経済学のエッセンスを取り入れた第二部「自由と信念と選好、および公正な社会の創設」で、ここを興味深く読みました。
従来の経済学の議論では、利己的な選好や信念は固定され、不変のものとみなしているのだけれども、現実社会において、人びとの持っている選好や信念といったものは決して固定されておらず、環境の変化に応じて常に変わっていく内生的なものなのだとスティグリッツは言います。さらに、そうした選好や信念は変化を続けていくうちに、人びとの中で利他的に行動することが選好の一つになっているとも言う。これは、言ってみれば経済学が利己的な考えに基づいた議論を行うことに対する批判であり、実はこういった指摘は、これまでのスティグリッツの議論の中ではあまりなく、今回さらに追加してきた形です。なお、スティグリッツはこの議論を深堀りした共著の新著、The Other Invisible Hand(仮題)の準備をしているみたいです。
ただし、これはスティグリッツ自身も認めていることですが、選好や信念を内生化すると、いかなる社会が望ましいかという議論が極めて複雑になります。だから、スティグリッツが本書で挙げているような例でもって、これは望ましい、これは望ましくない、ということは簡単には言えなくなるはずなのです。
この点は、本書内で再三、新自由主義者だといって名指しで批判しているミルトン・フリードマンやフリードリヒ・ハイエクならば、自らの理論を現実社会に応用し、どのような経済政策をとることで社会がよくなるのか具体的なアイディアを提示するのですが、今回の本からはそうした具体的なアイディアがあまり見えてこなかった。スティグリッツはむしろ、具体的な政策議論よりも、理論的な問題に関心を持っているのではないでしょうか。ちなみに、スティグリッツと共著論文を執筆したことのある経済学者の平野智裕さん(ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校准教授)いわく、今でも土日には数式の計算をしているそうなので、そういう意味でも、スティグリッツという人は骨の髄まで理論家なのだという気がしますね。
岩田 スティグリッツ自身にそうした傾向があるにせよ、現実にどういった経済政策をとるべきかきちんと議論することの方が今は求められていると思います。本書では、終始新自由主義批判を展開するため、価格をうまく調整しながら市場に委ねるという発想ではなく、まずは規制や強制によって新自由主義を食い止めるべきなのだ、という考えを貫いてしまっている。
今、若田部さんがおっしゃったように、スティグリッツは情報の非対称性が専門で、師匠の宇沢弘文先生に「スティグリッツが分析した後には、ぺんぺん草も生えない」と言わせるほど、あらゆる分野で情報の非対称性が引き起こす「外部性」を明らかにした功績により、ノーベル経済学賞を受賞しています。
そんなスティグリッツにしてみると、外部性がある状態が普通なのであって、だからこそ現実の市場も外部性が作用して完全競争が成立していないのだから、他の経済学者も外部性を前提にした議論をしなければ駄目なのだと、苦言を呈したいようです。
その最たる例をフリードマンに見ています。それもあって、何かと批判の矛先がフリードマンに向かうのかもしれませんが、実際、フリードマンは「近隣効果」という呼び方で外部性について議論をしていますし、外部性の問題に言及していない経済学者はたくさんいます。ですが、そうした人たちであっても外部性のことを放置していいとは考えていないのです。
若田部 まさに、社会が貧困対策をしなければいけない理由は、負の外部性があるからであって、みんなそこを理解した上で議論をしています。
岩田 スティグリッツは、情報の非対称性の研究に自身の比較優位があるわけですが、それと同じように他の経済学者もそれぞれ得意な分野があり、フリードマンならマネーの機能や取引における自由を守るためのルールに関する分析に比較優位があります。それらにくらべて、外部性を取り上げることが少ないからといって、外部性のことを無視しているというのは妥当ではありません。
若田部 岩田先生から宇沢さんの名前が出ましたが、私が本書を読み進めて感じたのは、宇沢さんの議論の持っていき方に似てきたな、と。スティグリッツのことを理論家だと言いましたが、宇沢さんもまさに理論家で、たしかに時論的なことへの言及はありましたが、そこまで得意ではなかったです。
岩田 しかも、後期の宇沢先生は人を好き嫌いで論じるところがあり、なかでもフリードマン嫌いはよく知られていました。そんな宇沢先生とスティグリッツの仲がとても良かったのも、本質的な部分で宇沢先生と通じるものがあったからなのでしょう。
