2025/07/04号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife・張旭東(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第69回 張旭東(チャン・シュートン)(一九六五―     )  肩を抱き合って再会を喜んだ。たぶん七年ぶりだったか、東大・駒場、わたしにとっては懐かしい、かつての「わが砦」101号館のEAA(藝文書院)事務室、ニューヨークからやって来たシュートンに会った。  今年の春に出た雑誌『思想』三月号(岩波書店)の特集が「現代中国の思想」で、寄稿しているシュートンなど日中の執筆者やコメンテーターが会するトーク・セッション。その特集を、わたしは読んでいたわけではないのだが、なによりもシュートンに会いたくて古巣を訪れた。  わたしが拠点リーダーをつとめていたUTCP(共生のための国際哲学研究センター)の活動を通して、最初にシュートンに会ったのは、二〇〇六年だったか。たしか「Modernity in East Asia」と題したシンポジウムだった。わたしは何も覚えていないのだが、シュートンは、「あのときは、シンポジウムの後に、下北沢のレストランへ一緒に行ったよね?」と記憶は鮮明。  その後、今度はわたしが、かれが教えているNYU(ニューヨーク大学)へ、またかれが兼務する北京大学へ学術発表を行うように招かれた。じつは、このとき、北京を中心として、東京―ソウル―ニューヨーク(その後に上海も加わる)を結んでICCT(批評理論国際センター)という国際学術コンソーシアムが結成されたのだった。それは、「批評理論」を軸に、東アジアの人文知のネットワークをつくるという歴史的な挑戦だったと思う。その意味でシュートンとわたしは、単なる海外の友人ではなく、まさに「同志」だったのだ。  あれは二〇一〇年一月だった。ICCT設立イベントとして北京大学で国際会議が開かれ、わたしが基調講演をやることになった。わたしはそこで、わたしにとっての「批評理論」の原点であるベンヤミンにおける「表現なきもの」を論じ、さらにそれを(当然、北京という場への挨拶として)シュートンの「批評」の原点である魯迅の仕事へと接続し、そしてさらに「三点確保だ!」とわたしの「出発点」であった小林秀雄の仕事について語りはじめてしまった。わたしとしては珍しく、予定されていた時間を大幅にオーヴァーする暴走的講演。申し訳ないという思いはあるが止められない。司会のシュートンの方をうかがって「ごめんね」というのだが、そのたびごとに彼は「Go ahead!」と励ましてくれた。  あの時の友情をわたしはけっして忘れない。なにしろ小林秀雄はわたしの最大のオブセッションだったのだ。だから小林秀雄だけは、どれだけ依頼されても原稿を書くことができなかった。だが、この日、とうとう十代の頃から抱え込んでいた小林秀雄という「問題」と結着をつけることができた。わたしは言った、小林秀雄の批評は「希望を語ることを断念したのだ」と。そしてそこから翻って、だが、「批評とは、偽りを打ち砕き、対象を〈真なるもの〉へと返そうとする暴力でなければならない」と論じ、その最後に「批評、希望の暴力!」と絶叫したのだった(拙著『存在のカタストロフィー』、未來社、所収)。  今回、イベントの後の会食の席で、シュートンも、最近、魯迅について、なんと厚さが五センチもあろうという大著(邦訳すれば『雑文の自覚』で三部作の第一巻という)を刊行したことを知った。魯迅の激しい「希望の暴力」を追い続けているシュートン。  そう、いまの時代、「希望」は国境を超える「同志」の存在にこそかかっている。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)