日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす
青山 透子著
青山 透子
相模湾の海底に沈められたままの飛行機の残骸が何かを語りかけてきたその時、四〇年前の出来事がまるで津波のように押し寄せてきた。そして私を一九八五年八月一二日のあの日に連れ戻した。もし私があの日航123便に乗務していたら、先輩の客室乗務員たちと共にこの世を去っていただろう。私が彼女たちの声を聞かずして、誰が聞くのだろう……私には五二〇人の魂の叫び声が聞こえたような気がした。こうして日航123便の墜落原因を問い続ける旅が始まったのだった。
正直なところ、ノンフィクション作家として同じテーマを扱った著作を何作も執筆することになるとは、しかも裁判の証拠として通用するほどの調査を重ねて書き続けることになるとは思ってもみなかった。
膨大な日米公文書や貴重な資料を前にしながら分厚い壁にぶつかった時は、これ以上調査を続けるのは無理だと思った。ところが、遺物の科学的調査によって、次々と疑問が湧いてきた。さらに当時の検死医師や看護婦から重要な証言を聞けば聞くほど、それを書くべきだという声がした。細切れに炭化した真っ黒な遺体写真を見れば見るほど、無念を叫ぶ「声なき声」が聞こえてきたのである。
そのような思いで執筆したのが、『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』である。この題名は、事故調査委員会を敵に回すようなものだったが、「あの世に行く前に本当の事故原因が知りたい」と心底願う遺族の気持ちに寄り添えればそれでいいと思ったのである。この凄惨な墜落事件には大きな闇が潜んでいると確信した時、目の前にいる遺族のためにも書くと心に決めた。読者の方々は、それを読むことで自分のことのように思い、悩み、悲しみ、微かな希望が持てるのではないか。そのとき人は同じ価値観を共有する。私は独立した研究者として、事実を積み重ねて仮説を導く手法を取り、冷静で客観的な描写を心掛けた。著作を通じ共感を寄せてくれる読者に出会うことこそが、その中で共感力が湧いてくることこそが、読書を通じた心と心のふれあいだと考えている。
また、英国人遺族と出会って書き上げたのが『日航123便 墜落の波紋』であった。日本人男性と愛人関係にあったその女性と二人の遺児は、長い間、遺族とは呼ばれなかった。日本人男性の妻は、何年も意識不明の寝たきり状態で入院していたことから、子を認知するよう要求するのをためらっていたためだ。日航123便で大阪へ出張する「愛する人」を見送り、失い、その墜落の翌月に生まれたばかりの乳飲み子を抱えたまま、彼女は英国に強制的に帰国させられたのであった。彼女は飛行機事故で愛する人を失っただけではなく、もう一つの悲劇がそこにあったのだ。
世間は、墜落原因が推定のままで、誰も法的責任を取っていないことも知らない。すべてを無かったことにしようとする隠蔽者たちが情報開示を妨害し、陰謀だとレッテルを張る。しかし真実を闇に葬ってはならない。そのためにも、「声なき声」を書き残す役割を背負った私は、渾身の力を振り絞って書き上げた。それが読者を通じて未来に届くことを願っている。(あおやま・とうこ=元日本航空国際線客室乗務員)