若田部 ある種のイデオロギーというか、社会についてのものの見方や人間についての見方とかという部分ではかなり共通していると思います。
そういう観点で本書の特徴を申し上げるなら、経済学の議論とポレミック、論争の技法が共存するなかで、特に論争を仕掛ける部分が強く出ています。そこでやり玉にあがるのがフリードマンとハイエクなのです。本書の原題がThe Road to Freedomで、これはハイエクのThe Road to Serfdomを、邦題の「資本主義と自由」はフリードマンの同題書を意識していて、非常に挑戦的ではあるものの、一方でフリードマンとハイエクへの評価は辛辣をきわめています。
新自由主義批判の是非
岩田 スティグリッツのフリードマンとハイエク批判、つまり新自由主義批判について、例えば「ハイエクとフリードマンは、束縛のない資本主義を擁護した20世紀半ばの二大巨頭だった。だが、『束縛のない市場』(ルールや規制のない市場)という言葉には矛盾がある。政府が執行するルールや規制がなければ、取引などありえない。不正行為が横行して、信頼が低下するからだ。」(25頁)という文章があります。しかし、スティグリッツは、この二大巨頭が「束縛のない資本主義を擁護した」という根拠を、彼らの論文を「引用」して示していません。かれらの論文・著書にそんな文章はありませんから、スティグリッツの批判は的外れです。
若田部 おっしゃるとおりですね。
岩田 また、フリードマンがネオリベラリズム(新自由主義)という言葉を使ったのは、1951年の“Neo-Liberalism and its Prospects”という論文が唯一で、ここでネオリベラリズムという言葉を明確に定義しています。フリードマンは、自由放任にしたら競争秩序が乱れ、独占、寡占状態を招いてしまった過去の経験を踏まえ、競争によって独占を防ぐ方策を議論しています。ところが、スティグリッツはこのフリードマン論文の所在を注で示しておきながら、フリードマンは独占禁止法には否定的だったといいます。まったく正反対の解釈になっていて、このような批判は読者をミスリードするもので、本書の致命的欠陥です。
若田部 本書でスティグリッツがくり返す、「ある人の自由は、往々にしてほかの人の不自由につながる」。これを理論的に解釈すると、負の外部性が強く、市場の失敗が生じている時ならば、まさにこの言葉の通りで、この限りでは誰も異論はないでしょう。そして、先ほど岩田先生がおっしゃったように、フリードマンやハイエクもまさにそういうことを議論していて、それぞれの違いといえば負の外部性、市場の失敗の領域の大きさの判断と、市場に任せる部分と国家に任せる部分の境界線の引き方にあるわけです。
それならばどういった政策が適切か、相対的な評価の議論に向かえばいいのに、スティグリッツの場合、有無を言わさずフリードマンとハイエクを一刀両断にしてしまうので、プロパガンダ色が濃くなってしまう。
岩田 スティグリッツが本書で批判したフリードマンの教育クーポン制度の提案についても、彼は「公教育を民間教育に置き換える」政策だと言いますが、実際はそうではありません。独占的な状況にある公教育に消費者主権を取り入れて、民間と競争させることで教育の質を高めるのが教育クーポンの意義なのであって、公教育が競争によって民間に勝てばそのまま生き残るのです。
続けてスティグリッツは、フリードマンが「公的年金制度を民間年金に置き換える」ことを主張しているというのですが、ここも誤りです。フリードマンは、社会保険料率は賃金がある限度に達するまでは定率だといい、それでは低所得者になればなるほど高率で賦課される逆進税率になっていることを問題視しています。したがって、フリードマンはむしろ累進税には賛成しているといえます。なお、フリードマンはレーガン改革の所得税引き下げに賛成していますが、そもそも抜け穴だらけの税制の欠陥を糺すためであって、別に累進度を下げよとは言っていない。それを言ったのは、おそらくマーティン・フェルドシュタインの方なので、批判ならむしろそちらに対してするべきです。
どうもスティグリッツは、私的なことを悪とみなし、あくまで強制や公的なものがいいという方向に傾いている。だから公的年金を支持しているのだろうけれど、それならば、まずは現実の公的年金制度の現状を踏まえるべきです。アメリカでも、日本でも、長年続けてきた賦課方式によって、現在は世代間の不公平が大きな問題になり、日本では維持できない水準です。ほかにも、日本の社会保険は、年収の壁など勤労意欲に負の影響を与えるようなものがたくさんあり、日本の場合はむしろ公的制度のあり方を問題視しているのです。
