2025/03/28号 4面

性/生をめぐる闘争

性/生をめぐる闘争 福永 玄弥著 倉橋 耕平  2024年4月、ゼミ生の企画で東京レインボープライドに足を運んだ。隣のフロートの某超巨大企業、フロートからではなく沿道から聞こえる〝Free Palestine〟の声、翌日のWEBニュースに映るパレードを歩く政治家の顔、そこにいたマジョリティ男性のおれ……、カラフルで祝祭的に共時する空間で見えなくなっているものは何か。  本書は台湾・韓国の性的マイノリティの権利をめぐる闘争の歴史過程を描いたものだ。出色なのは、その視座である。それは、「直線的な進歩史観や、ヨーロッパや米国を波の起点とするような帝国主義的・植民地主義的想像力を批判的に問う」(22頁)という記述に集約されている。すなわち、性的マイノリティの権利をめぐる闘争が、一国の承認の政治のなかで完結するものではなく、脱植民地化と冷戦構造の共振性に基づいており、それを乗り越えることが企図されている。それゆえ、本書は、ポスト帝国/ポストコロニアル/ポスト冷戦期の文化政治を扱うカルチュラル・スタディーズの必読書と言える。  台湾が「アジアで初めて同性婚を認めたLGBTフレンドリーな先進国」として言説化されるとき、その進歩性(と他の地域の後進性)が強調されることになるが、それはやはり歴史過程のなかで出来上がったものの帰結だけを享受していることになる。そこには台湾で実現した理由、台湾を「国」と表記することにかかわる政治性、冷戦秩序によって規定された「東アジア」という地域性など、問われなければならない要素が抜け落ちてしまう。  本書が詳らかにしているように、台湾の軍隊がゲイフレンドリーになったのは、90年代の同性愛の「脱病理化」の流れとアメリカが「従軍する権利」を認めたことを、台湾の保守派が兵役義務を遂行させる論理のために持ち出したからである。民主化した台湾では民意が重視されるため、保守派の政治家も性的マイノリティを積極的に政治に組み込んでいく。それは「LGBTフレンドリーな台湾」を称揚し、対照的に中国の「後進性」を顕在化させる「台湾ホモナショナリズム」の形成過程でもある。これによって、国連との関係を持てなかった台湾が国際社会にアピールするとともに冷戦体制に加担する。  そうした「上から」の「解放」がある一方で、バックラッシュとの闘いやフェミニズムとの共闘を経て、当事者たちのなかにあった「性解放」や「毀家・廃婚」というラディカルな家父長制の解体という目標から「婚姻平等」へと収斂し、さらに同性愛者を「良き市民」として包摂する恰好となった、と本書は指摘する。だとすれば、一般に言説化されるところの「先進性」とは、非常に国家主義的な規範(や国家資源の動員)による包摂にとどまるし、それを形成してきたポストコロニアル期と冷戦期の地政学的想像力が反映されているものに他ならない。  他方、韓国においてバックラッシュの中心に同性愛が位置付けられたのも植民地主義と冷戦体制からの移行期ゆえのことである。盧武鉉政権期の「過去清算」が軍事政権による人権侵害と不法行為を焦点化すると、軍事政権を支持してきた新旧保守派やプロテスタント右派がバックラッシュを開始した。その過程で差別禁止法の立法予告がきっかけとなり、同性愛が狙い撃ちされたということになる。その結果「韓国こそが同性愛者の権利保障を妨害することに成功した稀有な先進国として米国を支援する側へと立つことを可能にする」(375頁)ロジックが成り立つことになる。  このように台湾と韓国の状況を見てくると、日本の現状も逆照射されるように思われる。日本の右派にとっての悲願である「普通の国」になるために必須である憲法改正(9条や24条)の狙いは、軍事的男性性と家父長制の復権を目指すため、性的マイノリティの権利を包摂するホモナショナリズムすら遠のく。言わずもがな、こうした志向性もまた敗戦と冷戦体制による男性たちの人種化されたトラウマの産物である。そして、国際的な人権レジームを拒否すればするほどネイションの独自性(「伝統」や「固有の文化」)が保たれる、という逆説的状況が今日の日本政治を支配している。  多岐にわたる論点のなかで触れられることは限られているため、緻密でありながらも平易に記述された本書の豊かな分析をみてほしい。欲を言えば、植民地期の知の生産にかかわる歴史と、ピンクウォッシュとも深く関わる資本化される政治状況について、もう少し知りたかったところだ。(くらはし・こうへい=創価大学准教授・社会学・メディア文化論・ジェンダー論)  ★ふくなが・げんや=東京大学准教授・フェミニズム・クィア研究・社会学・地域研究(東アジア)。

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