百人一瞬
小林康夫
第56回 吉本隆明
本連載も折り返し地点を過ぎて後半。このあたりで「楽屋裏」を明かしておくなら、毎回、誰を取り上げるか、まったく決まっていない。あらかじめ百名のリストがあって順番に書いているのではなく、都度、わたしが出会った何千もの人の記憶から――(「読書人」なので「本」と繫がる人を中心に)――なにかの切っ掛けで思い出の一瞬が甦る、そこにわたしにとってのいま書くことの「意味」が賭けられているのだ。
だが、そうなると、誰を書くか窮するときもある。いくらだって名前も顔も浮かぶが、スイッチが入らない。
そうしたら今朝、宅急便が本を届けてきた。九〇〇頁もの大冊『吉本隆明全集36』(晶文社)。全三八巻の全集の最後の二巻は「書簡集」なので、この巻が吉本さんが亡くなる直前の最後のテクストの集成で、目次を見ると第Ⅶ部は「遺留原稿」となっていて、そこには「立原道造論断片」などもある。わたしもちょうどある事情から立原道造など〈四季派〉詩人について考えはじめていたところで、こう来るか!とスイッチが入ってしまった。
晶文社が『吉本隆明全集』を送ってくださるのは、一〇年以上も前に刊行された第4巻「月報」に拙文を書かせてもらったご縁からなのだが、その冒頭、わたしは、一九六八年全学ストライキ中の東大駒場キャンパスで吉本さんが行った『共同幻想論』についての講演を最前列で聴いた衝撃を語りつつ「内容の記憶はいっさいないが、顔を少し前に出すようにしながら、ゆっくりと澱みなく語る話し方に《詩人》を感じたことを鮮明に覚えている」と書いていた。ところが、今朝届いた全集本の頁をぱらぱらとめくっていて偶々開いた頁に、なんと「『共同幻想論』はある時期の記念碑的な作品として残っていますが、本当を言えば、詩が一番自分がこもっていると思います。力こぶの入れ方が違う。僕はうまい詩人じゃないですけれど、やっぱり詩が一番、自分の持ち物を入れたような気がします」とあるではないか! 二〇一〇年に『読売新聞』に掲載された吉本さんの言葉。ほらね、とひとり勝手に嬉しくなってしまった。
その月報にも書いたが、わたしが吉本さんと直に接触したのはただ一度、雑誌『マリ・クレール』の企画で、吉本さんとわが「師」ジャン=フランソワ・リオタール(第51回)の対談の通訳をつとめた時(一九八八年)。そこで生の吉本さんの「頑固な素直さ」みたいなものの核に少し触れられた感覚を得た。
いや、むしろ「猛々しい寂しさ」と言ったほうがいいかもしれない。これは吉本さんの最初の詩とも言うべき「異神」に関わる表現なのだが、そこで「ゲッセマネのイエス・キリスト」のヴィジョンを見る二二歳の詩人・吉本隆明のうちに、わたしは日本の戦後文化の詩的な原点を見出すことになるからだ。そう、わたしがオペラ仕立てで書いた『オペラ戦後文化論1』(未來社)の「舞台」は、ある意味で、吉本さんの『固有時との対話』ではじまり『共同幻想論』で終わるのだった。戦後生まれのわたしが「戦後」と向かい会おうとしたとき、そのガイドとなったのは、「異神」にして「詩神」の吉本隆明であった。その吉本さんの人生最後のテクストが、ドンと今朝、わたしに届けられた以上、そのことを書かないわけにはいかなくなった。(この全集に使用されている紙がすばらしいと一言、蛇足も付け加えておきたい)。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)