ほかにも、フリードマンならば公的ではうまく機能しないところには競争を取り入れ、市場の失敗には課税等で市場機構を修正するための緻密な政策提言をしています。それに対して、スティグリッツは新自由主義やフリードマン批判に忙しすぎて、明確な代替案を示していません。
歴史解釈を検証する
若田部 私の専門に近い経済史と経済思想史の観点から、スティグリッツが現実の歴史をどう解釈しているか批判的に検証していきたいと思います。
そもそも、スティグリッツの歴史解釈はかなり恣意的、選別的な印象が拭えません。というのも、資本主義の議論と言いつつ、話題がアメリカの資本主義に集中しています。それこそ、自身の理想として言及される北欧の資本主義の例しかり、日本をはじめ、ドイツやフランスなどの欧州、あるいは開発国の資本主義をめぐる議論がありません。
次に、スティグリッツが言うように新自由主義というものが、1970年代後半以降、世界を席巻したというのであれば、その原因が一体何だったのかを検討するべきですが、スティグリッツの議論からはそれがまったく見えてこない。70年代のインフレにしても、石油ショックを問題視するだけですので。
岩田 スティグリッツの70年代のインフレ議論が的外れなのは、マネーに対する理解が不足しているからでしょう。
若田部 一般的なマクロ経済学理解である、金融政策が緩和的過ぎたことによってインフレが亢進し、インフレ期待がアンカーされなくなったといった議論は一切出てきませんよね。その意味において、60年代頃までの、大雑把に言えば福祉国家的なレジームの問題点が70年代にかけて出てきた、そういったマクロ経済的歴史認識ではないということです。
岩田 マネーに対する理解不足は、1930年代の世界恐慌の原因分析にも表れていて、スティグリッツは市場の失敗を原因に掲げますが、実際のところ、「国際金本位制の束縛」が主因なのです。アメリカのFRBがバブルを心配して過度な引き締めをし、景気が悪化したにもかかわらず緩和ではなく引き締めを継続し、高金利政策をとったことで、世界の金がアメリカに流れ、世界中で金不足を原因としてマネー不足になり世界恐慌を招きました。だからこそ、金本位制から離脱していった国から順番に回復していったのであって、これが30年代の恐慌に対する国際経済学の基本的理解です。スティグリッツにとっては皮肉なことですが、「資本主義の国際的金本位制という束縛」が大恐慌の原因です。
若田部 私は、混合経済と東アジアの奇跡を同一視している視点にも驚きました。本来、東アジアの奇跡はそれとは別の文脈で語られるものですから、ここも議論が大雑把にすぎる。また、その後の経済成果の議論に関しても、グローバル化の進展によって世界的な貧困の克服につながったのですが、ここをどう評価するかという視点も欠けている。例えばハンス・ロスリング他『FACTFULNESS』(日経BP)やスティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙上下』(草思社)、ヨハン・ノルベリ『資本主義が人類最高の発明である』(NewsPicksパブリッシング)といった本では、グローバル化の進展で中国とインドをはじめ、他の開発国も貧困から脱出し、そのことを大きな事件だと評価していますから、ここは本書と対比して見ていかなければならない部分です。
岩田 新自由主義やグローバリズムの進展が世界経済を駄目にしたとスティグリッツは言いたいのでしょうけれども、ざっと計算しただけでも各国の一人当たりのGDPはどこも増加傾向にあります。南米は政情不安があるから多少上下はするものの、それでも2000年代以降は右肩上がりだし、世界で一番停滞していたサブサハラも最近は上がってきている。アジアも成長スピードが上がっているし、ソ連崩壊後の東欧諸国でも、市場経済をうまく取り入れた国の成長が目立ちます。チェコなんて、2020年に日本の一人当たりのGDPを抜きましたから。
若田部 そう言われると、日本の停滞が際立ちますね(笑)。
岩田 グローバリズムにはそういった良い成果もあるのに、スティグリッツは悪い面ばかりに注目し、全否定してしまっている。こうやって悪い面だけを注目する点も後期宇沢先生的ですね。
若田部 ここまでは歴史認識の観点からお話ししましたが、経済思想史の観点から指摘すると、ハイエクとフリードマンを同一視して批判するのは、やはり問題があると思います。たしかに、この2人は似ている部分もあるけれども、マクロの考え方はまったく違います。フリードマンは基本的にはケインジアンですから、一緒くたに論じるのはいかがなものかと。
