2025/10/17号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 83・アントワーヌ・キュリオリ(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第83回 アントワーヌ・キュリオリ  この秋、日本フランス語学会の学会誌『フランス語学研究』第59号が刊行されるのだが、そこにわたしの小テクスト「特異性の言語学の方へ」も載っている。昨年六月に明治大学で開かれた学会シンポジウム「言語が構築するマルチヴァースな世界」でわたしが行った発表の報告。カミュやサン=テグジュペリ、ブランショなどのレシ(物語)の冒頭文(incipit)を素材にして、二〇世紀にフランス文学で「世界」のつくり方の言語が大きく変わったことを論じたものだ。  いや、この拙論が問題なのではなく、この歳になって、学会誌という専門的知の現場にわたしのテクストが載ることが驚きなので、それが、わたしの心を、わたしと言語学との出会いへと連れ出してしまう。  すると、浮かび上がるのが、Une Toyota, ça s’essaieという仏語の一文。「トヨタの車は試せます」とでも訳したらいいか、トヨタ自動車の宣伝コピーなのだが、この一文だけをめぐって、メモ用紙を片手に、立ったまま二時間あまり途切れることなく講じ続けたキュリオリ先生の姿が鮮やかに浮かびあがる。  パリ第七大学の教室。一九七九年一〇月二十三日。日付まではっきりしているのは、わがパリ留学時代の膨大な講義ノオトを引っ張り出してみたからだが、それによると、先生は、似たような言表(文)であっても、要素がほんの少し違うだけで、同等の意味になったり、ズレたり、さらには文として成立しなくなる、そういう微妙な成立可能性・不可能性においてこそ文法が問われなければならないと、トヨタの一文を持ち出したのだった。  しかも、それが「トヨタ」であったのはたまたまではなく、講義では仏語の文を通して、日本語の「は」と「が」の差異というなかなか難しい文法まで鮮やかに論じられたのだった。うーん、キュリオリ言語学は日本語でも試せます! わたしには目が覚めるような驚きだった。  もちろん、言語学は二〇世紀の知の革命のひとつ。わたしもソシュールからバンヴェニスト、チョムスキーまで読んではいたが、言語学という知がどのように言語行為そのものと向かい合うのか、その現場の感覚を教えてくれたのがキュリオリ先生だった。リオタール、デリダという哲学者たちと並んで、キュリオリ先生はわたしの知に衝撃を与えた。それ故、パリ第一〇大学に提出したわたしの博士論文では、デリダやリオタールなどの哲学の衝撃への応答だけではなく、キュリオリ言語学への密かな応答も入っていたのだった。  キュリオリ先生がはじめて来日したのが、わたしがパリから戻った翌年の一九八二年の九月。昔のノオトを見ると慶應義塾大学で行われた先生を囲む研究会で、わたしは先生に言語学と精神分析の関係を問いただしたりしている。  その十日後だったか、先生の学生だったフランス・ドルヌが日本に到着。実は、わたしが先生の講義に出るようになったのは、彼女のおかげ(のせい?……同じ意味? 違う?)だった。で、その秋、われわれは日本で結婚してしまう。  二〇〇五年、われわれ二人は共著として『日本語の森を歩いて』(講談社現代新書)を出版した。それは、もちろんわれわれがキュリオリ先生に捧げる一冊。「行ってきます」、「助けて!」、「よく言うよ」……「痛っ!」などの日本語の言表をめぐって「森」を歩いて、最後の締めが「おあとがよろしいようで」。  だが、おあとはあまりよろしくなくて、この新書、もう長い間、絶版になったままなのだ。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)