2025/08/22号 4面

初心生涯

初心生涯 鈴木 忠志著 成田 龍一  一度でも鈴木忠志の構成・演出する舞台に接した人は、その緊張感と伝わってくるメッセージに強い感銘を受け、次の舞台にも強い期待をいだくに違いない。役者たちの鍛錬に基づく演技にも、戦慄するであろう。鈴木の演劇にはこうした経験を持つコアな観客が多く集まり、鈴木もまた六〇年以上も継続して舞台を提供しつづけている。といっても、鈴木の舞台が決して分かりやすいということではない。いや逆に難解ではあるのだが、それでも心に響く「何か」があり、その「何か」をことばにしたくて、鈴木演劇を見続けることとなる。実際、舞台が終わるとともに、観客たちはあちこちで輪をつくり、一つひとつの場面を想起しながら、それぞれの解釈をぶつけあう。演劇のもつ触発力が顕現し、演劇運動が具現化する光景が見られる。  そのため少なからぬ鈴木忠志論が書かれており、鈴木自身も多くの演劇論をさまざまな主題と形式で発表し、理解のための補助線を提供している。そうしたなか、本書はみずからが「私の履歴書」を提出し、鈴木の航跡からその営みを理解する著作となっている。  貫かれる太い軸は幼少期から現在に至るまでの来歴であり、おおよそ時系列によって記される。偶然のようにして演劇サークルに入った鈴木青年が、新劇団「自由舞台」を経て劇団早稲田小劇場(現在は、劇団SCOT〈Suzuku Company of Toga〉)を結成し、演劇活動を展開していくさまが、洒脱な文章で綴られる。いまや伝説的な舞台となった「劇的なるものをめぐって」や「トロイアの女」などについても、自ら語ってみせる。あわせ「生涯の盟友」という建築家・磯崎新をはじめ、能役者・観世寿夫、劇団員・白石加代子、あるいは「演劇以外の文化人たち」が次々に登場し、鈴木演劇をとりまく多様な人間像が記される。  このとき、鈴木の活動が世界を相手にしていることも印象深く述べられる。日本初の国際演劇祭をひらき、シアター・オリンピックスの創立に関わる。中国をはじめ、フランス、ギリシア、オーストラリア、スペインなど世界各国で公演し、アメリカでは身体訓練の講義もしている。  だが、後半になるにつれ、その演劇活動が舞台の上の範囲にとどまらず、ひろく演劇をとりまく文化状況、さらには文化政策へと広がっていくことも見逃せない。演劇運動として活動するがゆえに「文化振興」にふみこみ、社会との接点、また行政との共振がなされていく。水戸や静岡に「新しい公共劇場」を開設し「本格的な専門劇場」をつくりあげ、補助金ではなく文化政策として予算を計上するようにいうことなど、そのひとつである。  鈴木は「演出家とは、関係の交点に位置する人間であり、役割的な存在です」と述べる。舞台における役者やスタッフ、観客との関係にとどまらず、演劇のワクをはるかに超え、行政をも巻き込む文化運動として活動をおこなう。演劇をつうじて「人々の精神を活性化させる事業」と行政の「地域振興」という目的とは、心は異なるが向いている方向は同じとし、「二心同体」とまでいうに至っている。 * * *  カギとなるのは、鈴木が利賀村を、劇団の拠点としていることであろう。いまやこの地に六つの劇場、稽古場、宿泊棟などを作り挙げ、毎年夏の演劇祭を開催し、世界中から観客や訓練生を集めている。だが利賀村は、当時もいまも「典型的な過疎地」である。人口は、いまは五〇〇人足らず。富山から高山本線に乗り換え、越中八尾駅から一日二本の市営バスで一時間余りかかる。  「世界に通用する演劇づくり」に集中するため、それまで拠点としていた東京を離れたが、当初は多くの困難があったという。だが、この「大長征」は、海外公演を行い、役者の訓練としてのスズキ・トレーニング・メソッドを世界に広めることとなった。村長、村議会議員と酒を酌み交わし、信頼関係をえて利賀に根をおろし、名誉村民となっている。「劇団は村に助けられ」「演劇活動も村の助けになるなら、それが一番いい」とし、「相互扶助」の関係を強調している。舞台をとりまく文化状況への、鈴木の営みの拡張である。  同時に鈴木は「利賀村でニッポンと再び出会い直すことになる」とも述べている。鈴木演劇の初発は、おりからの唐十郎、寺山修司、佐藤信らとともに小劇場運動――新劇批判にあり、コラージュの方法を採択していた。とともに、ギリシア悲劇、シェークスピア、チェーホフなどの演劇上の正典に対する独自の解釈による演出によって、世界的な評価も受けていた。西洋文明の日本的受容への批判のみならず、西洋への対峙と挑戦も大きな活動の柱であった。その鈴木が、利賀経験によって、いまひとつ「ニッポン」を主題とするようになる。 * * *  舞台の変革の志が、舞台をとりまく文化状況・文化政策への関与となり、それがさらには舞台上の変化と融合していく。この道程を、本書によってたどることができる。鈴木は、世阿弥の「初心」を解釈して、「時々の初心、どんな状況にあってもどんな年齢になっても、その時々を初々しく新鮮に生きる境地のことである」という。そして「他人という存在を不可欠の契機として、我見という癖からの離脱の戦いを不断にしなければならない」と述べる。この「初心生涯」に基づく創作こそが、鈴木演劇が観客にもたらす「何か」の根底にあろう。  あわせ、(巻末に付された)内田洋一「解説 異能の人、鈴木忠志の軌跡」は、いまひとつの鈴木の営みの理解への補助線となることも記しておきたい。(なりた・りゅういち=日本女子大学名誉教授・日本近現代史)  ★すずき・ただし=演出家・(公財)利賀文化会議理事長。一九六六年劇団SCOT(Suzuki Company of Toga)を創立。著書に『内角の和 1・2』『演出家の発想』など。一九三九年生。

書籍

書籍名 初心生涯
ISBN13 9784560091876
ISBN10 4560091870