あと、J・S・ミルのことを自由放任主義者だと論じていますが、ミルは『経済学原理』で、自由放任を経済政策の基本に据えているものの、自由放任ではうまくいかない領域がたくさんあることもちゃんと認識していて、うまくいかない部分の対応策を言及しています。要するに市場原理でうまくいかない部分にはきちんとした規制が必要なのだ、と。その時々において政府がとるべき役割をきちんと考察していますから、スティグリッツのミルに対する批判にも疑問を覚えました。
産業政策を活かすために
若田部 本書において政策議論が欠けていると話ししてきたことにも関わりますが、政府の失敗の議論についても、失敗もあれば成功もあるというだけですから、結論がいささか簡単にすぎる気がします。それならば、失敗の原因は何であるかとか、政府が成功するための打率を上げるためにはどうすればいいか。そういった議論をもっと展開してもらいたかった。
経済成長論をサーベイし、政府はどのような政策をとるのが望ましいのか論じた一冊として、例えばフィリップ・アギヨン他『創造的破壊の力』(東洋経済新報社)が参考になると思います。この本の中でも、産業政策の透明性を高めるために競争を取り入れた方がいいという提案もあり、このあたりが産業政策における最近のホットな議論と言えるでしょう。
ちなみに、産業政策ということで言うと、スティグリッツはマリアナ・マッツカート『企業家としての国家』(経営科学出版)を好意的に評価しています。マッツカートはムーンショット、つまり月に人を送るような巨大なミッションによって政府が成功することもあるのだと言っていて、インターネットがその最たる例だと言います。とはいえ、インターネットが軍主導だったというのは神話ですし、産業政策に難点がたくさんあるのも事実なので、これをうまく活かすためにどうすればいいかといった議論はやはり必要です。
岩田 知的財産の議論においても、特許を有する企業が抱えこむことを良しとせず、みんなが使えるように広く開放すべきだとスティグリッツは言いますが、それではイノベーションするインセンティブがなくなるので誰もやらなくなる。そうではなく、どこまでが基礎的研究で政府の支援を要し、どこから民間に委ねればよいのか。そこを詰めないとどんどん無駄が増えていきます。無駄な産業政策という意味では、日本の失敗を参照した方がいいと思います。
何より、アメリカの基礎的研究に対する資金援助の仕組みというのはとても競争的で、日本のように官僚の一存で決まるものではありませんから、私は政府支援の好例として挙げています。競争に勝ち、支援を受けるために企業は切磋琢磨する。だからこそ、説得力のあるプロジェクトに成長するのです。
もう一つ、スティグリッツは産業政策の失敗によってトランプの台頭を招いたと書いています。グローバリゼーションのなかで見捨てられてしまったラストベルトの労働者たちがトランプの支持基盤になっていることが念頭にあります。ただし、アメリカ国内でも、上手にハイテク産業への鞍替えできた例がいくつもありますから、産業政策という意味においては必ずしも失敗したわけではありません。
アメリカに渦巻くもの
岩田 あるいは、衰退産業に従事する労働者層に向けた産業政策として、例えばスウェーデンならば積極的労働市場政策がありますし、日本でもそれを真似て、安倍政権の時に職業訓練のプロジェクトを強化しました。そのような形で積極的に転職を促すといった政策がまず考えられるのですが、今のアメリカの状況を見てみると、たとえ衰退産業の労働層に向けた労働支援を打ち出したとしてもなかなか支持されないのではないかと思います。アメリカはすでにそこまで来てしまっている。
なぜかというと、以前はWASPと呼ばれた、学歴はせいぜい高卒までの伝統的な反知性主義の白人たちの存在がネックになっているような気がします。そういった人たちの多くはグローバリゼーションで劣勢に立たされた鉄鋼業や自動車産業などに従事しているのですが、仮に積極的労働市場政策のような形で転職を促したとしても、プライドばかり高くて、スキルアップして転職する努力をしようとしないでしょう。
こうした、かつての白人中産階級の扱いが大変難しく、労働支援を打ち出すよりも、むしろ衰退産業を復活させて、古き良き中産階級を取り戻そうとする勢力に支持が集まっており、そこに支持基盤を見出したのがトランプだと、私は見ているのですが、そのあたりについて、若田部さんはどのように考えていますか?
若田部 今の岩田先生のお話について考える上で、なんといってもJ・D・ヴァンス副大統領の書いた『ヒルビリー・エレジー』(光文社)が必読書になるでしょうね。ラストベルトの見捨てられた土地から出てきた非常に頭のいい人が、偶然も重なって海兵隊に入隊する。そして除隊後に大学に行き、さらにはイェール・ロー・スクールを卒業する。そのような生い立ちをたどった人物が今や副大統領にまでなったというのが後日譚ですが、この本で書かれているのはある種の絶望感ですよね。
ここで見えてくる絶望感というのは、たしかにプライドが高すぎるために身動きが取れないということもあるかもしれない。でも、それ以上に深刻なのは薬物やアルコール中毒の問題であって、身体的に普通の労働に耐えられなくなっているのです。加えてコミュニティしかり、家族関係もほぼ崩壊したような地域でもあるので、そういう環境にロックインされてしまった人たちというのは、そもそも向上心を持とうにも持ち得なくなるのだと思います。
ある種の貧困の罠に落ち込んでしまったことで、やる気そのものがなくなってしまった。その意味では、選好が内生的に決まる世界に通じる部分もあるでしょう。そしてそれは、傍からはプライドが高すぎるように見えてしまうのかもしれません。けれど、当人たちにしてみたら、そこにあるのはやり場のない怒りなのであって、そういったものが今のアメリカには渦巻いている印象を受けます。
岩田 そうであれば、早めの労働者支援を行って教育を施せば、そういう人たちもうまくグローバリズム化で転換した産業に転職する可能性はまだあるということでしょうか。
若田部 状況がここまで来てしまったら……、というのが一つ言えますし、もう一つはそういった支援そのものを良しとしないイデオロギーも存在しているのではないでしょうか。アメリカの場合、再分配を受ければ得をするはずの低所得の人たちが、なぜ再分配に反対するのかという研究が成立するほどですので。
それから、アメリカの国土の広大さも関係していると思います。そもそも、アメリカは州間の移動が難しく、州を越えた雇用の流動性も落ち込んでいるみたいです。そうしたモビリティの低下について、ラジ・チェティ(ハーバード大学教授)のような経済学者も指摘しているし、ヴァンスも本の中で言及しています。だけど、今ひとつこれといった決定打が見つからないのも事実です。
ちなみに、今のトランプ政権が進めようとしている製造業の再興ですが、これは普通に考えて成功はしません。なぜなら、アメリカの勝ち残っている製造業は非常に生産的で、たくさんのロボットを使って効率化をしています。そういった産業の雇用を拡大したところで、結局はソフトウェアを扱えるエンジニアとかでない限りはなかなか転職できない。ですから、ラストベルトの労働者たちが適応できる形での製造業の雇用は提供されてこないのが現実です。
それにもかかわらず、製造業の再興を押し出すのは、トランプ、ヴァンスの自分たちの支持者たちに向けた「君たちを見捨てるようなことはしない」、というスローガンの側面が強いように思います。
政策議論が必要な理由
岩田 この先、アメリカが立ち直るために、まずトランプの政策が間違えていることをアメリカの人たちが理解することが必要になります。そのためにはトランプに失敗させないといけない。ところが、今はみんながトランプの上げたこぶしを下ろしやすいよう一生懸命制止しようと躍起になっていますね。そうすると、トランプは政策を軌道修正したときに、みんなの意見を聞き入れて柔軟な対応をしたと勝手に解釈する。それではいつまで経っても、トランプ支持者は、トランプは成功していると思い込んでしまいますから、トランプの4割ほどの支持基盤は崩れません。トランプの強硬な関税政策を止めるのではなく、このまま突っ走らせないと駄目なんです。
若田部 トランプの支持率は、大統領就任直後には上がりましたが、徐々に下がってきています。来年には中間選挙を控えていることもあり、支持率を気にして景気を良くしようとするだろうから、最初に大きくぶち上げて、そこから徐々に〝柔軟性〟を見せ、ある種ソフトランディングしようとするかもしれません。
この先、トランプが従来の強行姿勢を貫き続けるのか、あるいは今言ったように、ある程度計算でやるのかによって展開は変わってきますよね。それが明らかになるのは、今後の関税交渉次第になるでしょう。中国に高い関税をかけると、先々中国製品が入ってこなくなるとか、中国製のものが高くなるといったことが表面化すると、一時的にインフレ率が高まる可能性があり、それによってサプライショックが起こるかもしれません。
岩田 中国側も交渉の一環としてレアメタルを輸出しなくなるといった措置を取り、今後、米中の我慢比べがますますエスカレートしていくかもしれません。それでは困るからといって、トランプ政権は5月12日に、私が心配したように、振り上げたこぶしを早くも下ろしはじめました。
若田部 5月12日のアメリカと中国は関税交渉で、90日の猶予期間中はアメリカの対中関税は34%、中国の対米関税は10%で合意しました。まさに、本当に困ったから〝柔軟性〟を示した形です。
とはいえ、34%の関税は従来の3%からの大幅引き上げですので、経済政策の不確実性は依然として残っております。
岩田 ここで話してきたほかにも、アメリカの問題は山積しています。それこそスティグリッツは本書で、コロナ禍で反マスク運動の事例をたびたび紹介していて、読むほどに、マスク論争が起きなかった日本社会との違いを思い知らされます。
このようにアメリカの病はとても根深い。ですが、宇沢先生を真似した、スティグリッツのような形而上学的な議論、寛容になりましょう、協調しましょう、社会的連帯をしましょうと言うだけではアメリカが抱えている病は治療できません。なぜなら、人びとは経済の状況によって、協調や寛容、社会的連帯に対する意識を変えていくのであって、だからこそ経済政策の議論が必要になるのです。
少なくとも、今スティグリッツに求められているのは、ラストベルト層や無党派層を引き入れるような政策をきちんと示すことでしょう。
若田部 そのとおりだと思います。未だにフリードマンやハイエクらがトランプの台頭を招いたという議論のままでは、今本当に求められている経済政策を見出すのは難しいと思います。
昨年の大統領選でカマラ・ハリスが負けた要因を見ていくと、格差もそうだし、インフレを食い止められなかったこと、移民政策や文化政策などが挙げられますが、もうひとつ象徴的だったのが都市部での住宅価格の高騰で、ニューヨーク州やカリフォルニア州のような民主党が強い州でもトランプに投票した人が目立ちました。
これからは、そういった現実にもきちんと向き合っていく必要があるなかで、今年の3月に出たエズラ・クラインとデレク・トンプソンの Abundance(未邦訳)では、こうした住宅価格を取り上げるなど、かなり具体的なアメリカ経済の再生策を論じています。クラインらのような若い世代でも政策ベースに議論していますから、スティグリッツにもこれから必要となる具体的な政策議論に取り組んでもらいたいですね。
(おわり)
★ジョセフ・E・スティグリッツ=経済学者。2001年にノーベル経済学賞を受賞。著書に『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』など。
★いわた・きくお=上智大学・学習院大学名誉教授・金融論・都市経済学。2013年4月から5年間、日本銀行副総裁を務める。著書に『資本主義経済の未来』『経済学の道しるべ』など。
★わかたべ・まさずみ=早稲田大学教授・経済学史・中央銀行論。2018年3月から5年間、日本銀行副総裁を務める。著書に『危機の経済政策』『改革の経済学』など。
書籍
書籍名 | スティグリッツ資本主義と自由 |
ISBN13 | 9784492315644 |
ISBN10 | 4492315640 |